タイBLドラマ「Fish upon the sky」 - 俺にとってお前は「空の上の魚」だから
「俺がお前のワクチンになる」のセリフで救われた。私の夏を夏にしてくれたタイBLドラマ「Fish upon the sky」に感謝します。ありがとう、空の上の魚。
遡って、「これは遂に私もコロナウイルスに感染したかもしれない」と思った先日のこと。
デルタ株の蔓延で日々増える感染者のニュースが飛び交い、職場にも発熱を訴える人が出始めた中、コロナ渦に入ってから一度も体調不良になっていなかった私にも数日続く微熱+頭痛のコンボが到来した。微熱だから大丈夫かな、と最初は気楽に構えていたが、微熱なんてここ何年もなかったし、いつも悩まされている低気圧の頭痛とは痛みの感じが違っていた。
運が良いのか悪いのか、体調悪いな?と思い始めた日が休暇とかぶっていた。そのため予定をキャンセルしなければならず申し訳ない気持ちでいっぱいになり、かかりつけの病院には「発熱外来は定期的に診療している慢性疾患の発熱者のみの診療に絞っている」と電話で言われ、そうだよな…と思いつつ世間で言われている「医療体制の逼迫」を身に染みて感じました。また、感染がいざ近くに迫ってくると色々な面からメンタルを削られていくのだ、と言うことも実感した。
幸い近所の別の病院に行って診てもらうことができ、「かなり流行っている状況なので」とPCR検査もしてもらった。結果は「陰性」だったが、結果を伝える電話が先生からかかってくるまでの間、めちゃめちゃ不安だった。微熱+頭痛という、比較的軽度の症状だったにもかかわらず超不安だった。
症状が軽くても、もし陽性なら家族や職場の人、数日間で買い物したお店の店員さんにうつしているかもしれない、家から出られなくなるかもしれない、など色々な「どうしよう」が頭を駆け巡った。高熱が出た方や重い症状の方、リスクがある方はおそらくもっと不安や怖さを感じることだろう、と思う。今までも極力できる対策はしようと気をつけていたけれど、もっと気をつけよう、という気持ちになりました。
本題に戻ると、このPCR検査結果待ちの間の戦々恐々としていた気持ちを和らげてくれたのが、タイBLドラマ「Fish upon the sky」。
ジオブロが解除されたと聞いてからずっと気になっていながらも、何かと手をつけられずにいたドラマだった。観て良かった。今観て本当に良かった。登場キャラクターが医学部生なのも手伝って安心感が倍増した。
メインカップルのMorkPiも、演じたPondPhuwinも最高だし、これからめっちゃ推すわね……。原作者のジッティレイン先生、こんな素敵な物語に出会わせてくれてありがとう、翻訳版が出たら絶対原作小説買うよ!!!
※核心部分のネタバレはなるべく避けますが、所々で書いちゃうかもしれないのでご注意ください。※
「Fish upon the sky」あらすじ
「Fish upon the sky」は、歯学部に通う大学2年生・Piが主人公の物語。Piは1人も友達がおらず、恋をしたこともない。周りの人からは魅力がないとバカにされ、人のことを信用できなくなったPiは自分の殻に閉じこもってしまう。
しかし突然の雨が降ったバレンタインデー、傘を持っておらず途方に暮れていたPiに、Muang Nanだけが唯一傘を差しかけてくれた。笑顔で接してくれたMuang NanにPiは一目惚れする。その日以来、Piは密かにMuang Nanを追っかけるようになるが、Muang Nanを目で追うとなぜかいつもそばには医学部生のMorkがいる。頭が良く機転が効き、いつも自信に満ちているMorkをPiはライバル視する一方で、Morkはと言うとPiに対して何かと手助けをしようとしたり、「俺と2人きりになりたいって認めろ」「俺が好きなんだろ?」など意味深な言葉をPiに言ったり、どうも噛み合わない。
時に空回りしながらもMuang Nanにひたすら懸命なアプローチを続けるPiは、度々自分の前に現れるMorkにからかわれているのだと思い込みMorkを拒絶する。しかし、様々な場面でMorkに助けられていくうちに、最初は友人ですらなかった2人の距離は縮まっていく。
PiのMuang Nanに対する恋心と、無意識のうちに芽生え始めたMorkに対する何らかの気持ちの行方やいかに?
「Fish upon the sky」登場人物・キャスト
Pi(演:Phuwin)
歯学部の2年生。医者の両親、工学部5年生の兄・Dueanと一緒に暮らしており、もう1人離れて暮らす長兄がいる。メガネをかけ、矯正のワイヤーをつけた姿で当初登場するが、Muang Nanに一目惚れしたこと、そして兄やメッセージのやりとりをしているオンライン上の友人「近くの学部の奴」から指摘されたことをきっかけに、歯科矯正のワイヤーを外してコンタクトデビューする。
目立たない存在であることや、自分の性格、ルックスなどにコンプレックスを持っており、外部からの目やSNSを気にする傾向がある。ふてくされたりイライラしたりしていることが多いものの、Muang Nanに対する気持ちは一途で、あれこれと考えを巡らせては実行に移していくひたむきさも持っている。
Mork(演:Pond)
医学部の2年生。Muang Nanとは何かと行動をともにしている友達。Piをいつも気にかけているが、その優しさや真意はMuang Nanに夢中なPiにはなかなか伝わらない。しかし、Piから拒絶されてもなおめげずにPiを気にかけ積極的にPiの前に現れようとするなど、なかなかのガッツと自信がある。
Muang Nan(演:Mix)
保健医療科学部の2年生。大学入学前からのMorkの友達であり、何をしても様になる人気者タイプの学生。シュークリームが好き。優しく温和な性格で、Piのやや突飛なアプローチにも驚かずに笑顔で受け止めている。Morkに対してもPiに対しても、温かくほんわか接している。
Duean(演:Neo)
Piの兄で、工学部の5年生。お調子者で思ったことをすぐ口に出す性格。適当で明るく、Piと性格はあまり似ていないが兄弟仲は良い。弟の恋愛相談に乗るなど弟思いの側面もある。家では二段ベッドの上段に寝ている(Piは下段)。自分が5年生であることをMeenに知られたくないあまり、自分も1年生であるかのように振る舞う。適当な性格ゆえに様々なトラブルを引き起こすが、割とうまくやっている。
Meen(演:Louis)
医学部の1年生。とある授業で隣に座ってきたDueanとレポートのグループが同じになり、落としたスプーンをDueanに紙で作ってもらったことからDueanに懐き、仲良くなる。賢く真面目でほんわかした性格だが、いつの間にかDueanを自分のペースに引き込んでいる。
「Fish upon the sky」の癒しポイント
割とみんな不器用
主人公のPiが一番不器用だけど、MorkもDueanもMeenもみんな不器用な面が描かれていて愛おしい。
Morkは一見スマートに何でもこなしそうだけど、肝心なところで邪魔が入ったり、うまくいかなかったり、タイミングや運があまり良くない。あと、意外に鈍感な面があって、Piがどう感じているのかに気づかなかったりする。MorkのPiに対する気持ちは一貫しているしとても誠実なんだけど、その一方でMorkがPiを思うあまりにとった行動は裏目に出がち。Piの気を引くために呼んできた友達のBamがPiのテンションを下げてしまったり、Piの気を引くためにShipperのライブ配信に出たらPiに怒られたりと、「え、Morkここで今それする?!」ということをやっちゃう鈍感さ、不器用さがあるのが魅力的なキャラだと思った。
また、Dueanは自分のMeenに対する気持ちが何なのかわからないけどいつもノリでごまかしてしまうし、MeenはDueanに対して「あれ?」と思うことはあるのに本当のDueanの内面になかなか踏み込めない。
そして、Piは、割と自分の感情には正直だし素直なんだけど、社会性と自己肯定感が少なくてすぐ舌打ちしたり不機嫌になって自分の殻に閉じこもったりする。でも、大好きなMuang Nanの前に行くと今度は舞い上がりすぎてついつい空回りしてしまう。
Muang Nanと2ショットを撮れて嬉しかったのに、投稿した写真とコメントを見て自分は彼とは釣り合わないんだ…って悲観する場面にはとても共感した。理想とか夢を見てふわふわしていたところに現実を突きつけられる感じ、私も何回もある。目に見えるもので見ると嫌でも実感しちゃうんだよね。でも、そこからPiは奮起して、Muang Nanにふさわしい人間になってやるってイメチェンを頑張るんですよね。Pi、めっちゃいじらしくて頑張り屋さんじゃないですか?!
「自分は何をやってもうまくいかないんだ」って思い悩んでいる時も、ぽろぽろっと素直な本音がこぼれ落ちる時もPiはめちゃめちゃ人間らしい。落ち込みはするし、荒れることもあるけど、彼なりに相手や自分自身にぶつかってみる、不器用ながらもがむしゃらに頑張る感じがとても良かった。なんかPiを見ているとPiを通して「ああ私もあの時ダメだったな」とか「こういう態度を取りがちだ」とか自分自身のダメダメな部分が見えてくるんだけど、Piが彼の不器用さはそのままにとても頑張る子なので、「とりあえずそのまま頑張ってみればいいんだな」と勇気をもらえるし、何より元気が出た。
Piのくるくる変わる表情に夢中になる
Morkに対して思いっきり不機嫌な表情をする時や打ちひしがれる表情などが印象的なPiだけど、Muang Nanが現れると瞬時に「!ニコニコ!」というとびっきりの笑顔になる。また、Morkから迫られている時の、視線の置き場に困ってうろたえる感じや、心が折れた時の悲壮感漂う表情、取り繕っている時の表情など、表情の機微の一つ一つが細かく表現されていて思わず引き込まれてしまった。Phuwinくんすごい。
恋のパワーでハイになっている時と、自分に自信がなくて卑屈になっている時など、Piという1人の人間の中で文字通りくるくる変わっていく様々な感情を見せてくれたからこそ、Piに感情移入できたと思う。
ちなみに余談ですが、PiがMuang Nanを目の前にしてふにゃ〜〜って笑ってる顔を見て、私も推しを見ている時同じような表情筋が動いているんだろうな……と思った。
Morkは目力が強い
MorkがPiをロックオンするときの目の真っ直ぐさと「目線をずらさせねーぞ」という気合いのこもった強い視線がとっても好きでした。気合というか、もはや気迫すら感じる。Morkは普段、何を考えているかあまりよくわからないポーカーフェイスなんだけど、目力は強いのでその分気迫が増している気がした。表情にすぐ出ちゃうPiと好対照ですね、とても良いです。
Muang Nanが天使
Piの恋愛フィルターが私にもかかっているのか?!と思うぐらいMuang Nanが天使に見える。登場するだけその場が華やぐ感じや、話しているのを見ると穏やかな気持ちになる感じはTHE・魅力に溢れた人。そりゃPiはMuang Nanのこと好きになるわ。PiがMuang Nanを誘って、Morkと3人で飲むことになった時のライダースジャケットのMuang Nan、キラキラしすぎてまじでアイドル。
あと、どんな時でも動じずにしっかり目を見て自分の思ってることを伝えてくれる誠実さと、Piがめっちゃモーションかけてる時やちょっと突飛な行動に出た時でも「ほえ?」みたいなふわふわした感じで受け止める物腰柔らかさにめっちゃ癒された。
Duean×Meenもまた良い
もう1つのカップル、Piの兄のDueanと1年生のMeenのなんだかちぐはぐなようで実は相性の良いカップルも良かった。Dueanはゆるい性格で我が道をいく人だけど、勝手に女の子にあげちゃったMeenの水筒を(自分が撒いた種とはいえ)大変な思いをしながら取り戻したり、Meenが寝るときに頭を撫でてあげたり、何かとMeenに対して優しく思いやる感じが微笑ましかった。Meenはとても素直だし、年下なのにDueanのパッパラパーなところを大目に見ている一方で、適度にDueanを振り回している感じがかわいい。あと、Dueanに飲酒を強制させられそうになった時にMeenがきっぱり断ってたのがとても良かったです、あの場面はちょっとハラハラした。
印象に残るセリフ
PiがMuang Nanのことを、そしてMorkがPiのことをなぞらえる言葉が表題にもなっている「空の上の魚(Fish upon the sky)」。絶対に手の届かない存在の比喩で、非現実的かもしれない憧れとか恋を表した言葉なんだけど、めっちゃわかるしめっちゃロマンがあるなと思った。だって「空の上を泳ぐ魚」って響きは超ファンタジーだけど、魚そのものは身近な存在だからちょっと手が届きそうな気がして、でも距離が遠いから届くのは難しい。その微妙なラインを絶妙に言い表したジッティレイン先生……すごい…!小説読みたいから翻訳版をぜひぜひ売ってほしい……。あと、「空の上を泳ぐ魚」の対となる言葉も出てくるんですけど、その言葉を言う人も意味もシチュエーションもそれに対するリアクションも「ウワーー!!!好き!!!!」となりあまりの良さに私は語彙を失って「ウワー」しか言えなくなりました。ウワー。
そして、「俺は疫病神なんだ」って言ったPiにMorkが「俺がお前のワクチンになってやるよ」って言った場面はPiと一緒に泣いた……。コロナ禍のこの状況の中で聞いたら尚更安心感がすごかった。こんな安心する言葉あるかなってくらい安心してしまい、「ワクチンめっちゃ最高やん……ワクチンめっちゃ落ち着く……」という、字面だけだとよくわからない感情になった。
カラフルでポップ、かわいい世界観
冒頭を飾る風船のシーンが頭に残る。カラフルなたくさんの風船を持つPiと、そのPiを取り囲むようにしてサプライズ隊がわーっと集まり風船でいっぱいになる、この場面だけでもう何が起こるんだろう、とかこれからどんなストーリーになるんだろう、というワクワク感がある。このシーンは印象的に何度も作中に差し込まれるんだけど、全部見せているかのようで実は見せていない、最初と最後で受ける印象の変わる不思議なシーンだな、と思った。
あと、全編を通して何となく水色とか青緑色の印象が強い気がする。Meenが持ってる水筒も青、クラブとかPiとMorkが深夜に遊んでたネットカフェ(?)的なところの照明も青、自習室の椅子も青。医学部や歯学部が舞台になってるから当たり前かもだけどメディカルなイメージと、あと魚や空への連想を意識しているのかな、と思った。
また物語のキーアイテムとなる、Piが持っている魚のクリップ、MorkがPiに服を返すときに入れていた魚柄のトートバッグ、Dueanがバイクのキーにつけている魚のマスコットなど、何かと魚モチーフが出てくるのもかわいい。今後、魚モチーフのものを集めてしまいそう。
魚モチーフのグッズ、GMM SHOPで売ってるんですね!さすがや。欲しい。
Shipperに対して「No」を言う主人公
これ、結構新鮮だなあと思いました。Shipperが「MorkPi」ファンページを作って画像やプライベートの情報をどんどんアップしていくのを、Shipされている対象であるPiが不快に思って直にShipperに「ファンページをやめてほしい」と頼みに行く。私の個人的なイメージでは、タイのドラマでは「SNSで注目されて嬉しい!」とか「こんなにコメントがついてるよ!」というような、SNSで騒がれた方が喜ばしい、と言う描写の方が多く見かける気がしていたので、対象となる人が「やめてくれ」と実際に主張する描写はいいなあ、と思った。SNSで晒されることに対してすべての人がポジティブなわけじゃないだろうし、第三者からShipされることそのものに対しての抵抗感って多少はあるだろうし。それで、言われたShipper側もちゃんとページを消すところは良かった。
まあ、また誘惑に負けてページを復活させたり、仲間割れしたShipperの1人が別Shipのページを作ってマウントとったりするあたりもまたリアルな感じがしました……。人間、誘惑に負けがち……。
心は揺さぶられるけど平和に見られるしときめく
「Fish upon the sky」全編を通して平和に見られるし、なおかつドキドキ感もしっかりとあるので、ザワザワしたくないけど物語の世界に飛び込みたい時にぴったりです。第1話を見始めてからラストの第12話に辿り着くまで本当にあっという間だった。MorkとPiが喧嘩するシーンとか、「どうなっちゃうの……?」と不安になる場面はちょくちょくあるのですが、基本的に笑って泣けて、ときめいて笑えるラブコメに仕上がっている。
同じジッティレイン先生原作の「2gether」もそうですが、出てくる人たちが基本的にはいい人だから心穏やかに見られるのかもしれないですね。時に間違ったことをやったり、言わない方が良いことを言ってしまったりもするけど、なんだか憎めない人たち。
振り返ってみると、自分に自信がないPiのことを、なんだかんだみんなでちょっとずつ後押ししているんですよね。人それぞれ、いろいろなやり方で。で、Piもそれを受け取るだけではなくて、自分で変化しようとして、それぞれの相手に対して向き合っているのが良い。
Piが「自意識の中での自分の存在」と「社会の中での自分の存在」を、MorkやMuang Nan、Duean、Bamなど様々な人との関わり合いの中でいかに受容していくのか?ということがこの物語には描かれているわけで。Piが閉じこもっていた殻の外に出るには、MorkやMuang Nanとの出会いと関係性が必要だったんだな、と考えると、偶然のようで必然的な運命のようなものを感じて、また改めてときめきます。運命的な関係性大好き。
また、物語の結末も、主人公カップルやお兄ちゃんカップルだけではなく、その他の登場人物たちの未来も続いていくことを予感させるような結末になっていて好きでした。個人的にはMuang Nanのスピンオフが見たいです。
↑あとLouisくんが歌うOSTもまじで最高。
『BANANA FISH』を読みながらKinKi Kidsを聞くと最高
吉田秋生さんの漫画『BANANA FISH』本編を読み終えた。物語が終わるのが受け入れられなくて、一番最後のページを開いたまましばらくの間硬直してしまった。こんな事は初めてだ。連休最終日の夜になんか読むんじゃなかった、最終巻を読み終えたら爽快な気分で眠りにつけると思っていた。その全く逆で、眠れなくなった。
最終巻の一番最後に劇的胸熱な展開を持ってくるの凄くないですか?普通は物語って、ラストよりも一歩手前にクライマックスのピークがあって、少し下山したところで落ち着いて終わるものだと思ってたんだけど『BANANA FISH』は、最後の最後にピークがきたところでスパッと終わる感じがして。第1巻から最終巻まで、ずっとハラハラしっぱなし、夢中になりっぱなしでダーッと駆け抜けたような感覚がありました。
まだ「ANOTHER STORY」は読んでいないのですが、読んだら自分はどうなってしまうんだ?となるほどに心が持っていかれています。
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アッシュと英二、混ざり合わない2人の運命を描く『BANANA FISH』
『BANANA FISH』は、アメリカのダウンタウンに集まるストリート・ギャングをまとめ上げるリーダー、アッシュ・リンクスが主人公の物語。
アッシュは並外れた才能と見る者を思わず惹きつける佇まいをもってマフィアのボスであるディノ・ゴルツィネからの寵愛を受け支配下に置かれるものの、そこから逃れようともがき、自分を育ててくれた兄、そして自分の運命をも狂わせた“BANANA FISH”の正体を暴こうと奮闘する。そして、日本で挫折を経験し、カメラマンのアシスタントとして渡米してきた奥村英二と出会い、英二だけには心を許すアッシュだったが、ゴルツィネの策略や、アッシュを取り巻く様々な思惑に巻き込まれていくうちに、英二にまで危険が及んでしまう。次々に降りかかる危機をアッシュ、そして英二たちはどう乗り越えていくのか?というお話です。
2018年にアニメ化もされていて、Amazon Primeで全エピソード見られます。
私は運命を感じる2人組の関係性が好きだ。キング・オブ・デュオであるKinKi Kidsを筆頭に、最近ではKristSingto、BrightWinといったタイBLドラマでカップルを演じた俳優陣にもハマったり、応援しているグループ内の「辰松(ふぉ〜ゆ〜)」「MoonSun(MAMAMOO)」といったペアの動向にも集中して意識を向けたりと、“2人組の関係性”がめちゃめちゃ好きだという自覚はありつつ「なぜこんなにも2人組の関係性に私は熱狂を…?」という事を常々思っていて。
でも『BANANA FISH』のアッシュと英二の関係性を見て、強く結びつこうとするけれど絶対に混ざり合わない、みたいなところにヒリヒリしているということに気づきました。
決して混ざり合わない「個と個」でありながらも、目はお互いの方を向き「僕/俺/私にとっての“君”は君しかいない、君がどう思っていようと」と「双方向に」思い合っている2人が好きなんだな〜〜と改めて思った。お互いに相手のことを考えているけど、その主語が自分である感じが好きだ。
「俺とお前は住む世界が違う」と言って英二をひたすら安全な世界へ戻そうとするアッシュと、そんなアッシュの言葉を微塵も気にせずに、アッシュを安全な世界へ連れて行こうとする英二。
この2人はお互いに「君に銃を持たせたくない」と思っているけれど、その響き方はそれぞれ異なる。アッシュは、「君に銃を持たせたくない」からこそ自分と英二は一緒にいない方がいいと思っていて、英二は、「君に銃を持たせたくない」からこそ自分と一緒に安全な場所へ行った方がいいと思っていた。向いている方向は同じ、相手へ向けている愛情も同じだけど、2人の感情は混ざり合わない。
アッシュは英二の優しさや愛を感じれば感じるほど距離を実感させられていたし、英二はアッシュの途方もない痛みを一緒にいる事で癒し、彼の運命を変えられると信じていた。端的に言うと「すれ違い」なんだけど、結実しない、融合しないからこそ、それぞれの思いの強さが伝わってくる感じすらある。
それに、物語の随所に散りばめられた、見えるところにいなくても話さなくてもお互いの気持ちを理解しているという確信や信頼関係、相手に対して何かを求める事なく自分の労力や損失を惜しまない真摯さには夢を感じます。夢、というか憧れ、というかもはやロマン……?
関係性に対する疑いのなさって、そんなに簡単に芽生えるものではないという感覚が私の中にあるからかもしれないけど、英二が月龍に言った「僕がアッシュを大切に思っているように彼もそう思ってくれてた」とか、アッシュの「ただ1人だけはなんの見返りもなくオレを気にかけてくれる人間がいる」って確信を持って言える関係性って単純にすごいなって思うんですよね。
『BANANA FISH』とのペアリングにおすすめなKinKi Kidsプレイリスト
私はKinKi Kidsのファンとして、彼らが何年にもわたって築き上げてきた信頼関係に対しても日々「すごい」とか、「愛」「運命」を感じており、彼らの2人組として歩んできた軌跡や現在、2人が歌う楽曲と世界観に浸りまくっているわけなのですが、KinKi Kids新曲の「アン/ペア」を聞いていた時にふと「あら、なんだかこの感じって『BANANA FISH』では?」と思ったのです。
ここに至るまで前置きが長くなりましたが、『BANANA FISH』の世界にすっかり没入し、この思いつきに辿り着いたことが、今このブログを書いている理由です。
今『BANANA FISH』にハマってめっちゃ読んでるんですけどKinKi Kidsの「アン/ペア」聞きながら読むと最高のペアリングです
— きんきらなか (@kyankinki4u) 2021年7月23日
というわけで、やや唐突ですが『BANANA FISH』とKinKi Kidsのペアリングの良さについて書きたいと思います。運命を感じる2人組大好き!な私が「これは…光一さんと剛さんの2人の関係性に当てはまる一方で、捉えようによってはアッシュと英二では??っていうかこれめちゃめちゃアッシュと英二では??」となったKinKi Kidsの楽曲たちを挙げていきます。
『BANANA FISH』を読みながら聞いたり、すぐに漫画を取り出して読めないところで聞きながらアッシュと英二の物語を思い出したりするのにおすすめしたい!!何しろ『BANANA FISH』とKinKi Kids、超絶相性がいい……。ビール×枝豆、ビール×餃子、ビール×唐揚げぐらい相性の良いペアリングよ……。今ではこれらの曲を聞いただけでアッシュと英二の姿が脳内に浮かんできます。
・アン/ペア(KinKi Kids「アン/ペア」)
焦がれるほど繋がりたくても中々コネクトできない2人の関係性を接触不良のプラグとコードになぞらえた「アン/ペア」。“焼け焦げたっていいから繋がりたい”という、痛みを顧みずに2人でいようとする強い引力のようなものに、「本当は相手にそばにいてほしい」アッシュと英二の痛切な願いが重なる。
「アン/ペア」では、心の中には確かにお互いが“存在”しているのに、“不在”と隣り合わせになっている感覚がある。「夢の中で出会えたって 現実は何も変わりやしないや」「生ぬるい残像の感触 思い出すだけで報われやしないや」という冒頭の歌詞に象徴的なように、「そこにいるはずだったのに今はいない」ことへの絶望感、どうにもならないもどかしさが全編に漂っていて、その“どうにもならなさ”を力ずくで踏み越えてでも相手とつながり合おうとする。
『BANANA FISH』では、圧倒的な強さと才能を持つアッシュの“唯一の弱点”として英二が存在している。客観的に見ればアッシュと英二が一緒にいる事は双方にとってリスキーで望ましくなく、また、弱点であるがゆえに対立する人々から英二は常に標的にされる。アッシュと英二の関係性はいつも危険にさらされていて、別離した方がより簡単で安全だった。でも、それでもアッシュは英二を、英二はアッシュを自ら守るために側に行こうとするし、何よりただ「そばにいたい」という気持ちによって一緒にいようとする。なんかこの、物理的に関係性を阻むものを幾度となく乗り越えようとするアッシュと英二の感じが、「アン/ペア」のプラグとコードだな、と思う。
もう一つ、『BANANA FISH』のコマ割りで、2コマ横並びでアッシュのコマと英二のコマが向き合ってる構図が印象的だった。何回か出てきたと思うんだけど、なんというか2人の間にコマの線による壁が挟まる事で、埋まらない距離みたいなものを表現しているのかなあ、と。
で、「アン/ペア」のMVでも同じような視覚効果が見て取れるんだよね。KinKi Kidsは俯瞰で見ると同じ空間にいるのに、剛さんがいる場所と光一さんがいる場所は分厚い壁で区切られている。分厚い壁が物理的な隔たりを作り、交わらないことの暗示になっているのは明らか。それぞれの空間の中でお互いに違うダンスを踊っているんだけど、たまに同じような動きをする場面や、壁の向こうにいる“もう1人”の存在を伺わせるような視線を投げる場面がある。
KinKi Kids - アン/ペア [Official Music Video(short ver.)] - YouTube
(「アン/ペア」のMVはフルで見るともっとヒリヒリするので初回盤Aゲットをおすすめします。あと、初回盤Bは「アン/ペア」生みの親である堂島孝平さんとKinKi Kids渾身のコミカルなプラグとコードの特典映像がついてるのでBもおすすめです。通常盤はカップリングがマジでいい、本当に。“BrotherじゃなくてLoverになりたい”「Dandelion」大好き。)
あとは、単純に英二もアッシュも「最近なんかつれないぜ どうかしちゃったんだろ Baby You」ってお互いに言ってそうじゃないですか??
・勇敢な君に(KinKi Kids「L album」)
・aeon(KinKi Kids「M album」)
・キミハカルマ(KinKi Kids「H album -H・A・N・D-」)
・solitude〜真実のサヨナラ〜(KinKi Kids「F album」)
ふぉ〜ゆ〜「SHOW BOY」ヤルシカナイネ!とBTS「Permission to Dance」
ふぉ〜ゆ〜主演舞台「SHOW BOY」再演おめでとうございます!絶賛公演中ですね。
たまたま私がチケットを取った「SHOW BOY」の観劇日程と、BTSの「Permission to Dance」解禁日が近かったこともあり、この両者のメッセージにとても共通するものがあるな、と感じたのがこの記事を今書いている理由です。
というか、もっと言えば、今まさにほしいメッセージってこれだったよね〜〜〜!!!という感じ。人生はショーのように楽しいエンターテイメントなんだ。自由に踊りたい、自由に音楽を感じたい。そこに許可はいらないし邪魔するものもない。「SHOW BOY」も「Permission to Dance」もめっちゃいいじゃん超最高!!と思ってます。私の夏が輝き出した。
2021年のロッキンフェス開催中止が先日発表されたばかりですが、私たちはこれまでずっと、娯楽を楽しむ“場”を制限され続けてきたわけで、裏返せば許可がないと楽しんではいけないような同調圧力が常に蔓延しているような状況が続いてきたと思う。でも、本当は、本来は娯楽に許可なんていらないということを忘れたくない。感染対策のためにある程度の制限がかかるのは仕方がないことだし必要なことでもあると思うけれど、私たちは“楽しんではいけない”わけではない。
私は世の中の同調圧力的な閉塞感に一時期完全に飲まれてしまって、「本当はあの舞台行きたいけどなんとなくチケット取らなくていいか」「映画はネットに配信されてから見ればいいか」みたいな気分になり、それと同時進行的にものすごく病んだので、「楽しみたい」欲求とか「エンタメを続ける」意欲を持つことそのものは我慢しないでいいよ、という「SHOW BOY」と「Permission to Dance」のメッセージが今回すごく染み入ったのです。
だってさ、普通に生きてても「楽しいことを我慢しなくていいよ」とか「踊るのに許可はいらないよ」とか誰も言ってくれないじゃん。あまりに我慢続きだと忘れそうになる。(とか言いつつ、私は幸運にも我慢せずに済んでいることが多い方だとも思う。それでも耐えられなくなりそうになっていて、気持ちにどう折り合いをつければいいものか、自分がわがままなだけかもしれない、と思ったりした。)
今はだいぶ回復しましたが、あっぶねーとこでした。行くところまで行くと、今まで好きだったものとか楽しいと思ってた物事まで無味乾燥に思えて、そうなったらほんっっとにヤバいから!!(実際なりかけた) みんな我慢してるんだから我慢する、みたいな方向性ではなく「じゃあ、まず自分にできる範囲で楽しむには、現状どうしたらいいの?」を考えるようにしていかないと身がもたないですよね。
冒頭からしっちゃかめっちゃか感があるのでうまくまとめられていない気もしますが、舞台「SHOW BOY」について書きつつBTSの「Permission to Dance」についても触れて、共通するところを書いていきます〜〜!レッツゴー!
ふぉ〜ゆ〜主演舞台「SHOW BOY」人生はショータイム
シアタークリエ7月公演 #ふぉ~ゆ~ 主演『SHOW BOY』の上演が決定&新ビジュアルの公開です❗️
— 東宝演劇部 (@toho_stage) 2021年2月24日
新キャストも加わっての再航海決定です🚢🌌#中川翔子 #高田翔 #高嶋菜七 #瀬下尚人 #桐島十和子https://t.co/K9QdGfdefZ pic.twitter.com/qhALLWUnTC
ふぉ〜ゆ〜主演舞台の「SHOW BOY」は、豪華客船の中で日々ショーを開催するキャバレー・キットカットクラブを舞台に、ショーや娯楽を断念せざるを得ないところにまで追い込まれたそれぞれ異なる立場の“浮かばれない男たち”*1が、巡り合わせで1日限りのステージに立つことになるドタバタストーリー。2019年に初演を迎え、公演初日の前日がジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川さんが逝去された日だった。今回は、2年越しの再演となります。
劇中にしばしば登場する“Life is show time, it's a wonderful entertainment”、そして「ヤルシカナイネ」という節に象徴されるように、その物語の根幹には緩やかだが確固とした「Show must go on」、つまり“ショーは人生、(私たち、僕たちは)ショーを続ける”というメッセージが込められている。
ふぉ〜ゆ〜のメンバー演じる4人の“浮かばれない男たち”は、各々の“事情”を抱えてなんだかくすぶっている。そして、ポイントとなるのは全員が自身の「娯楽」をストップせざるを得ない状況に追い込まれているということ。
福田悠太くん(福ちゃん)演じる「裏方」は、キャバレー経営者であった両親を亡くしたことでオーナーを引き継いだ姉(演:中川翔子さん)を支えるため、元々ダンサーであったがダンスを諦めて裏方に回る。
越岡裕貴くん(こっしー)演じる「ギャンブラー」は、事業に失敗し、祖父の山を売り飛ばしたことで家族からも疎遠に。一攫千金を夢見てカジノに繰り出すものの、持ち金を使い果たしてしまう。
辰巳雄大くん(辰巳くん)演じる「見習い」は、見習いマジシャンとして師匠に10年間師事するも、本番に弱くテストに合格できないことからなかなか見習いから昇格することができず、10年の節目に師匠からクビを言い渡される。
松崎祐介くん(マツ)演じる「マフィア」は、母国である中国に愛娘を残し、違法取引のために豪華客船に乗船。本当は犯罪などに手を染めるのではなく人を喜ばせる仕事がしたい、と考えている。
「裏方」はダンス、「ギャンブラー」はギャンブル*2、「マジシャン」はマジック、「マフィア」は人を喜ばせる仕事(=エンタメと言っていいと思う)を本当はやりたいのにすることができない状態にそれぞれ陥っていた。彼らの前には否応なく進めなければいけない「現実の生活」があったから。
でも、それぞれに対して本人が胸の内に押し留めていたこと、すなわち本当にやりたことを「やっていいんだ」と告げてくれる人物が現れることによって、4人はそれぞれ自分の人生という物語を少しだけ前に進めることができるようになる。ちなみに、この「やっていい」は“許可”ではなく“後押し”である。
例えば「裏方」は自分の後輩である「主演ダンサー(演:高田翔くん)」から、尊敬している先輩のダンスをもう一度見たいんだ、という言葉に心を動かされる。
また、「ギャンブラー」は船内で偶然出会った訳ありの「少女(演:桐島十和子ちゃん)」からの「大人に質問なんだけど、人生って変えられるの?」という質問に、「見習い」は、自分とは違ってステージに出られる立場ではあるものの、センターで踊るという夢からは程遠くこのまま続けるのは実はもったいないのではないか、と思い悩むキャバレーのダンサー「エンジェル」の姿を見て逆説的に*3、「マフィア」は「完璧な人間なんていないんだから、あなたはあなたで大丈夫」という「支配人」の言葉から背中を後押しされる。
みんなそれぞれ足枷があって踏み出せないのだけど、その足枷は、周りの人の後押しによって、さりげない一言によっていともたやすく外される。彼らが欲していたのはステージに立ち、ショーという娯楽をやり遂げるための“許可”ではない、あと少しだけ、自分を囲い込んでいた枠から踏み出すための“後押し”だった。
それは、間接的に彼らが華やかなステージに立つのに何らかの“許可”はいらない、ということを示している。その証拠に、ショーの途中で「マフィア」を追っていた刑事がショーを中断しようと試みるも、「主演ダンサー」が衣装のシャツを着る服がなかった刑事に貸したという借りをもとに、「この幕が降りるまでは、(それがどういう奴であろうと)ステージに立っている全員が仲間だ」と言ってショーの継続を主張。刑事は「主演ダンサー」の主張を受けて、「ショーが終わるまでは捜査はしない」と告げる。この場面は、ショーを外から邪魔することは許さない、という確固たる姿勢の象徴だと思う。なぜならショーは誰かからの“許可”をもって継続されるものではないから。
♪エンターテイナー
— 東宝演劇部 (@toho_stage) 2021年7月11日
エンターテイナー
君の前ならうまくいく#はじめてのSHOWBOY に投稿してくださった熱いツイートはカンパニーの宝物です!!#ご乗船これからのお客様まもなく出航です!!
東宝ナビザーブでのキャンセル席の販売は、本日11日(日)23:59をもって終了させて頂きます。 pic.twitter.com/QRAWFCNpiR
演じる人がいて、それを見る人がいれば「ショー」になる、という描き方も大好きで、クライマックスのショーの場面では、以前までお互いのことを詳しく知らなかった4人のステージをお互いに固唾を飲んで見守ったり、一緒に賑やかしたりしている。
「マフィア」は「支配人」の後押しによって「ディーバ」として舞台に上るわけだけど、数分前まで彼を指差して「え?!誰?!」と言っていた「裏方」や「見習い」がステージの袖できゃっきゃしながら「ディーバ」のステージを見ていたり、全くの関係なかった「ギャンブラー」が「ディーバ」の後ろで踊っていたりする。「見習い」が初めて舞台に立ってマジックを披露する場面では、その場にいた全員が集中して「見習い」のマジックをじっと見つめている。この場面はショーはステージや音楽を媒介に「演る人」と「見る人」がいれば成立する、というのを舞台上で可視化したシーンだと思っていて、ショーには何か資格がいるものでもなく、誰もがショーを楽しむことができるのだ、ということを示しているのだと思う。
実際に、特に芸に長けているわけでもない「ギャンブラー」が、特に必要性に迫られているわけでもないのに「なんとなく俺も出ちゃお!みんな出るって言ってるし!」なノリで演じる立場になっていて、なぜかステージでアクロバットをぶちかましたり背中に羽根をつけてルンルンしている。ただこれは“必要性”がなくてもショーに出たければ出ればいい、ショーをやりたければやればいい。「そんな軽いノリでもショーはできるんやで!だって人生はショータイムなんだから」ということを「ギャンブラー」を通して示しているのではないか。
電話の向こうにマフィアの娘が!
— 東宝演劇部 (@toho_stage) 2021年7月7日
「这才是爸々的梦啊!」#ふぉ〜ゆ〜#中川翔子#これがお父さんの夢だったんだ!#はじめてのSHOWBOY#キャンセル席発売中 pic.twitter.com/UQjUzn829k
また、「マフィア」は「ディーバ」として舞台に上がることに対して、最初は躊躇を見せる。「私は男だし、言葉も分からないし、歌もダンスもしていない」と言って。でも、それに対する「支配人」の答えは「大丈夫、完璧な人なんていないのだから」。「誰もが完璧ではない」のだから、「ディーバ」になる人にも資格や属性は関係ない。「支配人」は「ヤルシカナイネ!」という意欲を見せてくれた「マフィア」こそが「ディーバ」にふさわしいと考えた(その過程に言語の違いによるいくつかのコミュニケーション上のすれ違いはあるものの、なんとなく同じ意図をもって2人は合意する)。ここには、歌ったり踊ったり何かを楽しんだりするのになんらかの「属性」や「資格」は必要としない、という意図が見て取れる。ちなみに「ヤルシカナイネ!」は、当初は「マフィア」が取引先の人間に圧をかけて萎縮させるために使っていた言葉なのだけど、「マフィア」が刑事に見つかって追い込まれると彼が発する「ヤルシカナイネ!」が言葉通りの、“もうやるしかないんだ”という切羽詰まった意味に変化する。
ちなみに「ヤルシカナイネ!」って英訳するならなんだろな〜?とつらつら考えていて、最初なんとなく「We can do it!」かな?と思っていたのですがそれだと明るすぎで、言葉通りに「There's no choice but to do.」だという結論に至りました。他の選択肢がない、だからやるしかない。これなら否定的な意味合いでも肯定的な意味合いでも使えるのではないでしょうかね……?(確認を取ったわけではないが、Weblioで調べたら「やるしかない」という意味で出てきたので大方合ってそう)。
私は、「SHOW BOY」を観劇した人がいつの間にか「SHOW BOY」の世界の中に没入して夢中になるのには、さっきまでただの“傍観者”だった人がいつの間にかステージに立っている、という物語の展開が寄与しているのだと思う。“傍観者”が劇中でステージに上がることで、ステージに立たない“観客”のことを心理的に舞台に引き上げている。何か敵を倒したり、目標を達成したりしたわけではない、資格も特別な属性も持たない人がステージに上がって演じることができる、という希望を共通項に、傍観者であったはずの観客は「SHOW BOY」の世界にいつの間にか引き込まれ当事者になっている。それで、私たちは劇場ではなく間違いなくあの豪華客船の中にいたのだと思えるのだ。
BTS「Permission to Dance」計画は壊して ただ輝きながら生きよう
BTS (방탄소년단) 'Permission to Dance' Official MV - YouTube
そこで、BTS「Permission to Dance」との関連について話を移したいと思う。私が「Permission to Dance」に「SHOW BOY」の「ヤルシカナイネ!」を感じたのは、「計画は壊して ただ輝きながら生きよう」というところです。「SHOW BOY」における登場人物たちの人生計画はことごとく壊されたわけですが、彼らはただ輝きながらショーをする(=生きる)選択をする。
そして、「Permission to Dance」では「僕たちは落ちてもどう着陸すればいいか知っているから心配はいらない、ただ今宵を楽しもう」と続く。いやこれ、あの浮かばれない「SHOW BOY」の4人もそうだし、うだつの上がらない私もそうだし、落ちても着陸の仕方知ってる〜〜〜落ちるの辛いけどウワ〜〜〜!!!!となった。「心配しないで、ただ今宵を楽しむことをしよう 僕たちが踊るのに許可はいらないのだから」って言ってくれるその言葉の優しさというか、包み込むような感じ?これって「見習い」の「もったいないことしようよ」と一緒やんね?と思ったんです。そう、許可はいらない。私たちは踊りたい時に歌って、歌いたい時に歌っていい。
しかも、J-HOPEさんのソロがまた良くて、「いつも道を塞いでる何かがある、でも怯えなければどう乗り越えればいいかわかるようになる」っていう言葉も、それこそ足がすくんでいる人のことを“後押し”してくれるような歌詞だなあ、と思った。ユンギさんの「誰かに証明する必要はない」っていうところも好きだし、テテちゃんの「もう待たなくていい、今がその時」も、ジミン&テテの「僕たちが火を燃やし続けられるってことを見せてあげるよ、まだ終わってない、終わるまで踊りたいって言い続ける」(意訳)というところもそう。まだ終わっていないんだから、私たちは誰だっていつだって待たずに踊ることができる。歌うことができる。
妨げるものがあるように思えるけど、本当は何も私たちが踊るのを止める権利、楽しむのを妨げる権利なんてないんだ、という「Permission to Dance」のメッセージと、人生が続く限り、ショーもエンタメも続いていくのだという「SHOW BOY」の“Life is show time, it's a wonderful entertainment”。
表現方法は全く違うけれど、共通していると思いませんか?私はそう思った。あなたの人生も、エンターテインメントも、本当は誰かに邪魔されるものではない。あなたが思った「もったいないこと」は無駄じゃない。思いっきり贅沢に楽しもうね。
雑記
・私、少し前に推しであるふぉ〜ゆ〜・辰巳くんにファンレターを書いたのですが自分の記憶力を過信していて辰巳くん演じる「見習い」を完全に「マジシャン」だと記憶して手紙を書いていて、本当に本当に申し訳ない気持ちになりました……。役名を間違えるなんて……。こんなところで言っても仕方ないのですが本当にごめんなさい……。
・とーーってもここ最近自分自身元気がなかったのもあって、クビを言い渡された「見習い」が「無理……」って言ってしゃがみ込んで泣くところ、あれ全く同じ感じで私もやったことあるわ……となり、かなり胸に迫るものがあった。
ちなみにその後「見習い」はバーのドアを叩くんだけど、落ち込んだ気を晴らすためにバーで飲むっていう選択肢があるのってやっぱり良いな、と思った。
・あと、甲板で「エンジェル」に向かって「見習い」が「今34で今年35になるのに◯△□◆※?●!…」って言って海に飛び込もうとするとこもすごい印象に残ってる。年齢で振り返って周りの人と比べて落ち込むやつ、不毛だと分かっててもやりがちなので共感した。
・マジックは見ていて「オッ」となる。マジックの途中で火が出てきてすごかったし、あの火がなんで一瞬で消えるのかもわからないし、なんで破ったお札が元通りになってるのかわからない、すごい。あとミスターマジックさんのステッキのやつも、あのステッキの動き方ってどうなってるんだろう…と思っていっつも凝視している。双眼鏡で見てもタネがわからないので一回一回新鮮に楽しめた。
・「ギャンブラー」のやさぐれ越岡さんうっすら髭が生えてるのがやさぐれ感あってめっちゃ良かった、「少女」に素直に振り回されてる感じも良かった。なんか「ギャンブラー」と「少女」の説明のつかない関係性というかあの2人だけの空気感めっちゃ良いですよね。「ギャンブラー」がもし親族のおじさんだったら、おそらくああいう風にはなっていないと思う。
・福ちゃん演じる「裏方」の「ク〜〜〜ルに!!!」のあとで手を二回打つ仕草って、今まで気づかなかったんですけどしょこたん演じる姉「支配人」の「Show must go on!(手を二回打つ)」気合入れと連動?してるような気がしたんだけどそうなんですかね??気を落ち着けるための姉弟の、というか一家のおまじないかな。
・松崎くんの「マフィア」、私全く中国語わかりませんが初演時よりなんか中国語が自然な感じがしました。なんとなくナチュラルに喋ってる感じがした。あと「ディーバ」はまじでいつでも最高で、松崎くんまじで最高だな、と思いました。抱えられて横向きでステージに出てくる「ディーバ」を見るといつでも爆笑してしまう。
・堂本光一さん主演の「Endless SHOCK」における「Show must go on」もまた、「SHOW BOY」の「ヤルシカナイネ」とBTS「Permission to Dance」と通じるものがある!と最初3つで考えていたのですが、「SHOCK」の「Show must go on」は少し意図するところが違うかな、と感じて今回は言及しませんでした。突き詰めた根幹の部分は確かに同じなのだけど「SHOCK」の「Show must go on」は“どのようにショーを続けるのか”という過程にフォーカスする意味合いが強いと思うので。改めて考えたい。
・「SHOW BOY」があまりに楽しかったので辰巳くんの写真でデコジャニショ「SHOW BOY」ver. 作りました★
追記:東宝演劇部様の熱量あふれるツイートまじでありがたすぎて足を向けて寝られない……!映像の編集の仕方に愛を感じます。
#はじめてのSHOWBOY
— 東宝演劇部 (@toho_stage) 2021年7月12日
で作品の魅力を広めて下さったお客様有難うございます!
お陰様で超・大入りのご乗船を頂戴しました!!
ご事情で乗船頂けなかった皆様、大阪・愛知公演まで待ちきれない皆様へ、1分間のPVをお届けします!#ふぉ~ゆ~ #中川翔子 #高田翔 #高嶋菜七 #辰巳智秋 #桐島十和子 #瀬下尚人 pic.twitter.com/04TvMgPOYd
*1:2021年7月1日配信・ふぉ〜ゆ〜ラインライブ通常配信にて、福ちゃん・こっしーが言及。
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*2:「ギャンブラー」は他の3人と違ってギャンブルを夢見ていたわけではないけど、彼の人生をかけてギャンブルに臨んだのに、お金が尽きてそれすら叶わなくなった、という意味で並列して良いかな〜と。「ギャンブラー」の立ち位置って結構独特だと思う。上述したように必要性に迫られていないのにショーに出演したり、人生逆転を狙う手段がおそらく「ギャンブル」じゃなくても良かったりした。でも「ギャンブラー」は享楽的な手段を選んだ。まあ、「ギャンブラー」は結構人生詰んでる状況ではあったんだけど、やっぱり何かパッと楽しいことしたくて乗船したんだろうな。「カジノキラキラいいな」みたいな、その場のノリでささっと乗り込んだような気がする。
*3:「見習い」が思い悩むエンジェルに言った「もったいないことしようよ」は、君が言う「もったいない」はもったいなくない、ということかな、と。演じる場があって機会があって見たい人(=「見習い」自身)がいるのだから、それはもったいなくないよ、ということを伝えたかったんだろうな、と思った。そして、その言葉が「見習い」自身のことも奮い立たせることになる。
舞台「スマホを落としただけなのに」アンコール上演の感想
舞台「スマホを落としただけなのに」アンコール上演、そして千秋楽を無事迎えたとのこと、大変遅くなりましたがおめでとうございます。
辰巳雄大くんが主演を務める舞台「スマホを落としただけなのに」。2020年に初演を迎えましたが、コロナウイルスの影響で公演日程半ばで中止となってしまいました。そして、今年のアンコール上演も大阪公演は中止。なんだか、去年とは違う思いで公演中止の文字を眺めています。去年は世間的に何もわからない中での公演中止だったけれど、2021年は、もしかしたら中止にならなかった可能性もあった中で、そうせざるを得なくなってしまった。開催する側のみなさんの悔しさを思うと、言葉を失いそうになります。もちろん、中止によって観劇が叶わなかった皆さんも。
何というか、見たいと思う人全てに見てほしい舞台だった。いや、この作品に限らずそうなのだけど。見たいと思う人すべてに届けられるべき。
私は初演時に運良く観劇できたのでその時にも感想を書いていて、大方の見方は初演時と変わっていないのですが、今回観劇して特に考えたのは「共感と理解」の違いについてでした。
(ここからネタバレしますね!)
ハチバンが欲しかった「共感」と加賀谷が欲しかった「理解」
やはり、浜中文一くん演じる「ハチバン」が最も欲していたのは「共感」だったんだなあ、と思いました。孤独な状態で新しく生まれ変わるのは難しい、と言った旨のハチバン自身の発言が表しているように「寄り添ってくれる誰か」を彼は欲していた。ハチバンはいつだって、「共感」を求めていたのです。加賀谷にも麻美にも、そしてまゆにも。
でも、ハチバンが逮捕されたあと、加賀谷が示そうとしたのは「理解」。加賀谷が欲していたのはアスペルガー症候群だと自認する自らに対する「理解」だから。彼は「理解」によってハチバンに歩み寄ろうとした。その点でこの2人は噛み合わない。
そして、麻美はかなりハチバンと近い状況だったと思いますが、彼女は孤独じゃなかった。共感を求めていたけれど、本質的に共感してくれる人が近くにいた。ハチバンの解釈に沿って言うなれば、彼女は孤独じゃなかったから、例え偽りの名前だったとしても生まれ変わることができた。
ハチバンが、じゃあ孤独にならないために、母親のトラウマから癒されるために。彼は親から注がれるような愛情を渇望していたのだと思う。自分が享受できなかったからこその、“親からの無償の愛”のようなもの。それをまゆに期待していたんだと思います。ハチバンとまゆのやりとりにおける、ハチバンの退行しているような様子が象徴的だと思う。
ハチバンが金が尽きたと告げたときに、ハチバンが心の拠り所にしていたまゆがどういう反応をするのか?会計する時間になってからの「お金ないの」は、まゆがお金を介さない自分に対して、どう出るかを試したかったんだと思う。でも当然、彼女は仕事としてハチバンの相手をしていて、ハチバンはお客様以外の何者でもない。金銭が受け取れない状況となれば、家計を支える立場でもあるまゆは追い詰められてしまう。あの場面でまゆが逆上するのは自然な流れだと思った。
また、後にまゆの同僚の証言でわかるけど、トラブルになる前からハチバンはまゆに対して割と暴力的に振る舞っていて、まゆの心身には明らかに負担がかかっていた。ハチバンとまゆの関係性において、圧倒的に立場が弱いのはまゆ。
でも、ハチバンは「お金ないの」に対するまゆの逆上ぶりを見て、まゆとの関係性の中に愛などなかったことを知り、1人で絶望してしまう(まゆのバックグラウンドをハチバンはわかりようがないけれど、そこには思いを馳せずにあくまで1人で)。ハチバンがまゆに手をかけるシーンで「お前みたいな女が子供なんか産むな」みたいなことを言ってたと思うんだけど、自分への愛情を放棄した母親とまゆを重ねていることがうかがえます。受け取れると思っていた愛をまたしても受け取れなかった。
加賀谷は取り調べでハチバンに対して「その子に金をつぎ込むほど好きだったのに殺すほど嫌いになったのか」と聞くけど、ハチバンの中では母親やまゆに対する愛情と憎悪が表裏一体というか混ぜこぜになっていて、多分この感情はハチバンの中でも整理できていない部分なのではないかと思う。
そしてまゆに手をかけたことがきっかけで同じような容貌の女性、つまり長い黒髪の女性を次々に標的にしていくハチバン。ハチバンがやったことって、サイバー犯罪といえばそうなんだけど、個人的な憎悪に端を発したフェミサイドだと思いました。手段が特殊だっただけで。
また、最後の取り調べのシーンで、加賀谷はハチバンに、麻美と彼女を受け入れた誠を見て「感動した」と告げますが、最後ハチバンが県警の内部資料を手玉に取る、その引き金となったのはこの加賀谷の発言だったと思います。加賀谷は序盤で「自分は共感というものがわからない、でも理解したいんだ」という話をしていて、でも最後には麻美たちに「共感」できている。一方で、ハチバンが母親とのエピソードを打ち明けた時には、加賀谷は「共感」を全く示さなかった(共感どころか特に反応することもなくすぐ別の話題へと移行した)。
近しい部分があるとお互いに感じていた加賀谷とハチバンだけど、皮肉にもハチバンが最も親近感を感じていた麻美に対しては加賀谷が「共感」できた、という事実を目の当たりにして、なんとなく加賀谷からも突き放されたような感じに受け取ったのではないか。やはり自分は孤独なのだ、麻美とは違って生まれ変わるのは無理なのだと再認識したというか。
こうして考えてみると、ハチバンってひたすら孤立した存在で、彼の人生のどこかに本当の名前で存在できる場所があるべきだったのにな、と思うんですよね。「理解」し「共感」してくれる人がいてくれれば。人をあんなにも孤立させてはいけない、と思いました。
加賀谷は多分この先もハチバンを「理解」しようと頑張るんだと思うんだけど、その先にもし行くことができたら、つまり麻美に「共感」できたようにハチバンにも「共感」を見出せたらハチバンの人生にとっても救いになるのではないかなあ、と思います。加賀谷とハチバンの関係性は近いようでいて遠くもあって、それをどう詰めていくのか、という加賀谷のトライアルも見てみたい気がする。
その他思ったこと
ここからは取り止めのない感想箇条書きです。
・「ダブルトラブル」で辰巳くんを見たばっかりなので、初演時の佐藤健に限りなく近い加賀谷学とはまた違う佇まいでトライするのかな、と思っていたら、また限りなく佐藤健に近づいていて、加賀谷って佐藤健みたいなイメージだったんや……!と思いました。どうしてもなぜこんなにも恋つづ天堂先生なんや?ということが気になってしまって……、最初登場した時息を飲んでしまった(しょうもないことを考えていて申し訳ない…)。初演時より確実にふわふわだったと思います。
・後藤刑事、共感力と気持ちで行動する感じにとってもリアリティがあって、頼りになる先輩肌の人だとわかるのだけど、それを加味しても「麻美さんだけでなく、全ての女性と黒髪を守ります!」というセリフには違和感がある。そこは、後藤刑事が言うなら「全ての女性を守ります」だったのでは…?確かにターゲットになっていたのは「長い」「黒髪の」「女性」だったわけだけど、あえて「黒髪を守ります」っていう感じがなんかちょっと…個人的な違和感かもしれんが…。染めてる人以外は黒髪の人が多数を占めるし、黒髪の女性以外の人は被害に遭わないのか?というとそれもまだはっきり断定できない状況だったし。
付随して、初演時でも思ったことだけど美醜に関する表現が結構出てくる。「麻美さんって美人ですよね」「加賀谷さんは麻美さんとか興味ないの?」「ああ、きれいですよね」のようなやりとりとか、まゆの「うちブスやけど」とか。あと、小此木さんの「稲葉麻美、長い黒髪の美人OLだ!」とか、美奈代が麻美を「こんなに美しく生まれながら」って形容する場面とか。
美醜が実際にこの事件とか物語に関係があったかというとそうでもない割に、結構美醜にまつわるやりとりが出てくるのがちょっと違和感というか、描かれ方の差により拍車をかけているようにも見えるし、私はちょっとノイズに感じた。麻美の美容整形は重要なキーになる事柄だけど、それにしてもちょっと多い気がする。
麻美は、人に言えない過去、秘密を持ってはいるけれど婚約者がいて暮らしも安定していて他人から美人だと言われる。一方で、まゆは、病気の家族を支える必要があり、困窮していて、「うちブスやけど」と自分で言ってしまう。対比があからさまでアンバランスな気がしてしまう、実際の人間の人となりってもっと複雑なものだと思うから。「(ルックスが)美しい=良い」みたいなメッセージが暗に出てる感じがした。
・私はハチバンが金銭を払えないとわかったまゆが受話器を取って「トラブルです」と言った時、あ、その言葉を使わずにもう少し時間稼ぎをしていれば、もしかしたら違う運命だったかもしれないと思った。実際、困った状況、トラブルになった時には相手に悟られないような言葉を使って本部に連絡する、というのをSNS上で見かけたことがある。
じゃああの時まゆがハチバンに悟られないよう言葉遣いをしていれば?ハチバンがヤバいらしいと会社がもっと強く認識していれば。追い返して出禁にするだけでは危険なのでは?となっていれば。
前述していたように、明らかに立場が弱いのはまゆで、そこをしっかり守れるだけのセーフティネットがあれば、彼女が助かった可能性もあったんだよな、と思う。見ながら近頃起きた事件やサイバー犯罪の記憶がよぎったりもした。個人が”スマホを落とさない”ようにすることももちろんなんだけど、その他にもあらゆる「弱さ」につけ込まれないようにする構造を作る、という観点で考える部分がたくさんある。
・関係性オタクとしては、加賀谷とハチバンだけでなく麻美と美奈代の関係性も結構グッときたところがある。
麻美と美奈代って周りには窺い知れないような強い関係性で繋がれていて、入れ替わりの件はその最たる象徴として描かれていると思うけど、例えば美奈代が、外部からは“何となく鬱っぽい”と思われていた麻美のことを「人の痛みを自分のものとして感じてしまう、しかも実際の何倍も敏感に感じ取ってしまう」と説明したり、「姉妹のように寄り添って生きていた」と話したり。一方で美奈代は自分の人生を今まで麻美が自分にしてくれたことへの“お返し”として差し出す。2人の結末はとても悲しくてもっと他にやり方はなかったんか…?!と思うようなものだったけれど、2人は2人なりに、かなり深く理解し共感しあって、お互いがお互いの片割れであるかのように生きてきたんだな、と思いました。
・加賀谷は初演の時よりも、より一層体温が低い感じがしました。それでこそ、自分の得意分野に差し掛かるとやけに饒舌になって周りから「エッ?!」と思われる感じとか、最後に徐々に変化していく感じが際立っていたと思います。よくわからないヤツ感が増していたというか、加賀谷と周囲の温度感の差がよりはっきりわかった感じがした。ストーリーをガイドするようなセリフの時、瞬きしないで喋ってたのが印象に残ってる。見入ってしまいました。あと、より一層ふわふわパーマになっていました!!
・あの真っ白な舞台セットの中心に取調室があって、取調室の外にいる人がそりたった部分にいて、客席からも舞台上からも視線を集めるのが舞台の中心=取調室、という舞台装置が、ある程度舞台から距離をとった席で見た時にとても際立って見えた。取調室の中心に座るハチバンは客席からも、舞台上からも隅々から見られているのに、その実態を誰1人として見ることができない、そのパラドックスが表現されているのだなと思いました。
舞台「#スマホを落としただけなのに」
— 舞台「スマホを落としただけなのに」 (@sumaho_STAGE) 2021年6月14日
本日、千穐楽を迎えました。
昨年からの想いを乗せ、それぞれが役を生き抜き、
幕がおりました。
ご観劇いただいたお客様、
大阪公演来場をご予定いただいていたお客様へ、
厚く御礼申し上げます。
ありがとうございました!#スマ落 カンパニー一同より pic.twitter.com/7I1OrdWaj9
・私いまだに映画『ジョーカー』を見ていないのですが、ハチバンの表情を見てなんとなくジョーカーみたいだな、と思ったので今度見てみようと思います。文ちゃん、目の演技が凄かったな〜改めて。見ているようで何も見えていない感じの目だった、めっちゃ良かったな〜〜。
・初演時に舞台上に徐に横になるハチバンとガッツリ目が合うという体験(?)をしたのですが、今回そういった場面がなかったので会場が変わったから演出が変わったのかな、と思いました。私が初演時に幻を見ていたのかもしれませんが……。
・カーテンコール、1回目は役のままで出てきて2回目以降は素に戻って出てきてくれたのですが、素の表情の安心感たるや!ずっと緊張感のあるシーンが続くから、最後の最後にやっとキャストの皆さんの表情が見られて安心しました。早川聖来ちゃんの華やかなかわいらしさと、文ちゃんのちょっとおどけたような笑顔と、辰巳くんのキリッとしてるけど加賀谷とは違う表情が印象に残っています。
・千駄ヶ谷駅から会場の日本青年館ホールに向かおうとしたのですが、国立競技場周りの工事の都合で広範囲に封鎖されており、「未満都市(キンキ主演ドラマ)」みたいだな…と思った。Google Mapの道順で行こうとしたら通れなくてかなり焦りました。久々に全力で走った。
・パンフレット、絶対買ったほうがいいですよ!初演時の舞台写真が見られるのと、スペシャルトーク部分のページ・写真もめっちゃ良い。舞台写真は、「え!こんなに大事な場面を!」となるカットもある。初演時の舞台写真と今回を比べて加賀谷のパーマふわふわ度の比較などもできるよ!ちなみにアンコール上演の時のほうがふわふわ度もアップしてたよ(2回目)!パンフは7月15日まで通販受付するらしいよ!
🚨舞台「#スマホを落としただけなのに」公演パンフ通販受付中!
— 舞台「スマホを落としただけなのに」 (@sumaho_STAGE) 2021年6月27日
■注文締切:7/15(木)23:59まで
⚠️在庫売切れ次第販売終了https://t.co/qmXDeup3w7
💭出演者へのQ&Aページの質問内容ご紹介✨
📲忘れ物エピソード
📲スマホに最も多く入っている写真は?
📲#スマ落 公演の見どころ#辰巳雄大 #浜中文一
辰巳雄大くんの新しい主演舞台が楽しみ!
・「スマホを落としただけなのに」の余韻に浸っている合間に、辰巳くんの次の主演舞台「ネバー・ザ・シナー -魅かれ合う狂気-」が早くも発表されましたね!林翔太くんと恋人同士の役、なおかつ「スリル・ミー」と同じ題材を扱った舞台ということでめっちゃ楽しみです。「スリル・ミー」まだ見たことないけど、ストーリー見ておもしろそうだなと思ってた。「Never the Sinner」の戯曲とオーディオブックで予習する!(英語をどれだけ理解できるかは自分の根気と努力にかかっている…)
ティザーの雰囲気が良すぎるんだよな……ありがとう……。期待…!!!
改めまして…
— 公式│ネバー・ザ・シナー -魅かれ合う狂気- (@nts_stage) 2021年6月27日
『ネバー・ザ・シナー -魅かれ合う狂気-』公式アカウントです。
NTS-TIMES社の記者たちが皆様に最新情報をお届けいたします!
▼公演詳細はこちらhttps://t.co/h8lpSDG6OO#辰巳雄大 #林翔太 #荒木健太朗 #前島亜美 #山岸拓生 #姜暢雄 #磯部勉#ネバシナ
5月病とミルクティー
心の声が「つらい・だるい・しんどい」で溢れてきたのでおそらく5月病だと思う。私の場合春めいてきた3月末からジリジリとこの兆候が現れるのでもはや345月病だと思う。ちょっとしたこともないのになんだか落ち込んでいるし、思うように振る舞えないし、聴きたい曲も特になくてお気に入りのプレイリストのどの曲もピンとこない。どの曲も好きなはずなのに。
友人の結婚式に参加して、心からおめでたいと思っているのにその儀礼的な雰囲気に飲まれ、慣れないヒールを履いて足が痛くなり、仕事では以前よりさらに希薄になった社内コミュニケーションに息が詰まり、追い討ちをかけるようにしてLGBT法案関連の会合における議員の心底びっくりするような発言に打ちのめされてしまうなど様々な外的要因もあり、疲れ気味の春から初夏を迎えています。
“5月病”という言葉がわざわざあるくらいだから、おそらく同じように、あるいは私よりもっとお疲れの方もいっぱいいらっしゃるんだろうな……、ただでさえ春はしんどいのに世間でもコロナとか休業要請とか色々なことがあるし。本当にお疲れ様です。
人生の中でいちばんメンタルが落ちていた数年前、夏フェスに行ったのになんだか心がついて行かずに1組だけ見て1人で帰ったことがあり(一緒に行った友人にはとても申し訳ないことをした)、その時の自分の状態とやや似ていて心身「あ、ちょっとやばい」と思ったので寄り道・息抜きを心がけるようにし始めました。ジャニーズ、タイ沼といったもはやルーティーンになっている推しごとの他に、ちょっと寄り道して特別な気分になる、をやってみる。
その寄り道の1つが、「『チャバディ(Chabadi)』に行く」。東京・原宿の「チャバディ」といえば、タイのBLドラマ「SOTUS」のアーティット先輩が日常的に飲んでいる飲み物・ピンクミルクを売っているティースタンドで、ピンクミルクだけでなくタイの紅茶、ハーブティー、ミルクコーヒーなど様々なバリエーションのドリンクを提供しています。ドラマ「SOTUS S」の中で仕事前や休憩時間にドリンクスタンドでピンクミルクを買って飲んでいるアーティット先輩やアーサ先輩の息抜きスタイルを真似してみよう、と思ったのでした。
↑以前飲んだチャバディのピンクミルク
以前ピンクミルクがどんな味か知りたくて休日に行った時にもかわいいお店だなあ、と思っていたのですが、今回メンタルがずたずたの状態でお店に行ったらなんだか「チャバディ」の中だけ原宿の空気とは違っていて、すごく落ち着いていておしゃれで可愛くて、異空間に来たような感じがしました。ゆったりとした海辺に来たようなリラックスした感覚。タイの空気なのかしら、わからないけど。原宿の他に江ノ島にもお店があるそうですね、江ノ島のお店もすごい良さそう。
お店の方がドリンクを作ってくれるのを座ってぼーっとしながら待っているだけでふわっと心が軽くなるような感じがしました。
↑お粥とピンクミルクをコングポップに持ってきてもらったアーティット先輩(SOTUS EP.6)
前に飲んだピンクミルクは、自分の経験の中で近いものを探すならかき氷の苺シロップに近いようなフレーバーで、飲むとひんやりとした感触とガツンとした甘さが同時に口の中に入ってくるような感じ。一口飲むごとに新鮮な甘さがやってきて、アーティット先輩って予想していたよりもめっちゃ甘党なんだ…!と体感しました。でも、太陽の照りつけるタイの暑さの中で氷を溶かしながら飲んだら、この甘さも冷たさもより一層心地良いのかもしれないな〜と思った。
チャバディカー🙏
— Chabadi (@Chabadi_) 2021年4月15日
不動の人気No.1は、やっぱりミルクティ🏆
香り高いタイの茶葉にオリジナルスパイスを加えて、コンデンスミルクで仕上げます。
茶葉を何度もお湯に潜らせて、踊らせて、濃い濃いお茶になるのです。
タイといえばこの味🇹🇭ぜひぜひ召し上がれ😋 pic.twitter.com/MjrtC0jF0z
今回はミルクティー“チャーイェン”をオーダー。紅茶にコンデンスミルクが入っているドリンクですが、程よい甘さで後味すっきり。紅茶がすっきりしているのか、コンデンスミルクがすっきりしているのかはわかりませんでしたが、甘みはあるけど爽やかな感じのミルクティーでした。スパイスが入っているらしく、それで爽快な感じがあるのかも。普段はあんまり甘いミルクティーを飲まないのですが、これならずっと飲み続けていられるな、と思いました。疲弊した心身に優しく染み渡る感じがする。
ミルクティーのおかげでかなり癒されました。素敵なお店なので、元気があってもなくても、またふとした時に「チャバディ」を訪れたいな、と思います。
ちなみに「チャバディ」のサイトを見ていたら「Carnation」のコンデンスミルクの写真が掲載されていて、Singtoさんがこの前の「Live At Lunch SS2」で使っていたものと同じメーカー?ということに気づき、さらに嬉しくなりました。パンケーキをコンデンスミルクでひたひたにしていたSingtoさんはとってもチャーミングでしたね。
タイドラマ Who Are You เธอคนนั้น คือ ฉันอีกคน - “私は誰?”を探す物語
GMMTVのタイドラマ「Who Are You」をYouTubeで完走しました〜!!Namtan主演、Krist、Kay、Janがメインキャストの「Who Are You」。すごい集中力を要するドラマだった……。視聴している間ずっと心が「Who Are You」に持っていかれっぱなしでした。
ざわざわしたり、学生時代のことを思い出したりしつつ、登場人物の気持ちや人間模様を考えながら見ているとどんどん引き込まれていった。主演のNamtanがとにかく超良かったです。一人二役こなすだけあって、表情の振り幅や身にまとう空気の変化がすごい。
あとKristくんは泣きの演技の引き出しが多彩でびっくりした。涙の粒の大きさとか流すスピードまで計算してるんか?というぐらい感情の波にピタッとハマっていて感動しました。
ただ、物語の重要な部分を担う要素の1つである“いじめ”の描写が残酷で、いじめの場面があると知ってて見ていても結構辛かったです。何らかの“フラッシュバックを起こしてしまうかもしれない”と思う方は無理せずに見るのをお休みする、不穏な雰囲気になったら音声なしで倍速で見る、飛ばす、もしくは視聴をストップした方がいいと思いました。
でもEP.1の冒頭からまさにそのめっちゃ苛烈な場面なんだよな……。トレイラーにもいじめの場面が映ってるし。かなりリアルだしショッキングだと思います。
特にEP.1は、「自分は大丈夫!」と思う方でも、ある程度心に余裕と覚悟を持って見た方がいい、と私は思う。疲弊してる時に見るとしんどくなっちゃうと思うので(いじめの描写が出てくるEPは主にEP.1、EP.6。でもリフレイン的に他のエピソードにも結構散りばめられている)。
魚醤や小麦粉を頭からかけられる場面もすごい嫌だけど、あの教室の隅のカーテンに隠れていじめっ子がマインドを取り囲むシーンもものすごく嫌〜〜〜な感じに演出されていて、とっても心がえぐられた……。
「Who Are You」は韓国のドラマ「恋するジェネレーション」をリメイクしたドラマですが、「恋するジェネレーション」の1話を見た限りでは、同じいじめの場面を比較するとタイ版の方がさらに陰惨な雰囲気になっていると感じました。やってるいじめの内容はどちらも酷いんだけど。
でも、最初に書いたように“いじめ”は物語の中の1つの大事な要素なのであって、”いじめ”が主題というわけではありません。「Who Are You」では「自分自身にどう向き合うのか?」ということを、様々なキャラクターを通して描いている。いじめや学校における人間関係をはじめ、大事な人の死や、自分の将来、子供の将来、親との軋轢など、それぞれ問題を抱える登場人物が各々自分のアイデンティティってどうやって自分のものにするんだっけ、ということを模索していく物語だと思っています。
※ここからはネタバレしながら感想を書いていきたいと思います。ちなみに、この「Who Are You」、初めて見る際はネタバレ回避した方が絶対に良いと思うので、もしまだ見ていなくて気になっている方はぜひまず見てみてください〜!EP.18まであって結構ボリューミーですが、全部YouTubeで見られるし、ほぼほぼ日本語字幕をつけてくださっています!とってもありがたかった……。ありがとうございます。
予告からして不穏というか怖いんだよな〜。ちなみに私は視聴前に予告映像を見た時に一旦回れ右しました……。怖がらせるわけではないんですけど、ちょっとやっぱりいじめの描写が凄くて……。
でも見所も、考察しがいもある良い作品なので、平気な方にはぜひおすすめしたいです。大事なことなので先に言いますがKristくんの役はかわいいです。心の癒し。
〈あらすじ〉
高校生のマインドは、ティダーをはじめとするクラスメイトから執拗ないじめを受けていた。周りの同級生からは無視され、ティダーの策略によって学校側からも退学を言い渡される。絶望したマインドはある日川の中に身を投げてしまう。しかし、マインドは奇跡的に命拾いし、今までの記憶を一切失った状態で病院で目を覚ます。病院に駆けつけていた周囲の人々からは「ミーン」と呼ばれ、マインドは自身の記憶を失ったまま「ミーン」として生きていくことに。実は「ミーン」は、生き別れになっていたマインドの双子の姉だった。
母親や友人、幼なじみのナティーですらマインドを「ミーン」だと信じて疑わない中、幸せな新生活を送っていたマインドは徐々に自身の記憶を取り戻し、過去の苦しみも思い出していく。全てを思い出したマインドはどうなるのか、ミーンはどこへ行ったのか。そして、ミーンが抱えていた問題や、ミーンの友人たちとマインドとの関係性はどうなっていくのか。
〈主な登場人物〉
・マインド/マニタ・エウラック(Namtan)
プラチンブリの孤児院で暮らす高校生。孤児院で一緒に暮らす子供たちの面倒を見るなど、思慮深い性格で優しい。一方で、正義感が強く、間違っていることや困難なことに対しては真摯に向き合おうとする。ピンクとかふわふわしたものが好きで可愛らしい感じの女の子。ミーンは双子の姉。
・ミーン/ミーンナラ・ナンニチソパー(Namtan)
バンコクで優しい母親と2人で暮らす高校生。何においても物事をはっきりと言う性格で、不快な時はためらうことなく不快感を表す。イライラしているように見えることも多いが、芯の通った性格でクラスメイトからは慕われており、友達も多い。思ったことをはっきり言う感じがかっこいい。あとメイクもマインドよりもしっかりめで、友達とおそろコーデするなど年相応に高校生活エンジョイしてる、どっちかというとイケイケな子だと思う。マインドは双子の妹。しかしNamtan一人二役とか本当に信じられんな……。マインドとミーン全く違う人に見える……。
・ナ/ナティー・ワナチャレン(Krist)
ミーンの10歳の時からの幼なじみ。水泳の選手として一目置かれている存在。実は子供の頃は水が怖かったが、ミーンのおかげで水への恐怖を克服し水泳選手を志した。ミーンのことが好きで、よくミーンの頭をぐしゃぐしゃなでる。そして手を振り払われる。ミーンから冷たくあしらわれていても、幼い時から性格をよく知っていて仲も良いため特に気にしない。っていうか常に冷たくされているのでそうじゃないとむしろ「え?」となる。父親と2人で暮らしており、父親思い、なおかつ優しい性格で素直。
物語の不穏さを和ませてくれるような存在、まじで。ナティーが登場するたびに癒されたわ……。
・ガン/ガンカン(Kay)
ミーンやナティーのクラスメイト。同級生からは変わり者扱いされており、授業中は突っ伏して寝ている、ランチは1人で食べるなどクラスからは浮いた存在。ひょうきんに振る舞っているが、素の感情をなかなか見せない。学園の理事長の息子だが、同級生には隠している。幼い時に両親の離婚を経験しており、父親に対して良い感情を持っていない。“クラスに誰も本当の自分を知っている人がいない”という共通点からマインドと仲良くなり、マインドを好きになる。おどけたりふざけたりしているように見えるけど、実は人のことをとてもよく見ている子。もし少女漫画だったら絶対この子と主人公が恋に落ちるパターンになると思う。さりげなくマインドのことを助けてくれる感じとか「えっ、これは好きになるの不可避やろ」と思いながら見てた。「(ミーンとして生きるなら)もっとミーンらしく振る舞えよ」ってマインドに言ったところ、マインドの性格もわかりつつ鼓舞してる感じがあってめちゃめちゃよかったな……。
・ティダー/ティダー・トライウィサクル(Jan)
プラチンブリの学校でマインドをいじめていたリーダー格。父親が検事で権力・財力を持っている。プライドが高い。マインドに対するいじめが容赦なく、執拗かつ陰湿。マインドを貶めようとすることへの執着心がまじですごい。病院でマインドを見るだに髪の毛を引っ張りに来たシーンはびっくりしちゃったよ……。どんだけマインドに対するアンテナ敏感なのよ…。明らかに怪我して弱ってる人の髪の毛引っ張らないだろ、普通。あのティダーのいじめる時の表情の迷いのなさと、ドーパミン出てる感じがすごい怖くてJanすごいと思いました。
マインドの“生の肯定”を獲得する
ティダーがマインドに向かって言い放った「あんたがあんただから嫌いなのよ、マインド」という言葉に象徴されるように、マインドは自分の存在を否定され続けてきて、心の拠り所がなかった。「あんたがあんただから嫌いってなんやねん」と思うけど、マインドが存在していること自体が許せないってことなのでしょうね。
マインドは孤児院でもみんなのお世話をするお姉さん的役割を果たさなくてはならなかったし、いじめっ子グループの他の同級生は見て見ぬふり、先生も助けてくれない。どこにも自分を解放する場所がなかったから、自分自身で自分の生を否定しようとした。“マニタ・エウラック”の名札を投げ捨てるところが印象的でした。
雑誌「タイドラマガイド『D』vol.2」(2021年3月末発売)の「Who Are You」の紹介ページには、「愛と再生の青春ミステリー」という見出しがついているけど、まさに「Who Are You」は”再生”の物語だと思う。この物語で問われているのは、無視され否定され続けてきた“マインドの生”をどうやって取り戻していくのか?というところ。
マインドは奇跡的に一命を取りとめて、ミーンとして文字通り新たな人生を歩み始めるかと思いきや、すぐに失っていた記憶が蘇ってくる。記憶を取り戻した時のマインドの絶望に満ちた表情を見ていると、周りの人から愛されているミーンとしての幸せな暮らしと本来の自分との対比が乗っかった分ものすごく苦しくなったんだろうな、と思った。記憶が戻ったことで「ママにも、ナティーにも、ライラやキャットにも、愛されていたのは“私”じゃなかった」ことにマインドは気が付いてしまった。
そして、ミーンの墓前でマインドがクワンさん(ミーンのママ)に全てを打ち明けた場面でも“マインドという存在”が問われている。というのも、あの時点では「川から救助されたのはミーンではなくマインドで、ミーンは亡くなっていた」ということが判明したところ。
クワンさんの選択肢としては「マインドを家族として連れて帰る or not」だったと思うんだけど、そこでクワンさんは孤児院に戻るマインドと一旦別れてから、思い直して「ミーンとして一緒に暮らしてほしい、私にとってはあなたはミーン。私たちはお互いのために一緒に生きていこう」と言って引き留めるんだよね。
私としては、「いや、一緒に暮らすのは良いし気持ちはわかるけど、“ミーン”としてじゃないとダメなの?」というところに引っかかりました。「マインドはミーンの家族なんだし一緒に暮らすならマインドとして引き取って暮らせば良いじゃん……?マインドもプラチンブリからは離れられるわけだし……」と思って。双子の姉妹だとは言え、そしてクワンさんがマインドにミーンを重ねるのも仕方ないとは言え、「身代わりになってくれ」というのはなかなかにすごい発言だと思った。
まあやっぱりそこはいきなり娘をいきなり失ってしまって気持ちの整理がついていなかったから「ミーンになってほしい」って言っちゃったのかな。大切な人を亡くしたばっかりだったから混乱してたのかもしれません。後々マインドに対して「あなたの気持ちを考えられなくてごめんね」って言ってたし。それに、マインドと過ごした時間もクワンさんにとってはミーンと過ごした時間と同じように大切なものだったのだとも思う。
でもな〜〜、それでも、自分を助けようとして亡くなってしまったミーンの身代わりをしながら生きていくなんて、マインドに「苦しみながら生きてくれ」って言っているようなものじゃん。マインドにとってはミーンの死に対する十字架の重みと24時間365日向き合わなくてはいけないことになるし(身代わりにならずともそうかもしれないけど)、本来の自分のことは嫌だったこともそうじゃなかったことも全て封じ込めないといけない。
マインドは生き残ったけれど、マインドとしての生は否定されたわけですよね。クワンさんが言ったことって突き詰めて考えると「ミーンの死は肯定できないけどマインドの死は肯定できる」ということになってしまう。
ただ、振り返ってみれば、「ミーンの身代わりとして生きる」というこの時の選択は、一度自分自身で生きることを否定して限りなく”死”に近い状態を経験したマインドが、「マインドの生をどう肯定していくのか?」という“再生プロセス”の始まりの地点だったと思う。つまり、自分をあえて封じ込めて「ミーン」として生きることで、むしろ浮き彫りになってくる「マインド」という人間を自分で振り返るための時間、マインドが自身と向き合うための時間になっていた。ミーンと自分の違うところを日々発見しながら、自分のアイデンティティと向き合っていたんじゃないかな、と思う。
マインドとミーンは双子だから姿形はそっくりだけど、話し方が違う、好きなものが違う、書く文字が違う、得意なことが違う。周りの人々から聞こえてくるミーンの人となりや特徴を知っていく内に、マインドは自分自身のアイデンティティもよりはっきりと意識するようになったんじゃないかな〜〜と思うんですよ。
だからこそ、最終回でナティーに対して「私はナティーが好き」って言えるようになったし「自分に向き合う時間がほしい」と言えるようになった。多分以前のマインドだったら“自分に向き合う時間がほしい”なんてとても考えられなかったと思う。それどころじゃなかったから。
マインド、こうして書き出してみると何回も何回も存在を否定されてきていてなんか本当に腹立たしくなってくるな……!ナティーですら途中で否定するしな〜〜〜(EP.13参照)!!!自分の怪我と、ミーンが実は亡くなっていたっていうショックと、マインドがミーンに成り代わっていたっていうショックでトリプルショックだったナティーの気持ちも痛いほどわかるんだけども、自分を気にかけているマインドに向かって「僕たちはなんの関係もないでしょ」って言うのはひどいよ……。本当に本当にめちゃめちゃショックを受けてしまった……。視聴当時の私のスマホのメモに「ナひどーいひどーい、マインドだって関係あるやろひどーい」っていう語彙力0のメモが残っていた……。
話を戻すと、そんな中でも、ミーンだけは本当に最初から最後までマインドの存在を肯定し続けた人なんだよね。マインドが自分と向き合っていくには、「私にはP'ミーンがいる」っていう心の支えも大きかったんだと思う。
ミーンはマインドが孤児院で暮らしている時にずっと贈り物を送り続け、水中からマインドを救い出し、マインドに自分の代わりに幸せな生活環境を与え、マインドをいじめていたティダーに立ち向かった。だからマインドの1番の心の拠り所はミーンだし、その逆もまた然り。
ミーンは、“クワンさんに引き取られるはずだったのはマインドだった”という思いが心の底にずっとあって、「マインドもどうか幸せに生きていてほしい」という思いが自分が生きていく上での心の拠り所になっていたし、今後もその思いがずっとミーンの中にはあり続けるのだと思う。
ちなみにミーンがガンに対して「あんた妹のこと好きなのよね?めっちゃわかりやすい。妹のこと追っかけてるの嫌なんだけど。マインドの気持ちは聞いたの?」ってわざわざ聞くところ、ミーンがマインドのこと本当に大事に思ってるんだなってことがわかるのと、笑っちゃうぐらい容赦無い言いようがとても好きです。笑った。ミーン、マインドのこと超心配してるじゃん。予防線張ってるじゃん……。言いたいこと言って勝者の笑みを浮かべながら去っていくミーン好きだわ。
“自分は誰なのか” という問い
マインドの自我への問いがメインなのはもちろんそうなんだけど、その他の登場人物もみんな「アイデンティティと他人からの承認」を模索している。つまり自分が自分であるための拠り所をみんな求めている。
例えば、序盤で登場するミーンのクラスメイトのコイケオは「人の目に自分という存在が映らないということ」に対して葛藤を持っていて、人からの注目を集めるために金銭でどうにかしようとしていたら、いつしかクラスメイトからATM扱いされるようになってしまった。
また、ナティーは幼い頃の自分のトラウマを克服したことで、自分の生きる道筋となった「水泳」に自らの全てを捧げていて、周りからも水泳選手としての期待を集めている。だからこそ、怪我によって選手生命が揺らいだ時に「水泳」という自分のアイデンティティを失いそうになっていることに対してひどく絶望してしまう。
ガンは親からの愛情や承認を心の底では渇望しているけど、溝が深すぎて全く親のことも周囲のことも全く信用していない。そして自分自身のことも空虚な存在、嘘にまみれた存在だと思ってる。
その他にも、教育ママのほぼ言いなりにならざるを得なかったピートや、ずっと憧れていたモデルの夢を叶えるために撮影に臨むも思うようにいかず、ナティーの方が良いポジションにいることに対して失望してしまうキャットも、自分を見失いそうになっている様子が描かれている。不正に手を染める学園長(ガンの父親)も元々は良い教師だったのに保身に走ったが故に、従来の自身の教師像からはかけ離れた教育者になってしまう。
この、それぞれの自我の揺らぎや喪失、取り戻そうと奮闘するところがすごく丁寧に描かれているところが「Who Are You」のいいところだと思います。自らと向き合うことの痛みをみんなが感じている。
で、じゃあティダーの自我ってなんだったんだ?と考えてみると、ティダーって自分が思っている以上に「自分の思い通りに物事を進める」ことが障壁なく、スムーズすぎるほどにできてきた子なんじゃないかと思うんですよ。ママは娘のやることなすこと全肯定だし、パパもさりげなく娘がせがんできた謎の筆跡鑑定してくれるぐらいだから権力使って色々アシストしてくれるし。しかも成績も良い。そして歯向かうと色々と怖いのを知ってるから、学校の同級生も先生も言うことを聞いてくれるし、取り巻きになってくれる子だっている。だから、自分が思っている自分こそが正しくて、それが揺らぎようがなかったんじゃないかな。
そんな中で、最初に抵抗してきたのがマインドだった。ティダーがマインドに向けて放った「あんたがあんただから嫌い」っていう言葉を因数分解していくと、ほとんど拒絶に近いというか、存在そのものが受け付けないっていうことですよね。マインドっていう存在を排除しないと自分の思い通りにいかなくなるし、自分という存在が揺らぐから。
でも、皮肉なことに、マインドと対峙するようになってから、ティダーは自分に執着すればするほど、より強く、誰よりも憎いはずのマインドのことを意識している。鶏が先か卵が先かじゃないけれど、目的と手段が入れ替わってることにティダーは気がついていない。そのせいで、ティダーのやってることって明らかにどんどんズレていて、本人にとっても無意味なことをやっているのにそれに全く気がついていないんですよ。
だって、あれほど疎ましく思っていたマインドは自分の目の前からいなくなったんだから、それをわざわざ探し出してみんなの前で晒すその労力、ティダーの人生に必要なくないですか?あんなに富も知も持っていて。しかも、マインドを追い詰めたのは自分なのに、そこでマインドが実は生きていたって判明したら一番困るのはティダー自身だってなんでわからないんですかね?
しかも、誰もがマインドはすでに亡くなっていると認識していた中で、「いや、マインドは絶対に生きてる!ミーンがマインドだ!みんなの前で暴露して追い詰めてやる!」と躍起になってたティダーって、マインドの生をある意味誰よりも信じていたってことですよね。でも、ティダーが言っていたように最終的にマインドが生きていて、ミーンに成り代わっていたことが明らかになっても、ティダーの思惑通りの結果にはならなかった。
ティダーは“自分が正しいと思っていることが全てではない”ということをもっと早く誰かから教わっていればもうちょっと違う生き方ができたんじゃないか、と思う。
そして、それを最初に教えたのがマインドであり、その次にミーンだった。マインドの真っ向勝負のアプローチとミーンのアグレッシブな”てめーには負けねえぞ”アプローチ、この両方があって、最後に若干ティダーに変化の兆しが見えるようになったのでは?不器用なりにマインドに向き合おうとしたのは、ティダーにとっては大きな進歩だったと思う。
ただ、ティダーがこれまで失ったものはあまりに大きいし、マインドもその他の人たちも、ティダーのせいで本当にたくさん傷ついた。そして物語が終わる時点では、ティダーはまだ謝れなかった。謝れば良いということでは決して無いんだけれど、彼女にしっかり向き合える立場の人がちゃんと向き合わないことには、本質的に何が間違っていて、何がティダーにとって必要だったのかを理解するのは中々難しいのではないかな。ティダーが自分とちゃんと向き合える日が来ていると良いな、と思う。
付随して、「Who Are You」では、安直な理由づけがなされていないところがとても良いと思ってる。端的に言えば、「ティダーには心の闇があったからいじめに走った」的な描き方がされていない。
実際には心の闇もあったのかもしれないけども、悪は悪として描き切ったし、ティダーの弱さも「それはそれ」として描かれている感じがした。ティダーに限らず、人間性を構成する複雑で色々な側面を、なるべく単純化せずに複雑なままで描こうとしているところがとても良かったな、と思っています。
前述したことと矛盾するかもしれないけど、例えばクワンさんがマインドに対して「ミーンになってくれ」って言ったことも、全く合理的じゃないし納得はできないんだけど、なんか理解はできるというか、「めちゃくちゃなことを言ってしまう心理状態ってあるよね」というのがわかる描き方になっていると思う。
その他 思ったこと
・いわゆる“その他大勢”の描き方もすごく印象に残っている。1人1人が言ってることはたいしたことないんだけど、大勢で誰かを糾弾したりいじったりする時の暴力性とか、大勢で無視する、無関心を貫くことの消極的な攻撃性とか、集団になった時ならではの残酷さがありありと伝わってきた。物語序盤でひと段落しちゃうから忘れがちだけど、コイケオに対するクラスメイトの不誠実さってすごくないですか?ライラもキャットも、先生との面談でコイケオに金銭を求めたことなどないかのように平然と嘘を吐いている。直接は関係なくても、無関心でいることや、大勢になんとなく同調することが誰かを弾き出すのにとても有利に働くということがよくわかる。
・ミーンのママ含め、きっぱり強めな母親がたくさん出てくる。個別指導の集い?ママ会のシーンが度々出てくるのですが、集っているママがみんなキラキラしていてみんな主張が強い感じ。お金持ちが通う学校という設定なのかな。
・ぬいぐるみが好きでふわふわ笑っているマインドがめっちゃかわいかったです。あの図書館でナティーと2人で喋ってる時のピンクのふんわりニットも「THE マインド」な感じがしてかわいかった。マインドは泣いてる場面がとても多いので、屈託なく笑ってるとそれだけでもう「安心する……」となった。
・ミーンの登場シーンは割と全部好きですが、ナティーから頭を撫でられようとした時に跳ね返したり頭をどつき返したりする時の瞬発力が「仲良しなんだな〜」ってわかる感じの間合いでよかったです。ミーンの立ち振る舞いを見ていると、自信があって、誰が見ても魅力的な女の子って感じがする。みんなから信頼されて好かれているのが納得できると思った。
・ナティーはミーンに対してふにゃふにゃ喋ってる時と、マインドに向ける優しい眼差しと、お父さんとおうちでご飯食べてる場面がいつもめっちゃかわいかったです!ざらついた心に癒しをくれてありがとう。ミーンに対して「僕の片思いにさよならを言いに来た」って言った場面を見て、ナティーって本当に誠実で一途な子なんだなと思ったし、それに対して「私も一度自分に対して問いかけてみたの」って返すミーンもまた誠実で良かった。
・Namtan & Janのコンビネーションが好きだったので、今度がらっと変わって仲良しな役柄も見てみたい。親友とか、恋人同士とか、先輩後輩とかも良いね。ポップでハッピーなドラマでまた共演してほしい。
何度この気持ちを飲み込めば
何度この気持ちを飲み込めば良いんだろうか、と思った。
Paraviオリジナル番組の「A.B.C-Zの1000本ノック」の新企画「えび銭湯」を見た。A.B.C-Zのメンバーが現役ジャニーズをゲストに迎えて銭湯を訪れ、お風呂の中で“全員タオルなし”で赤裸々トークが展開されるというもの。初回のゲストとしてふぉ〜ゆ〜の辰巳くん・福田くんが登場した。
番組の情報がリリースされた時点で「タオルなし」と書いてあったとは言え、湯船に浸かってMC・ゲストがトークを繰り広げる、いわゆるテレビの温泉ロケ、銭湯ロケのような形で番組が進んでいくものだと思い込んでいた。甘かった。裸であることを強調するようなアングル、あえて全身を映すカット、雑なモザイクのかけ方、「銭湯のぞき見トーク」というタイトル。朝配信だったので最初は「朝風呂だ〜」とか言いながら呑気に配信を見始めてしまい、朝から暗澹たる気持ちになった。もっとちゃんと告知文を読んでおくべきだった、と今振り返って思う。
有料の会員制サイトの配信だから、見たい人が見るものだから、とかそういうことではなく、倫理的にアウトすぎる。10代のファンが家族と一緒に見る可能性だってあることを制作者は考えたのだろうか。また、ほぼ裸の映像が広くネットにアーカイブされることの、被写体への影響を配慮できなかったんですか?
番組途中で展開された、体の見せ合い・比較のやりとりも見ていてキツかった。修学旅行のお風呂の中で友達同士でやってるならまだわかる、でも広く世の中に向けて放送される番組の中で、ごくプライバシーであるはずのやりとりを開けっぴろげに(なおかつそれがあたかも見所であるかのような体裁で)見せられるとキツい。身体的特徴のいじりのようなやりとりではなかったけれど、「コンプレックスも曝け出そう、“赤裸々トークなんだから”」みたいな制作側の意図みたいなものを感じ取ってしまってしんどかった。“現役ジャニーズを脱がせたら面白い”みたいな意図が透けて見える。つらい。
トークの内容そのものは、今まで聞いたことがないような4人の話も登場して、聞き応えがあってとても面白かった。ただ、映像があまりに配慮に欠けていて、気持ちが削がれていた。
番組に関しては、100歩譲って“タオルなしで撮影する”というコンセプトはそのままだったとしても、撮影の仕方もそうだし、映像にした時の編集の仕方で演者に配慮してほしいです。全身が強調されない映り方にする、モザイクをしっかりかけるなど。番組は“背徳感”を謳ってるけど、私は見ていて途中から搾取に加担している気持ちになった。ファンが喜ぶだろうと思ってあの映像が完成したのであれば、そこは再考してほしいです。
こういうことを書くと「嫌なら見なければ良い」って言われそうですが、この形式が続くならもう見ないんですけどね。でも、推しが出演しているものをファンが見たいと思うのって当たり前のことじゃないですか。で、推しが出ているコンテンツを安心して見ていたいっていうのも当然だと思うんですけど。推しが出ている番組を楽しく見たい、ただそれだけ。
推しが出演、って書いてあるだけで、私はファンだから嬉しいんですよ。活躍してるなあ!って思うんですよ。でも、彼らの「活躍」の一つとして、この番組をやらなきゃいけなかったのか、って考えると色々、色々思うことがある。彼らが自らの意思で、同意してやっていたとしても。
だって裸で映す必要ないんだもん。そうしなくたって面白くなる方法いくらでもあるし赤裸々トークだっていくらでもできるし、センセーショナルにしたければそれこそ演出とか編集とかでどうにだってできたはず。演者を大事にしてください。
また、今回の番組からは少し逸れますが、この他にも推しが「テレビや配信番組に出演!」のお知らせを見て喜んで、実際に番組を見ていじりや自虐ネタでフォーカスされているのを見るっていう流れが多いなと感じています。
プロモーションのために必要なんだな、と思って今まで見ていたけど、セールスポイントは他にもあるはずなのになんで自虐ネタとか下ネタみたいなフォーカスのされ方が多いんだろう。ファンとしてどういう気持ちで見ていれば良いんだろうか、このもやっとした気持ちを何回飲み込めば良いんだろう、と思う。