服を着る in TOKYO

ファッションとエンターテインメントについてふわふわ語る

アイドルを「推す」行為と「消費する」行為は切り離せるのか

ふと考えていたのだが、アイドルとファン、という形でしか恐らく推しとは出会えなかった。たとえば、推しと大学のクラスが一緒だったとしても、少し話したくらいでお互い名前もよく覚えていない人、みたいな感じで終わるような気がする。関係ないけど、大学のクラスってめっちゃ仲良くなるところと、フワッとした関係性で終わるクラスあるよね。私はフワッとしたクラスにいた。

人生の中で築いてきた関係性の中で、自分にとって濃かったと思える関係性を構築することは希少だ。大学卒業前にやった単発の試験官バイトで、私のことを年下だと思って気さくに色々教えてくれた男の子や、たった2週間の短期留学で一緒にタイに行った先輩後輩といった、関わりが少ないのにどことなく覚えている人から、何かの飲み会にいた人、取引先のレセプションでたまたま会った人、みたいな曖昧すぎる記憶しかない人まで、私の記憶のレイヤーの中には無数の人が実は存在している。

でも、絶えず思い出し、何年にもわたって劇場やホールに足を運んで会いに行っている推しとの関係性は、一方的ではあるが私にとっては濃くて大事なものだ。このアイドルとファンという関係性があって、推しと出会えて、本当に嬉しいし幸せだと思う。SNSやインターネットを使った活動も増え、私の推し活はとても充実しているし、現場に行けない日々が続いてもなお、労働のモチベーションや生きがいになっている。コンテンツを絶えず発信してくださる皆様、本当にありがとうございます。

 

その一方で、アイドルを「応援」していくことと、「消費」することについてここ最近ずっと考えていて、もしかしたら中途半端な段階かもしれないが一度ここで私の考えを記録したい。尚、この記事で用いる「消費」とは、経済的な消費活動のことではなく、対象となる人の心身を消耗させることで自己都合の欲求を満たすことを指す。

 

ファンである私は、推しの何気ない行動や、ふとした発言をいつまでも勝手に大事にしている。ファンである私は、推しにこんなことをしてほしいとSNSやブログで発言する。ファンである私は、現場に行って推しをまなざし、実は推しからまなざされることを望んでいる。

こうしたファンである私の行動の何かが、推しを「消費」することになってはいないだろうか、と考える。ラジオ・SNSライブ配信へのコメント投稿を始め、ファンサービスの要求、活動への期待、もしかしたら賞賛すら推しを削り取って消耗させる一因になっているかもしれない。

人々の願望を一手に引き受けてステージに立つアイドルは輝いている。だから、私もそうだけど推しの偶像を内面化しがちで、自分の目に見えているものが全てではない、という事実を忘れてしまいそうになる。推しは、概念の上でファンからの願望を集めてはいるけど、ファンの欲望を叶えてくれる都合の良い存在ではない。

私が「推し活」にあたり現状心がけていることは以下の通りです。

・もしかしたら笑顔の裏で、ポジティブな言葉の裏で、心が折れかけているかもしれない、という可能性に思いを馳せる。推しの意志で動いているように見えることが、台本や打ち合わせで意志とは無関係に決められていたかもしれない、ファンや現場の空気感を察知してやらざるを得なかったかもしれない、という可能性を頭のすみに置いておく。

・また、推しは生身の人間であるということの意味を理解する。生身の人間だから、ファンのほしい言葉を言ったり要望通りの行動をしたり、いつもするわけではない。時には、ファンもアイドルも大きく間違うことがあるかもしれない。

ただ、何が「消費」で何が「応援」に当たるのか、明らかに倫理にもとる場合を除いて一概に言い切れない部分があり、そうなってくるとやはり「推す」と「消費」は表裏一体で、切り離したいけどそうもいかないのかな……というもやもやとした考えになっています。もしかしたらもっとできることもあるかもしれない。

推し活と消費に関して考える際に、ヒントになっているのが牧野あおいさんの漫画『さよならミニスカート』。

さよならミニスカート 1

主人公の仁那は人気アイドルグループのセンターとして人気を博し活躍していたが、ファンイベント中に参加者から切りつけられる。自身もアイドルに憧れ、誇りを持って活動していたはずの仁那だったが、事件をきっかけに引退。アイドルとして、そして女性として消費されることに対して嫌悪と恐怖を感じるようになり、「私は女なんかじゃない」と言って髪を切り、ズボンの制服を着て学校へ行く。当初は誰にも心を開かなかった仁那だったが、セクハラ被害をきっかけに引きこもりとなった妹を持つクラスメイト・光に出会って徐々に心を開き始める、というお話。

 例えば、セクハラ被害者である光の妹は、自分が被害にあったのは「女だったから」だと悩む。でも、仁那が所属していた「PURE CLUB」がミニスカートを身に着けて堂々とステージに立つ姿を見て、「アイドルは女の子の自分を許してくれる」と話す。

アイドルに憧れていた、幼い頃の仁那は「かわいいものを見るとみんなが元気になるでしょ?」と話す。これは、アイドル像を通したファンの自己肯定のプロセスで、アイドルという存在がもたらすハッピーな側面であり、ハッピーなアイドル像の享受の仕方だと思う。

その一方で、“グラビアでの露出や、ミニスカートの衣装は男に媚びているのだから、女を使っている”といった言説や、ファンや世間に対してアイドルが自身の人間的な部分を抑圧する描写(アイドルはみんなのものだから恋愛は許されない、ファンから不評な髪型は自分が気に入っていてもすぐにやめる)など、アイドルを”消費”する世間と、“消耗していく”アイドルの様子も描かれている。

『さよならミニスカート』は女性アイドルの物語だが、こういった消費の構図は全て男性アイドルにも当てはまる事象だと思う(なお、こうした描写はアイドルに関してだけでなく、「男/女」らしさの強要や刷り込み、人によっては加害・被害だと思っていない無意識的で日常的な性的消費の加虐性も浮き彫りにしている)。

現在『さよならミニスカート』は2巻まで発売されているのですが、超続きが気になっています。刷り込みによる”ジェンダーロール”を演じる人、無頓着さや対話の欠如から増幅していく歪んだ価値観を信じて疑わない人、それによって追い詰められていく人が、どのように変化していくのか、はたまた変化しないのか見届けていきたいと思います。

 

また、最近気になり始めている韓国のアイドルグループ・MAMAMOOのメンバーであるファサのソロナンバー「TWIT」にも「おっ」と思いました。

[MV] 화사(HWASA) - 멍청이(TWIT) - YouTube

 曲調もクールなのですが、歌詞が印象的。

「私しか見ていないあなたはTWITな人」「あなたは私をヒーローでロイヤルで天才にする」「なぜ周りを見ないの」「とても孤独に見える」

「いや、あなたを不幸にさせる私がTWIT」「私は何もあなたに与えていないのになぜ不幸に感じるの?」「私が遅れても私を待たないで」「私のためだけに呼吸しないで」「私たちは行く道を失った」

おそらく中毒的に相手にのめり込んでしまう恋愛のことを歌った歌なんだと思うけど、アイドルとファンとの関係性として考えることもできるな、と思った。アイドルにのめり込むあまり、全ての発言や行動を祭り上げたり褒め称えたりしてしまうことがありがちで、それが理想像の押しつけにつながったり、アイドルを息苦しくさせることもあるのかな、と思った曲。私も中毒的にのめり込むタイプだという自覚があるので、この曲と堂本光一さんの「現実見ろ!」発言を都度思い起こすと良さそう。

話がそれますがこのPVとても好きで、ファサがオリエンタルなゴールドの衣装着てるのがめっちゃ似合っていて素敵なのと、途中で MAMAMOOメンバーのフィインがチラッと登場するのですが2人の友情を感じてグッとくる。

 

推し活にあたり、ぼんやりとこの「消費」「消耗」について考えることはあったのですが、本格的にこのことを考えるきっかけとなったのは、3月9日にジャニーズアイランドTVでライブ配信された特別企画「ふぉ〜ゆ〜のトーク生配信」と、3月17日のふぉ〜ゆ〜辰巳雄大くん個人配信回のプレミアム配信でした。

”ふぉゆふぉゆ”と称されたアイランドTVの緊急企画「ふぉ〜ゆ〜のトーク生配信」では、4時間にわたりバラエティ番組の企画をなぞった企画や、ゲストを迎えてのトークなどが行われていた。その中で、林翔太くんをゲストに迎えた際に、林くんに気付かれないようにふぉ〜ゆ〜メンバー同士でキスをどれだけできるか、というドッキリ企画が行われた。

アイランドTVはラインライブと違って視聴者が直接コメントすることはできないし、ある程度番組の進行は事前に取り決められていたものだったのではないかと推測しますが、ふぉ〜ゆ〜(と、林くんの前の枠でゲスト登場した文ちゃん)発信でキス連発の流れができていったように番組が進んでいった。この番組内容そのものに対しても、最初の方ははしゃいで見てたものの、上記のキスドッキリや罰ゲームでケツバットが頻繁に行われるなど、個人的には「うーん…」と思うところもあった…けど話が逸れるのでここでは割愛する。補足しますが、ふぉ〜ゆ〜ならではのゆるやかな雰囲気や、ゲストとのアットホームな掛け合いそのものは楽しく拝見しました。SHOCKの公演中止に落ち込んでいたところだったし、元気をもらった。

そして、その約1週間後に行われた辰巳雄大くんのラインライブのプレミアム配信。ふぉ〜ゆ〜ラインライブ史上初めてのゲストとして、舞台で辰巳くんと共演する山田良明さんが登場した。充実したトークを一通り終えると2人で「スクショタイム」に。スクショタイムではリスナーがコメントでやってほしいポーズをリクエストする。普段はウインク、指ハートなどが並ぶコメントのうち、目に付くほどの数で「キス」を要求するものがあった。

ラインライブでは投稿済みのコメントがリアルタイムで反映されていくため、共感性の高いコメントは他の視聴者の目に入りやすく、また、他の視聴者のコメント内容に影響を受けて同じ内容が増幅していきやすい。「キス」もあの時のふぉ〜ゆ〜ファンにとってホットなワードだった。辰巳くんは山田さん(よっちゃんさん)と肩を組んでスクショタイムを終えた。だから実際に「キス」のリクエストを見た上でスルーしたのか、見えていなかったのかはわからない。

ただ、画面の外からアイドルに向かってファンが一方的に投げかける要望として、もしかしたらいささかハラスメントめいた意味合いを帯びていたのではないか……と思ってしまった。結果として出演者もスタッフも触れなかったが、もしあの時、群衆心理のもと「キス」を求めるコメント数が増幅していたら、触れざるを得ない状況を作り出していたとしたら。飲み会における「キース!キース!」みたいな、悪ノリ延長のハラスメントと何が変わらないんだろう……、と感じたのだ。

でも、じゃあコンサートにおける「投げキスうちわ」は?ラジオで投げかけられる「好きな女性の仕草」の質問は?……今まで慣習的にファンサービスのくくりでアイドルに求めていたものって……?と考えていくと何が良くて何が良くないのか、まだ私の中でも答えが出しきれていない。ファンのスタンスも様々だから、それぞれのスタンスを否定するものではない。ただ、私も含めファンが誰かを”推す”という行為に常に内在する“消費”の側面を無視することはできない。

また、セクシャルなポーズを取る、現実離れした甘い言葉をアイドルに囁かせる、いわゆる「男が女を守る」的な価値観を歌詞にする、といった“ファンはアイドルにこれを求めているんだろう”的予測のもと作られるコンテンツの在り方に関しても、徐々に変化していくと良いな……とは思っている。ニーズがあるからやる、に帰結するのかもしれませんがこれも「鶏が先か、卵が先か」的なジレンマがある。発信されたものを受け手がカッコイイと思う構図にもフォーカスし、発信者の方から変わる、ということが必要だと思う。その点で、ジェンダーに関する固定概念を取り払った発言を堂々としてきた、Sexy Zoneマリウス葉くんには注目している。

つらつらと書いてきたこのブログの内容は、もしかしたら過保護な1ファンの取り越し苦労に思えるかもしれない。上記の配信で、辰巳くんは全く気にしていないことだったかもしれない。それでも言えるのは、本人を何かしら消耗させるようなファンサービス(たとえ本人がその時点では気にしていない素振りだったとしても)を私は望まない。私自身も推しを消耗させている可能性を常に考えながら、「消費」と切り離した「応援」の仕方を模索していきたい。 

 

※2021年1月追記:チョ・ナムジュさんの短編集『彼女の名前は』を読み、アイドルなどコンテンツのあり方にどう反応するのか?と言うことについて考えた記事を書きました。↓

 

kyanakoforyou.hatenablog.com