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「スマホを落としただけなのに」舞台版を見た感想

舞台「スマホを落としただけなのに」の東京公演が、3月28日(土)以降全て休演となりました。

私の大好きな推しであるふぉ〜ゆ〜の辰巳雄大くんがめちゃめちゃ自信を持って臨んだ舞台。演者をはじめ、運営に携わる方、劇場の方の気持ち、そして観に行くことの叶わなかった方の気持ちを考えていて、何だか自分、あまりに無力……とこの2日間打ちひしがれていたのですが、打ちひしがれている場合ではない。

幸運にも私は観劇することができたのですが、期待していた以上に様々な要素を感じ取ることができた、すごく素敵な舞台でした。時間が経った後も、この公演のことを覚えている自信がある。ぜひ、また舞台の幕が上がる事を期待しています。

黙っていられないので、無力なりに感想を書きたいと思います。

 

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会場の看板などを写真に収めるのを忘れていた……。 

※注意:以下、思いっきりネタバレします※

※ネタバレなしに感想を書けず…すみません……。

 

www.sumahootoshita-stage.jp

 

とにかく集中力を総動員して観劇しました。原作を読んでいないので他のバージョンと比較することができないのですが、舞台「スマホを落としただけなのに」はサイバー犯罪をめぐるミステリーというよりも、人と人が“繋がる”時、どのようにしてお互いの存在を理解し、受容していくのか、という様々な在り方を複雑に絡めた物語だと感じました。

 

加賀谷学と共感・理解

例えば、辰巳雄大くんが演じるサイバー犯罪の担当刑事・加賀谷学は、加害者取り調べの最中に、周囲の人が見ている前で自分は恐らくアスペルガー症候群だと告白します。自分は“人の気持ちがわからない”と話し、僕はかなりズレている、といった旨の発言もするなど、加賀谷が自らの発言によって、今までずっと周囲から変わり者扱いされていたことがうかがえます。

実際に、アスペルガー症候群かもしれないという加賀谷の告白を受けて、同じ部署で働く県警のメンバーはざわつきます。「そんな人を採用して大丈夫なのか?ちゃんと取り調べができるのか」と言い出す上長に対し、「でも採用したのはあなたですよね」と呆れかえる部下のやりとり。加賀谷のカミングアウトで、周囲の彼に対する評価がガラッと変わるのを目の当たりにし、加賀谷への理解のなさが浮き彫りになります。

ちなみに、私はこの場面を見た時に、「うわあ……この県警まじで嫌すぎる」と思いました。アスペルガー症候群、という名前がついた途端に、「ちょっと変わっている奴」から「自分たちとは異質な奴」に評価を簡単に変えてしまう人が警察として働いていて、しかもその「自分たちとは異質な奴」に自分たちのやっている仕事ができるのか?という謎の上から目線を発動させている。

悲しいことに、こういう謎の上から目線や、蔑視的な眼差しは普通の職場にもありふれていて、「異質」のレッテルはまじで罪深いと思っています。また、集団の中で自分がマジョリティに位置する時、自らもそこまで意識せずにレッテル貼りに加担していることがあるので気をつけなくてはならない。

しかし、加賀谷が働く県警、まじで配慮がないというかモラルにもとるよな…と思う場面が多く、捜査対象者の美醜を会話のネタにして「加賀谷さんは、麻美さん(捜査対象者)とか興味ないの?」と言い出す刑事がいたり(物語の伏線に続いていくので仕方ないかもしれないけど)、ハチバンの詳細がまだ明らかになっていない段階で殺人鬼だと決めつけた体育会系の後藤刑事の根拠が「あいつ、目が笑っていない」だったり、ちょっと警察なのにモラルなさすぎ…と思うなどしました。

ただ、恐らく加賀谷には、この県警でなくとも同じように周囲から奇異な目を向けられることが幾度となくあったのだろう、と思う。なぜなら、加賀谷自身も自分のことが怖くなるほどに、社会からの断絶を感じていたから。

加賀谷は人と話す時にどこかあさっての方向を向いていて、会話をしていても視線が交わらず、端から見ると何を考えているのかよくわからない。辰巳雄大くんは、その“よくわからなさ”を目の演技に込めていたと思う。常に視線の置き場に困っているが、興味を引かれた対象、人に対しては躊躇なく視線を注ぐ(相手が戸惑うほどに)。

加賀谷は何を見ているんだろうか、加賀谷はどのような人なんだろうか、と思わせながらも周囲に自分の領域には踏み込ませないようなオーラをまとっていて、彼の共感性の低さは先天的なものかもしれないけれども、そのオーラは加賀谷が生きていく中で自衛するためにまとってきたものなんだろうな、ということを連想させた。

 


舞台「スマホを落としただけなのに」スペシャルPV

ハチバンとまゆ、加賀谷

でも、捜査が進んでいくにつれ、加賀谷自身が自分になかった“共感”を掴んでいくとともに、当初は腫れ物扱いしていた周囲も加賀谷を信頼するようになっていきます。加賀谷の“共感”を掴んでいくプロセスに大きく影響を与えるのが浜中文一くん(文ちゃん)が演じる、サイバー犯罪の加害者・ハチバン。生身の人間とのコミュニケーションに難しさを感じ、デジタルの世界に居場所を求めた加賀谷と、サーバー上のネットワークを偽名とともに渡り歩くハッカーハチバンは、捜査の初期段階で「割と似たもの同士かもしれない」的な匂いをお互いに察知します。

ハチバンは、母親からの虐待を受けて育ったバックグラウンドを持っており、母親から愛されなかった孤独が、女性への支配欲へと紐づいている描写が登場します。

ハチバンは、母親のようなプレイをしてくれるデリヘルの女性・まゆに自らの承認欲求・支配欲を満たしてもらっていましたが、ハチバンの金銭が尽きてしまったことでまゆが逆上。再度女性から見放され、罵倒されたことをきっかけに、支配欲が女性蔑視的な憎しみとなって表出→まゆを始め、猟奇的に女性を殺害することに快感を覚えるようになっていきます。

振り返ってみると、ハチバンが猟奇殺人に至る背景が丁寧に描写されているな、という印象。恐らくハチバンは、いびつな形ではありますがまゆの母性を素直に受け取っていて、精神的な繋がりを感じ始めていたのだと思う。それが、その関係性は実際は金銭によって保たれており、まゆは自分に対して微塵も母性など感じていなかった、ということに絶望してしまう。

猟奇殺人のシーンも登場しますが、正直観ながら「これトラウマになる人いるのでは」と思ったほど。真っ白な舞台装置が凄惨なシーンでは真っ赤な照明で照らされ、ヴィヴィッドな演出になっていました。私に耐性がないというのもありますが、ハチバン、マジで怖かった。(現実で起きている猟奇的なサイバー犯罪や性犯罪にもリンクする部分があり……現実の方がより一層残酷ですが)

加賀谷とハチバンに共通しているのは、「周囲の人から理解されないこと」と「自分→周囲への理解の仕方が、人から期待される形とは異なっていること」。その2人が、ともにオンライン上のネットワークやデジタル領域に自分の居場所を見つける、というのはなんとなくわかるけど、そこの過程についてはもうちょっと考えてみたいかなと思いました(リアルでは難しいコミュニケーションがデジタルになるとなぜうまくいくのか、など)。

加賀谷によるハチバンの取り調べにおいて、途中から加賀谷は自分と重ね合わせてハチバンと接するようになります。自分を異物扱いする他の刑事とは異なり、加賀谷だけはハチバンの存在を承認した上で捜査を進めるようになる。加賀谷が思いっきりハチバンに視線を注いでも、ハチバンは少しもたじろがずにその視線を受け入れます。ハチバン自身の存在を承認してくれた上、自分も得意としているデジタル領域で優秀な実績を修める加賀谷に対して、ハチバンが興味を抱き、心を開いていくのは自然な流れであるように思いました。

ハチバンは、物語がスタートする時点ですでに警察に拘束されています。取り調べの担当捜査官がハチバンの座る机の周りに2名いる他、マジックミラー越しに他の捜査官がその様子を見ている。舞台構造的には、舞台の両脇をせり上げることで取調室の“外の世界”を表現していました。ハチバンは多方面から眼差しを浴びているのに対し、ハチバンから担当捜査官以外の姿は見えていない。でも、ハチバンに見えている情報量の方が、警察よりも圧倒的に多いというパラドックスが舞台装置に象徴されているかのようでした。

警察は、彼が何という名前の人物かすら最初は把握することができていない。そして、本当の名前は物語が終了してもわからないまま。唯一ハチバンが心を開いた加賀谷にすら、所々のヒントや彼のバックグラウンドは話すものの、ハチバンが計画した全貌を教えることはなく、ハチバンという存在は、最後まで誰からも完全に受容されることなく終わってしまう。

全てが解決して、ハチバンがどういう人物か理解されて終わり!の方が物語としてはさっぱり美しいのかもしれませんが、こちらの方がリアルだなと思いました。なぜならハチバンは、恐らく人生の大部分において“理解されない存在”として生きてきた人だから。加賀谷という似たような境遇の人物が現れたとはいえ、ハチバンが自分自身を承認し、彼の存在が理解・受容されるまでには、ハチバン本人と周囲の長期的な努力が必要だと考えられます。

稲葉麻美とハチバン

乃木坂46の早川聖来さんが演じる稲葉麻美は、交際者の富田誠スマホを落としたことをきっかけに、ハチバンに個人情報や秘密を握られてしまう被害者。麻美は、自殺した友人に成り済まして生きているという秘密を抱えています。偽名を使って生きているハチバンは、“成り済まし”という共通項に惹かれ、麻美を取り込もうとしたことから計画が綻び、事件解明の手がかりとなります。

自分を脅迫で縛りつけようとしてくる、明らかに怪しいハチバンを麻美が受け入れる過程には、ハチバンだけが自分の秘密を知っている唯一の理解者だ、というポイントがあります。恐らくハチバンにとってもそれは同じで、麻美がこの先ずっと成り済ましで生きていくしかなく、自分と同じ境遇であるということに安心感を覚えたのだと推察します。

ところで、麻美の交際者である誠(佐藤栄典さんが演じてました)、スマホを落とすというめちゃめちゃ致命的なミスをするドジな人であることは否めませんが、とてもいい奴。お調子者な感じはしますが、唯一フラットに人に向き合うことができ、素直に人を愛すことのできる人なのでは、と思いました。麻美×誠のやりとりで、観客としてもほっこりしたり救われる部分があったりした。ハチバンのハッキングによって浮気疑惑をかけられた誠が、同僚に疑惑を晴らしてもらう場面、「誠めちゃめちゃ愛されキャラやん…」と思いました。

補足

辰巳雄大くん、この公演が始まる少し前に髪型を変えていて、パーマをかけたゆるふわ髪型がめちゃんこかわいいです。それは良いとして、劇中で加賀谷の衣装が黒タートルネックニット+ジーンズの場面があり、普段そこまで似ていると思っていなかった私ですら「佐藤健成分が増している……!公式が天堂先生(恋つづ)に寄せてきた」と思いました。この感想全く舞台の内容と関係ないので恐縮ですが……。

・取り調べの過程で、ハチバンが床におもむろに寝転がる場面があり、私の座席がちょうどハチバンの視線の先に当たる(良い)位置でしたが、文ちゃん恐らく全く瞬きをしていなかったのでは?「これは頑張ってハチバンを見なくては!」と思って、意識的にハチバンの表情を見ていたのですが、あまりに視線がぶつかるので私の方が目が泳いでしまった。ハチバンの瞳は真っ黒で真っ直ぐで怖かった。観劇当日の夜、ちょっと思い出してしまい「怖くて眠れない〜〜〜!」となりました。文ちゃんは本当にすごい。

・推しの出演舞台を見ていると、物語の途中でも“本人”の存在を思うことがしばしばあるのですが、今回はそれが極端に少なかったような気がします。辰巳雄大くんと加賀谷学のキャラクターにリンクする部分が少ないからかもしれませんが、それ以上に加賀谷学は加賀谷学で、観ながら「加賀谷はどういう人なんだろうか」と加賀谷学という人物自身に興味を持ちました。振り返ってみて、ここまで没入させてくれる辰巳雄大くんの芝居ってすごい!もっとステージで演技しているところを見たいな!と素直に思いました。舞台に立っている推しが一番輝いていて、一番かっこいい事を再確認しました。

・演劇の題材として、今まで辰巳雄大くんが出演してきた舞台を振り返ってみても「スマホを落としただけなのに」は結構レアなテーマだったと思います。ある種マイノリティに焦点を当てた物語で、こういう作品に推しが出てくれたことをとても嬉しく思います。雄大くんやふぉ〜ゆ〜がどんどん多彩な作品に出演してくれることを心から願っています。

・会場でのウイルス感染防止への配慮はしっかりなされていました。入場するまでの間、アルコール液がいくつも設置されていたし、入場にあたり1人1人検温がありました。検温があるため入場するのに少し並びましたが、入場口の構造上ある程度は仕方がないと思います。

開演45分前から開場し、場内の混雑を緩和していたのも良かったです。紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAのロビーがそこまで大きいスペースではないので、入場時間が短いと多くの人が密集することになるだろうなーと思いました。

 

追記:2021年6月・アンコール上演の感想も書きました! 

kyanakoforyou.hatenablog.com