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ファッションとエンターテインメントについてふわふわ語る

ふぉ〜ゆ〜「SHOW BOY」ヤルシカナイネ!とBTS「Permission to Dance」

ふぉ〜ゆ〜主演舞台「SHOW BOY」再演おめでとうございます!絶賛公演中ですね。

 

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たまたま私がチケットを取った「SHOW BOY」の観劇日程と、BTSの「Permission to Dance」解禁日が近かったこともあり、この両者のメッセージにとても共通するものがあるな、と感じたのがこの記事を今書いている理由です。

というか、もっと言えば、今まさにほしいメッセージってこれだったよね〜〜〜!!!という感じ。人生はショーのように楽しいエンターテイメントなんだ。自由に踊りたい、自由に音楽を感じたい。そこに許可はいらないし邪魔するものもない。「SHOW BOY」も「Permission to Dance」もめっちゃいいじゃん超最高!!と思ってます。私の夏が輝き出した。

2021年のロッキンフェス開催中止が先日発表されたばかりですが、私たちはこれまでずっと、娯楽を楽しむ“場”を制限され続けてきたわけで、裏返せば許可がないと楽しんではいけないような同調圧力が常に蔓延しているような状況が続いてきたと思う。でも、本当は、本来は娯楽に許可なんていらないということを忘れたくない。感染対策のためにある程度の制限がかかるのは仕方がないことだし必要なことでもあると思うけれど、私たちは“楽しんではいけない”わけではない。

私は世の中の同調圧力的な閉塞感に一時期完全に飲まれてしまって、「本当はあの舞台行きたいけどなんとなくチケット取らなくていいか」「映画はネットに配信されてから見ればいいか」みたいな気分になり、それと同時進行的にものすごく病んだので、「楽しみたい」欲求とか「エンタメを続ける」意欲を持つことそのものは我慢しないでいいよ、という「SHOW BOY」と「Permission to Dance」のメッセージが今回すごく染み入ったのです。

だってさ、普通に生きてても「楽しいことを我慢しなくていいよ」とか「踊るのに許可はいらないよ」とか誰も言ってくれないじゃん。あまりに我慢続きだと忘れそうになる。(とか言いつつ、私は幸運にも我慢せずに済んでいることが多い方だとも思う。それでも耐えられなくなりそうになっていて、気持ちにどう折り合いをつければいいものか、自分がわがままなだけかもしれない、と思ったりした。)

今はだいぶ回復しましたが、あっぶねーとこでした。行くところまで行くと、今まで好きだったものとか楽しいと思ってた物事まで無味乾燥に思えて、そうなったらほんっっとにヤバいから!!(実際なりかけた) みんな我慢してるんだから我慢する、みたいな方向性ではなく「じゃあ、まず自分にできる範囲で楽しむには、現状どうしたらいいの?」を考えるようにしていかないと身がもたないですよね。

 

冒頭からしっちゃかめっちゃか感があるのでうまくまとめられていない気もしますが、舞台「SHOW BOY」について書きつつBTSの「Permission to Dance」についても触れて、共通するところを書いていきます〜〜!レッツゴー!

 

ふぉ〜ゆ〜主演舞台「SHOW BOY」人生はショータイム

 

 

ふぉ〜ゆ〜主演舞台の「SHOW BOY」は、豪華客船の中で日々ショーを開催するキャバレー・キットカットクラブを舞台に、ショーや娯楽を断念せざるを得ないところにまで追い込まれたそれぞれ異なる立場の“浮かばれない男たち”*1が、巡り合わせで1日限りのステージに立つことになるドタバタストーリー。2019年に初演を迎え、公演初日の前日がジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川さんが逝去された日だった。今回は、2年越しの再演となります。

www.fujitv-view.jp

劇中にしばしば登場する“Life is show time, it's a wonderful entertainment”、そして「ヤルシカナイネ」という節に象徴されるように、その物語の根幹には緩やかだが確固とした「Show must go on」、つまり“ショーは人生、(私たち、僕たちは)ショーを続ける”というメッセージが込められている。

ふぉ〜ゆ〜のメンバー演じる4人の“浮かばれない男たち”は、各々の“事情”を抱えてなんだかくすぶっている。そして、ポイントとなるのは全員が自身の「娯楽」をストップせざるを得ない状況に追い込まれているということ。

福田悠太くん(福ちゃん)演じる「裏方」は、キャバレー経営者であった両親を亡くしたことでオーナーを引き継いだ姉(演:中川翔子さん)を支えるため、元々ダンサーであったがダンスを諦めて裏方に回る。

越岡裕貴くん(こっしー)演じる「ギャンブラー」は、事業に失敗し、祖父の山を売り飛ばしたことで家族からも疎遠に。一攫千金を夢見てカジノに繰り出すものの、持ち金を使い果たしてしまう。

辰巳雄大くん(辰巳くん)演じる「見習い」は、見習いマジシャンとして師匠に10年間師事するも、本番に弱くテストに合格できないことからなかなか見習いから昇格することができず、10年の節目に師匠からクビを言い渡される。

松崎祐介くん(マツ)演じる「マフィア」は、母国である中国に愛娘を残し、違法取引のために豪華客船に乗船。本当は犯罪などに手を染めるのではなく人を喜ばせる仕事がしたい、と考えている。

「裏方」はダンス、「ギャンブラー」はギャンブル*2、「マジシャン」はマジック、「マフィア」は人を喜ばせる仕事(=エンタメと言っていいと思う)を本当はやりたいのにすることができない状態にそれぞれ陥っていた。彼らの前には否応なく進めなければいけない「現実の生活」があったから。

でも、それぞれに対して本人が胸の内に押し留めていたこと、すなわち本当にやりたことを「やっていいんだ」と告げてくれる人物が現れることによって、4人はそれぞれ自分の人生という物語を少しだけ前に進めることができるようになる。ちなみに、この「やっていい」は“許可”ではなく“後押し”である。

例えば「裏方」は自分の後輩である「主演ダンサー(演:高田翔くん)」から、尊敬している先輩のダンスをもう一度見たいんだ、という言葉に心を動かされる。

また、「ギャンブラー」は船内で偶然出会った訳ありの「少女(演:桐島十和子ちゃん)」からの「大人に質問なんだけど、人生って変えられるの?」という質問に、「見習い」は、自分とは違ってステージに出られる立場ではあるものの、センターで踊るという夢からは程遠くこのまま続けるのは実はもったいないのではないか、と思い悩むキャバレーのダンサー「エンジェル」の姿を見て逆説的に*3、「マフィア」は「完璧な人間なんていないんだから、あなたはあなたで大丈夫」という「支配人」の言葉から背中を後押しされる。

みんなそれぞれ足枷があって踏み出せないのだけど、その足枷は、周りの人の後押しによって、さりげない一言によっていともたやすく外される。彼らが欲していたのはステージに立ち、ショーという娯楽をやり遂げるための“許可”ではない、あと少しだけ、自分を囲い込んでいた枠から踏み出すための“後押し”だった。

それは、間接的に彼らが華やかなステージに立つのに何らかの“許可”はいらない、ということを示している。その証拠に、ショーの途中で「マフィア」を追っていた刑事がショーを中断しようと試みるも、「主演ダンサー」が衣装のシャツを着る服がなかった刑事に貸したという借りをもとに、「この幕が降りるまでは、(それがどういう奴であろうと)ステージに立っている全員が仲間だ」と言ってショーの継続を主張。刑事は「主演ダンサー」の主張を受けて、「ショーが終わるまでは捜査はしない」と告げる。この場面は、ショーを外から邪魔することは許さない、という確固たる姿勢の象徴だと思う。なぜならショーは誰かからの“許可”をもって継続されるものではないから。

演じる人がいて、それを見る人がいれば「ショー」になる、という描き方も大好きで、クライマックスのショーの場面では、以前までお互いのことを詳しく知らなかった4人のステージをお互いに固唾を飲んで見守ったり、一緒に賑やかしたりしている。

「マフィア」は「支配人」の後押しによって「ディーバ」として舞台に上るわけだけど、数分前まで彼を指差して「え?!誰?!」と言っていた「裏方」や「見習い」がステージの袖できゃっきゃしながら「ディーバ」のステージを見ていたり、全くの関係なかった「ギャンブラー」が「ディーバ」の後ろで踊っていたりする。「見習い」が初めて舞台に立ってマジックを披露する場面では、その場にいた全員が集中して「見習い」のマジックをじっと見つめている。この場面はショーはステージや音楽を媒介に「演る人」と「見る人」がいれば成立する、というのを舞台上で可視化したシーンだと思っていて、ショーには何か資格がいるものでもなく、誰もがショーを楽しむことができるのだ、ということを示しているのだと思う。

実際に、特に芸に長けているわけでもない「ギャンブラー」が、特に必要性に迫られているわけでもないのに「なんとなく俺も出ちゃお!みんな出るって言ってるし!」なノリで演じる立場になっていて、なぜかステージでアクロバットをぶちかましたり背中に羽根をつけてルンルンしている。ただこれは“必要性”がなくてもショーに出たければ出ればいい、ショーをやりたければやればいい。「そんな軽いノリでもショーはできるんやで!だって人生はショータイムなんだから」ということを「ギャンブラー」を通して示しているのではないか。

また、「マフィア」は「ディーバ」として舞台に上がることに対して、最初は躊躇を見せる。「私は男だし、言葉も分からないし、歌もダンスもしていない」と言って。でも、それに対する「支配人」の答えは「大丈夫、完璧な人なんていないのだから」。「誰もが完璧ではない」のだから、「ディーバ」になる人にも資格や属性は関係ない。「支配人」は「ヤルシカナイネ!」という意欲を見せてくれた「マフィア」こそが「ディーバ」にふさわしいと考えた(その過程に言語の違いによるいくつかのコミュニケーション上のすれ違いはあるものの、なんとなく同じ意図をもって2人は合意する)。ここには、歌ったり踊ったり何かを楽しんだりするのになんらかの「属性」や「資格」は必要としない、という意図が見て取れる。ちなみに「ヤルシカナイネ!」は、当初は「マフィア」が取引先の人間に圧をかけて萎縮させるために使っていた言葉なのだけど、「マフィア」が刑事に見つかって追い込まれると彼が発する「ヤルシカナイネ!」が言葉通りの、“もうやるしかないんだ”という切羽詰まった意味に変化する。

ちなみに「ヤルシカナイネ!」って英訳するならなんだろな〜?とつらつら考えていて、最初なんとなく「We can do it!」かな?と思っていたのですがそれだと明るすぎで、言葉通りに「There's no choice but to do.」だという結論に至りました。他の選択肢がない、だからやるしかない。これなら否定的な意味合いでも肯定的な意味合いでも使えるのではないでしょうかね……?(確認を取ったわけではないが、Weblioで調べたら「やるしかない」という意味で出てきたので大方合ってそう)。

私は、「SHOW BOY」を観劇した人がいつの間にか「SHOW BOY」の世界の中に没入して夢中になるのには、さっきまでただの“傍観者”だった人がいつの間にかステージに立っている、という物語の展開が寄与しているのだと思う。“傍観者”が劇中でステージに上がることで、ステージに立たない“観客”のことを心理的に舞台に引き上げている。何か敵を倒したり、目標を達成したりしたわけではない、資格も特別な属性も持たない人がステージに上がって演じることができる、という希望を共通項に、傍観者であったはずの観客は「SHOW BOY」の世界にいつの間にか引き込まれ当事者になっている。それで、私たちは劇場ではなく間違いなくあの豪華客船の中にいたのだと思えるのだ。

BTS「Permission to Dance」計画は壊して ただ輝きながら生きよう

BTS (방탄소년단) 'Permission to Dance' Official MV - YouTube

 

 

そこで、BTS「Permission to Dance」との関連について話を移したいと思う。私が「Permission to Dance」に「SHOW BOY」の「ヤルシカナイネ!」を感じたのは、「計画は壊して ただ輝きながら生きよう」というところです。「SHOW BOY」における登場人物たちの人生計画はことごとく壊されたわけですが、彼らはただ輝きながらショーをする(=生きる)選択をする。

そして、「Permission to Dance」では「僕たちは落ちてもどう着陸すればいいか知っているから心配はいらない、ただ今宵を楽しもう」と続く。いやこれ、あの浮かばれない「SHOW BOY」の4人もそうだし、うだつの上がらない私もそうだし、落ちても着陸の仕方知ってる〜〜〜落ちるの辛いけどウワ〜〜〜!!!!となった。「心配しないで、ただ今宵を楽しむことをしよう 僕たちが踊るのに許可はいらないのだから」って言ってくれるその言葉の優しさというか、包み込むような感じ?これって「見習い」の「もったいないことしようよ」と一緒やんね?と思ったんです。そう、許可はいらない。私たちは踊りたい時に歌って、歌いたい時に歌っていい。

しかも、J-HOPEさんのソロがまた良くて、「いつも道を塞いでる何かがある、でも怯えなければどう乗り越えればいいかわかるようになる」っていう言葉も、それこそ足がすくんでいる人のことを“後押し”してくれるような歌詞だなあ、と思った。ユンギさんの「誰かに証明する必要はない」っていうところも好きだし、テテちゃんの「もう待たなくていい、今がその時」も、ジミン&テテの「僕たちが火を燃やし続けられるってことを見せてあげるよ、まだ終わってない、終わるまで踊りたいって言い続ける」(意訳)というところもそう。まだ終わっていないんだから、私たちは誰だっていつだって待たずに踊ることができる。歌うことができる。

妨げるものがあるように思えるけど、本当は何も私たちが踊るのを止める権利、楽しむのを妨げる権利なんてないんだ、という「Permission to Dance」のメッセージと、人生が続く限り、ショーもエンタメも続いていくのだという「SHOW BOY」の“Life is show time, it's a wonderful entertainment”。

表現方法は全く違うけれど、共通していると思いませんか?私はそう思った。あなたの人生も、エンターテインメントも、本当は誰かに邪魔されるものではない。あなたが思った「もったいないこと」は無駄じゃない。思いっきり贅沢に楽しもうね。

雑記

・私、少し前に推しであるふぉ〜ゆ〜・辰巳くんにファンレターを書いたのですが自分の記憶力を過信していて辰巳くん演じる「見習い」を完全に「マジシャン」だと記憶して手紙を書いていて、本当に本当に申し訳ない気持ちになりました……。役名を間違えるなんて……。こんなところで言っても仕方ないのですが本当にごめんなさい……。

・とーーってもここ最近自分自身元気がなかったのもあって、クビを言い渡された「見習い」が「無理……」って言ってしゃがみ込んで泣くところ、あれ全く同じ感じで私もやったことあるわ……となり、かなり胸に迫るものがあった。

ちなみにその後「見習い」はバーのドアを叩くんだけど、落ち込んだ気を晴らすためにバーで飲むっていう選択肢があるのってやっぱり良いな、と思った。

・あと、甲板で「エンジェル」に向かって「見習い」が「今34で今年35になるのに◯△□◆※?●!…」って言って海に飛び込もうとするとこもすごい印象に残ってる。年齢で振り返って周りの人と比べて落ち込むやつ、不毛だと分かっててもやりがちなので共感した。

・マジックは見ていて「オッ」となる。マジックの途中で火が出てきてすごかったし、あの火がなんで一瞬で消えるのかもわからないし、なんで破ったお札が元通りになってるのかわからない、すごい。あとミスターマジックさんのステッキのやつも、あのステッキの動き方ってどうなってるんだろう…と思っていっつも凝視している。双眼鏡で見てもタネがわからないので一回一回新鮮に楽しめた。

・「ギャンブラー」のやさぐれ越岡さんうっすら髭が生えてるのがやさぐれ感あってめっちゃ良かった、「少女」に素直に振り回されてる感じも良かった。なんか「ギャンブラー」と「少女」の説明のつかない関係性というかあの2人だけの空気感めっちゃ良いですよね。「ギャンブラー」がもし親族のおじさんだったら、おそらくああいう風にはなっていないと思う。

・福ちゃん演じる「裏方」の「ク〜〜〜ルに!!!」のあとで手を二回打つ仕草って、今まで気づかなかったんですけどしょこたん演じる姉「支配人」の「Show must go on!(手を二回打つ)」気合入れと連動?してるような気がしたんだけどそうなんですかね??気を落ち着けるための姉弟の、というか一家のおまじないかな。

・松崎くんの「マフィア」、私全く中国語わかりませんが初演時よりなんか中国語が自然な感じがしました。なんとなくナチュラルに喋ってる感じがした。あと「ディーバ」はまじでいつでも最高で、松崎くんまじで最高だな、と思いました。抱えられて横向きでステージに出てくる「ディーバ」を見るといつでも爆笑してしまう。

堂本光一さん主演の「Endless SHOCK」における「Show must go on」もまた、「SHOW BOY」の「ヤルシカナイネ」とBTS「Permission to Dance」と通じるものがある!と最初3つで考えていたのですが、「SHOCK」の「Show must go on」は少し意図するところが違うかな、と感じて今回は言及しませんでした。突き詰めた根幹の部分は確かに同じなのだけど「SHOCK」の「Show must go on」は“どのようにショーを続けるのか”という過程にフォーカスする意味合いが強いと思うので。改めて考えたい。

・「SHOW BOY」があまりに楽しかったので辰巳くんの写真でデコジャニショ「SHOW BOY」ver. 作りました★

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追記:東宝演劇部様の熱量あふれるツイートまじでありがたすぎて足を向けて寝られない……!映像の編集の仕方に愛を感じます。

*1:2021年7月1日配信・ふぉ〜ゆ〜ラインライブ通常配信にて、福ちゃん・こっしーが言及。

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*2:「ギャンブラー」は他の3人と違ってギャンブルを夢見ていたわけではないけど、彼の人生をかけてギャンブルに臨んだのに、お金が尽きてそれすら叶わなくなった、という意味で並列して良いかな〜と。「ギャンブラー」の立ち位置って結構独特だと思う。上述したように必要性に迫られていないのにショーに出演したり、人生逆転を狙う手段がおそらく「ギャンブル」じゃなくても良かったりした。でも「ギャンブラー」は享楽的な手段を選んだ。まあ、「ギャンブラー」は結構人生詰んでる状況ではあったんだけど、やっぱり何かパッと楽しいことしたくて乗船したんだろうな。「カジノキラキラいいな」みたいな、その場のノリでささっと乗り込んだような気がする。

*3:「見習い」が思い悩むエンジェルに言った「もったいないことしようよ」は、君が言う「もったいない」はもったいなくない、ということかな、と。演じる場があって機会があって見たい人(=「見習い」自身)がいるのだから、それはもったいなくないよ、ということを伝えたかったんだろうな、と思った。そして、その言葉が「見習い」自身のことも奮い立たせることになる。