文を書く in TOKYO

ファッションとエンターテインメントについてふわふわ語る

WANNA BE MYSELF 私は私

世間に基準なんて無い。比べるな、私も私であなたもあなた。そこに違いはない。

そう歌ってくれるMAMAMOOの新曲「WANNA BE MYSELF」がクリーンヒットで元気をくれるので毎日聞いている。


[MV] 마마무(MAMAMOO) - WANNA BE MYSELF

このMV、4人ともほんとに可愛くてきれいで、何回も何回も繰り返し見てしまう。バリバリに強めデザインのヴェルサーチェとか着てるママムも好きだけどナチュラルな感じも素敵。強いメッセージだけど押し付けるような感じがなく、すっと受け止められる歌詞と曲なのがまた良いな、と思っている。

 

そう。WANNA BE MYSELF。私が私でいるために、私は自分で自分のご機嫌を取る。

 

・甘いものを食べる:

最近セブンイレブンのシュークリームを久しぶりに食べたらふわふわでクリームもふんわりなめらかでかなり癒された。甘くて柔らかいものの優しさを感じる。萩の月もいいね。

・好きな本を読む:

新しい本と出会うのも好きだけど、ここ最近はあえて昔読んだ本を読み返してみたりした。『黄色い目の魚』、たしか絵がうまいサッカー部の男の子が出てきた…と思って推し(※ふぉ〜ゆ〜辰巳雄大くん)と重なる部分があるなあ!と思い出し、読み返したらとても爽やかな気持ちに。

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純度が高くて、でも悶々とするところもある海辺の高校生のお話で、絵を見るのが好きな女の子と、何かと絵を描いている男の子が出てくる。読んでみたら推しとその男の子は全くキャラクターは違うんだけど、部活や進路、恋愛など「自分の選択に向き合うことの誠実さ」、みたいなところになんか繋がるものがあるかも…と思ったりした。わたしが結びつけたいだけかもな。どちらにしても良い物語だった。

 

・エンターテインメントどっかーんな映画を見る:

『パラサイト 半地下の家族』『お嬢さん』を見てからというものの韓国映画が気になり始めて、『ベルリンファイル』を見たのですがアクションがどんがらがっしゃんなスケールでドキドキするのもそうだし、何よりハ・ジョンウかっこ良すぎんか?ここ最近ハ・ジョンウのことばかり考えている。ハ・ジョンウの辛ラーメンのCMとか、食べるシーンを見ては癒されている……。

あとこれはハ・ジョンウ出てないけど『エクストリーム・ジョブ』『息もできない』はふぉ〜ゆ〜の辰巳雄大くんがおすすめしていたのではよ見たい。はよ見たいなと思いながら何ヶ月も経ってる。はよ見たい。


映画業界に「チキンの匠」誕生!『エクストリーム・ジョブ』特別映像

 

・自然、緑の多いところを散歩する:

草とか木とかを真剣に見ながら歩く。散歩する時大体ラジオを聞いていて、音楽ほど集中を要しない感じが心地いいなと思う。この前堂本剛くんの「堂本 剛とFashion & Music Book」を聴きながら歩いていたらつい泣きそうになった。剛くんが、喫茶店の店員さんにふと温度の低い接客をされて「あれ、なんか迷惑かけてしまったのかも」と辛くなったと話していて、その感じ知ってるな……と思った。失礼な態度をされたとまではいかないけど、話しかけなければよかったと思うような温度感って、予想外の人からされると「うっ」となってしまう。そういうプライベートの中での細やかな感情を言葉で伝えてくれて、辛かったときのことを言語化して電波に乗せてくれることって、剛くんなりの優しさなんだと思う。

 

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・ぬいぐるみに話しかける:

作家の村田沙耶香さんのエッセイに「ぬいぐるみを飼う」みたいな話が出てきて、また大前粟生さんの『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を読んでそのタイトル通り優しい時間に浸って、ぬいぐるみは良いな!と思った。その流れで、そばにぬいぐるみを置いて話しかけてみる生活を始めた。不思議と心が安らぐので良い。そもそもぬいぐるみ、かわいいので居住空間の中にいると落ち着く。

 

・推しを愛でる:

ふぉ〜ゆ〜&KinKi Kidsを筆頭に、THE YELLOW MONKEY椎名林檎、MAMAMOOと推しが多いのは追うのが大変という点はあるものの、ハッピーが多くてかなりハッピーです。A.B.C-ZもV6も緩やかに推してるし、最近はEXOも気になり始めているのでとてもいい感じ。ふぉ〜ゆ〜もついにYoutubeに進出したし(M-1公式チャンネルではあるが)、辰巳雄大くんのジャニーズウェブ個人連載も始まったし、もはやインターネット大好き!再生装置が近くにない、もしくは物理的に再生できない時は「あの公演のあのときの推し」を脳内で再生する。

 

あとは、いつもは食べないけど、前々からおいしそうだと思ってたものを試しに食べてみるとか、そんな感じのことをしてみたりするのもやってる。「アンナチュラル」の石原さとみ演じるミコトがめちゃめちゃ追い詰められてる場面で「明日おいしいもの食べに行こう」みたいなことを言っていたのが印象的で、おいしいもののことを考えるようになった。

 

 

今までもボーッと1人で過ごすのが好きだったけれど、好きかどうかに関わらずボーッと1人で過ごさざるをえない時間が今年は多くなった。で、これは今年に限った話ではないが、1人で考え事をしているとどうしても悪い方向に行ってしまうことがある。

「そういえば数年前に当時の勤務先で自分の業務外なのに無意味にロールプレイング実習させられてただ笑われて、しかもフィードバックも何もなしだったことがあったな(イラッ)」みたいな、もう今となっては本当にどうでもいいことをたくさんしつこく覚えていて、1人で物思いに耽ってると何故か知らないけどフッと記憶が蘇ってくる。物思いに耽ってるときぐらいリラックスしたいものだが、いきなり記憶、しかもやなやつがフラッと湧いて出てくるの、ほんとすごいなと思う。

 

あと普通に生活している中でも「お昼何時に食べたかったのに食べ損ねたな…」「今日こそ撮り溜めてた録画見ようと思ってたのにもう寝ないとな…」「あの店員さんそういえばポイントのこと聞いてくれなかったな…」みたいな小さいストレスが積もっているのが1人でいる時にじわじわと体を硬直させるのがわかって、些細すぎるのだが小さいストレス、侮れない…と思ったりしている。

 

note.com

 

最近ふと荻上さんの上記noteを読んだ。印象的だったのが「ストップいじめ!ナビ」の心理的危機対応プラン「PCOP」の中に書いてあった“コーピングレパートリー”。

“コーピング”とはストレスに対する意図的な対処のこと。ストレスを受けた時に、すぐに試せるコーピングのレパートリーをいろいろなバリエーションで持っておくと良いらしい。ストレス対処のバリエーションを増やすとなると、それ自体がまた大変なようにも思えるけど、例えば烏龍茶を飲む、ハーブティーを飲む、ほうじ茶を飲む、みたいなバリエーションの増やし方でもいいとのこと。

stopijime.jp

これを読んで、やっぱり私も可能な限り自分で自分のご機嫌を取るように、積極的に、そして意識的に自らストレス緩和するようにした方が良いんだな、と思った。

自分で自分のご機嫌を取る。もしかしたら当たり前のことなのかもしれないけど、少なくとも私にとってはここ最近まで無かった考え方で、意識的になってから割合楽に生きられるようになったと思う。コーピング、という概念については記事を読むまで知らなかったが、ストレス負荷がかかった時にこのストレス対処がだめならこれ、それでもしんどかったらこれ、とあれこれ自分でストレス対処方法を試すことによって気分を落ち着けること。その対処法を一つに頼らず分散させること。これをなんとなく実践していた。そうするとたしかに気分が落ち着いてくるからだ。

「前向きに」を強いない、ということ|安田菜津紀(フォトジャーナリスト)

また、上記の安田菜津紀さんの記事にも共感した。私は自分自身のご機嫌をとる、という言い方をしてきたけど、それはかならずしも前向きになろう、と言うことではない。自分自身のストレスに向き合い、付き合う。緩和する。「前向き」は他人から強いられるものでも、自分の精神状態が整わないうちに無理してなるものでもない。別に「前向き」でなくたって生きていける。

 

私は長い間、ストレスにも自分の機嫌にもある意味無自覚で、気分の浮き沈みが激しくてもそのまま受け流そうとしたり忙しいのにかまけて放置したり、依存的に何か一つのこと(アルコール、タバコ、アイドル)にのめり込むことで気を紛らわせようとしたりしていた。

上に書いた「謎ロープレ」をさせられたりしていた時期は常に抑うつ的で、いつも頭の中に”もしかしたら死ぬかもしれない”という思いがあった。

危機に瀕していた人や、よくない状況に陥ってしまった人に対して「相談してくれればよかったのに」という人がいる。私の場合は、思い返すとそれなりに自分なりにSOSを発してはいたつもりだったのだけど、周りの声や言葉はわりと的外れだったり、何か紛らわそうとしたのか笑われたり、そもそも私の苦しみなんかよりもっと当人にとって大事なことを話したいんだな、と感じてしまったりして、身近な人に話して自分を落ち着かせる言葉に出会うのはなかなか難しかった。

だから自分の状況をできる限り多く知ってくれているごくわずかの人のみに話すようになった。私は会社に対してストレスを抱えていたので、全てを話せたのは何年も仲良く過ごした親友ではなく同僚だった。友達や家族の楽しい話を遮ってまで自分の苦しい話をしようとは思えなかったのもある。

「相談に乗る」「その人に寄り添う」ということは、意識的にその人を支える、という姿勢や前提ありきのものだと思う。これは個人的な体感なので一概に言えたことではないが、家族でも友人でも、意識的な姿勢や前提なしに「寄り添う」というのは難しいことなのかもしれない。だからいきなりSOSを発せられても、気づけない、問題意識につながらないこともあると思う。私は同じ空間で働いていた同僚が、一から説明しなくても状況を理解してくれて、支えてくれていた。運が良かったしありがたいことだったと思う。

よくよく考えてみれば、そこまで追い詰められる前にさっさと公的な相談機関や医療機関を頼ってみれば良かった、振り返ってみるとそう思える。

今は幸い心理的危機に瀕している状況にはいないが、自分自身が簡単に、また無意識のうちに危機的状況に陥ることを身をもって知っている。また、自分で自分のご機嫌を取るプロセスを辿ることができていること自体、心に余裕があるからこそなのかもしれない、ということも思う。ただ、自分や、もしくは周りの誰かが深刻な状況になる前に、その前に間に合わせるために。