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私たちは手を取り合って駆け出す - 映画『お嬢さん』を観た

お題「ゆっくり見たい映画」

映画『お嬢さん』を観ました。※ネタバレありの感想を書きます※

 

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お嬢さん(字幕版)

お嬢さん(字幕版)

  • 発売日: 2017/08/21
  • メディア: Prime Video
 

 

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私たちは手と手を取り合って、外の世界へ、暴力的な眼差しの届かないところへ逃げる。

キム・ミニ演じる秀子お嬢さんと、キム・テリ演じる侍女のスッキが屋敷を出て草原を駆け出すシーンがあまりに美しく輝いていて、何度でも感動してしまう。

 

藤原伯爵(ハ・ジョンウ)と結託し、秀子を騙して財産を奪う目的で侍女として秀子に近づいたスッキは、秀子と一緒に過ごすうちに、秀子に対して愛情を感じ始めていた。

しかし、同様にスッキに惹かれていた秀子からの告白により、実は秀子自身も伯爵と結託しており、スッキを騙して叔父(チョ・ジヌン)の監視下に置かれた屋敷から逃げようとしていたことを知る。スッキと秀子は手を結び、自分達を利用しようとした伯爵を出し抜くことに決める。

 

秀子とスッキが屋敷を抜け出す前に、秀子は地下の朗読部屋へとスッキを案内する。朗読部屋は、秀子が叔父や客人の紳士の目の前で官能小説を朗読させられ、苦痛を味わってきた空間だ。スッキをその中に入れ、叔父の保管する官能小説や生々しい春画を見せると、秀子がこれまで受けてきた仕打ちにスッキは激昂する。

スッキは本を破り、インクでページを汚し、朗読部屋をぐちゃぐちゃに破壊した。幼い頃から叔父に厳しく調教され、性的に搾取され続けてきた秀子を、スッキは“破壊”によってその呪縛から解放した。

朗読部屋は秀子を縛りつけていた人生の象徴であり、スッキが怒らなければ、スッキが壊さなければ、秀子の人生は決して動き出さなかった。スッキは文字通り、秀子の人生を壊しにきた“救世主”となったのだ。

冒頭に述べた、秀子とスッキが手を取り合って草原を走っていく場面は、この朗読部屋の破壊に続くシーン。精神的にも肉体的にも解放され、自由へと向かっていく秀子とスッキの表情は晴れやかで、キラキラとした希望に満ちている。

私がこの場面を見て感動するのは、きっと自分がいる世界の外にも世界は存在していて、もっと自由になれる可能性を感じられるからだ。私がスッキとなって孤独な人を連れ出すことも、私のスッキを見つけて連れ出してもらうこともできるかもしれないと思えるから。

 

どこかで違和感を感じていたとしても、長期間にわたって刷り込まれてきたことに対して人は抵抗力を失っていく。

例えば、友人が会社での力関係を気にして上司からの夜の誘いを断れなかったことや、怒鳴ったり重い扉のついた密室で説教したりすることで、支配的にチームをコントロールしようとしていた上司のことを思い出す。私はあの時、友人たちや自分のためにもっと怒り、暴力的な眼差しを断つことができたかもしれなかった。

社会の中に長い間滞留し、もはや“常識”となってしまったおかしな刷り込み、それに乗じた不躾な眼差しは膨大な数存在している。でも、私はそれらに対して怒ることができるし、壊すこともできる。その可能性を『お嬢さん』の逃避行のシーンは示唆してくれる。私たちは手を取り合って、暴力的な眼差しの無い世界へ、自由な世界へ走って行けるのだ。

 

※補足:石垣を飛び越えて外に出るのを躊躇う秀子お嬢さんのためにスッキがスーツケースで踏み台を作る場面があるのですが、秀子のスーツケースが汚れないように、自分のスーツケースで秀子のスーツケースを挟むようにさっと積み上げたところにグッときました。

踏み台を用意してお嬢さんの手を取るスッキかっこ良すぎるやろ……。