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「愛嬌ポーズしないで!」と叫ぶ彼女の推しの愛し方 - チョ・ナムジュ『彼女の名前は』

不条理な事柄に対して声を上げたり、抵抗したりする女性たちの物語を描いた、チョ・ナムジュによる短編集『彼女の名前は』。どの女性の物語にも心当たりがあり、共感し記憶の中の自分や友人、家族を回想した。そんな中でも、特に印象に残ったのがアイドルファンの女性を主人公に据えた1つの物語「彼女へ」だった。

 

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「彼女へ」では、主人公のジュギョンがガールズグループに所属する1人のアイドルに”沼落ち”した瞬間に始まり、ファンクラブに入会しCDを何枚も買い込む様子や、番組の公開収録で目が合って喜ぶ様子などが描かれている。

その一方で、好きだからこそモヤモヤする時がある。ジュギョンは、推しに下品な愛嬌ポーズをさせる番組を不快に感じ、何とか推しに愛嬌ポーズをさせたくないということで頭が一杯になってしまう。彼女は出待ちの際に、推しに向かって直接「愛嬌ポーズしないで!」と叫ぶが……?という物語だ。

「彼女へ」で描かれた、ジュギョンの推し活にまつわるあれこれは、私もアイドルのファンダムに長年浸かっている人間なので手に取るようにわかる。沼落ちした時の、推しのことしか考えられなくなってアドレナリンがめちゃめちゃ湧き出てくる感じや、自分に向けて推しがファンサをくれた時の「えっ今?!流れ星か?!現実?!」みたいな信じられなくてキラキラした瞬間。心が全部推しに向かっているけど、恋愛とも友情とも違う、なんだか理由も定義もあるようで無いけど好きだという気持ち。

 でも、ジュギョンと同じようにこれは推しにして欲しくない、と思うこともある。推しを消費しているのではないか、これは本当に番組の構成に必要な演出だったのか。“体を張った”とか“イジられておいしい”とか、それって推しのファンである私にとって少しも面白くないのに、視聴者の誰かにとっては面白いの?本当に必要だったの?と感じることも多々ある(例えば、実際に遭遇したのは故意に推しのお尻が剥き出しになるような演出や故意にいわゆる“胸キュン”ワードを言わせる企画など……こうやって文字にして書くのも本当はちょっと嫌だ…)。

私が「彼女へ」を呼んで第一に思ったのは、「私もジュギョンのように叫べば良かった……のか?」ということだった。ジュギョンがとった推しに直接お願いする、というのは最終の最終の最終手段だ。もちろんジュギョンは直に推しに伝える前に事務所に問い合わせもしている。タレントに訴えかける、という方法が良いか悪いかは別として、ものすごい行動力だと思う(「良いか悪いかは別」というのは、タレント本人に伝えてもどうにもならないこともあるし、恐らくその場合の方が多いからです。しかし、ジュギョンもそれを承知の上で叫んだのか?まあ、そこまでファンを追い詰めるなよ…という思いはある)。

 

ただ、私は実際に推しの活動に対してモヤモヤする部分があるのに、「〜〜しないで!」とはなかなか言い出せない。事務所や運営に直接じゃなくても、例えばTwitterなどにも「〜〜しないで!」と書いたことはない。躊躇が先に立ってしまって書けないからだ。

私は推しに消耗して欲しくないし消費したくない。これは一貫している。でも、同時に推しの将来を邪魔したくないし、推しの今までの経歴も否定したくないのだ。“下品な演出をしないで”というこの声が「バラエティに出演したい」と願う推しの妨げになっていないだろうか?ジュギョンのような“愛嬌ポーズしないで”というこの声が、推しが作り上げてきたアイドル像を否定することになりはしないだろうか?という怯えがある。だから叫べなかった。

下世話な真似をしないとならないバラエティ番組なんて、本当は思ってもいないことを故意にアイドルに言わせるなんて、という気持ちは常にあるし、新しい番組、コンテンツ、そしてアイドルのあり方なども、それなりに世の中でも議論され始めてきていると思う。それでもなかなか今まで積み上げてきたメディアやエンターテインメントの大きな構造はいきなり大きく変わっていくことは難しいのだろう。テレビ画面の前で、PC画面の前で愕然としてしまうことがいまだにある。

でもエンタメコンテンツのために、たくさんの人の様々な犠牲があったのも事実だ。ごく最近だって、いくつかの悲しい事例を思い出せる。それでも変わらないの?それでも既存の構造の中で、視聴者もコンテンツづくりに携わる人も何らかの我慢を強いられなければならないの?いつまでそれを続けるの?と思ってしまう。

本当は私もジュギョンのように叫びたいのだ。せめて自分の声がコンテンツのあり方を変えられる、という希望を持ちたい。問い合わせフォームにひっそりとコンテンツ内容について意見を送るだけではなくて、「これっておかしくないですか?!」って大声で言いたい。

エンタメコンテンツの制作に携わる人には、“面白さ”“世間の注目”の名の下に押さえ込まれてきた声をより受け入れる土壌を築いてほしい。問い合わせフォームを設置するだけじゃなくて、コンテンツの在り方を問い直す発信を様々な仕方で積極的にやってほしい。番組出演や表舞台での活躍と引き換えに、推しを手玉に取られるようなことはもうたくさん。

ただ、ぐるぐる考えながら再度「彼女へ」を読んで思ったんですけど、しんどいし言いたくないことも、「またなの?」と思うようなこともきっと逐一言わないとダメなんだろうな、と。本当に言いたいことを我慢して、「最高だった」「可愛かった」とか良いことだけをTwitterやブログに書いているだけでは、モヤモヤが自分の中だけのモヤモヤで終わってしまう。アイドルが下ネタを話したり過激な発言や行動をしたりしたら喜ぶと思ってる?喜ぶと思われてる?「いえ、違います」って言わないと伝わらない。ぽつぽつと上がった声が、やがて大きな流れの変化につながるって信じるしかないんだと思った。

推しに愛嬌ポーズをさせたくない、推しを性的な消費から守りたい一心から、推しに「愛嬌ポーズしないで!」と叫んだジュギョンは、人によってはちょっとやりすぎだと感じられるかもしれない。ただ、その1つの声によってほんの少しでも変化が生まれたかもしれない、声を上げる勇気を持つ、もしくはコンテンツを問い直す誰かのステップの1歩目になったかもしれないという、希望的な可能性そのものについては思いを馳せる必要があると思う。

 

彼女の名前は

彼女の名前は

 

 

『彼女の名前は』からは少し離れるが、コンテンツを発信側から「問い直す」事例として、「あたらしいテレビ2021」と元ドル誌編集者の方のnote記事には希望を感じ、とても嬉しくなりました。このような形もいいし、コンテンツは日々アップデートしていますよ、ということをもっと発信サイドから受け取りたい。それが発信側と受け手のより活発なコミュニケーションを促して、変化へと導いていくと思った。

www.nhk.jp

↑2021年の年始にNHKでやってたテレビについて語り合うリモート座談会「あたらしいテレビ 2021」。リアリティショーの演出面とリアルの混同されやすさについて触れ、ヒャダインが「結局のところリアリティショーはやらない方がいいと思う」という旨の発言をしていたのが印象的だった。ボーッと見ていたのですが充実した内容で、もう一度ちゃんと見たいから再放送してほしいです。

note.com

↑以前アイドル誌編集者として働いていた方のブログで、インタビューの中で「好きなタイプ」をアイドルに質問し、発信することは本当に必要なのか?ということに疑問を持ったというお話。受け手である「読者」と質問を受ける「タレント」の両方にとって、この質問ってメリットがあるのか?というのをメディアの発信サイドにいた筆者の方が問い直していて、とても読み応えのある良い記事だなあ、と感じました。あと、この記事を呼んでSexy Zoneに興味を持った(実際にSexy Zoneに取材した時の話が書かれています)。