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灰色の海が色を得た - 「聖なる海とサンシャイン」THE YELLOW MONKEY

トリップした。

 

自分自身の記憶の中へのトリップ。それは「あーこんな事あったな」レベルだと頻繁にあるが、その時見た映像と温度、気持ちまでが鮮明に蘇る、頭の中の時間が戻る感覚は、どうやら音楽を聴いている時に呼び起こされやすいようだ。

 

聖なる海とサンシャイン

聖なる海とサンシャイン

 


THE YELLOW MONKEYの「聖なる海とサンシャイン」を聴くといつも色の無い高校時代を思い出す。

 

記憶の中の高校時代はなぜかいつも曇っていて、制服もグレーのブレザーとスカートだった。友達はいないようでいたけど、いるようでいなかった。一緒にお昼を食べる子も一緒にバスに乗って帰る子もいた。でも、ちょっとしたグループワークとか、ちょっとした体育の時間とかに私と進んで組んでくれるような子はいなかった。

別にそんなことでいちいち傷ついたりはしないのだけど、みんな何がそんなに楽しくて、Aクラス最高〜とか言ってるのか、本当に理解できなかった。そこに憎しみとか恨みはおそらくなくて、ただ今思うと常に寂しくて、あと理由のない悲しさに気付かないようにしていた。なんか、理由のない悲しさって呪いの口実のようだね。

 

印象的だったのは、クラスの授業時間を使って文化祭の準備をしていた時のこと。楽しいとも楽しくないとも思わず、なんとなく隣にいた子と話しながら作業していたが、突然その場から消えたくなった。それまで、どんなに嫌な授業があっても、苦手な子とグループワークをしなければならなくても、決してサボったりしなかったし、そもそも普段はサボったり逃げたりすることを思いつきもしなかった。もっとサボって映画見に行ったり図書館に行ったりするべきだったとすら思う。

でも、何が起こった訳でもないのにその文化祭準備の時だけは、もうこのままこの場にいるのが耐えられない、と確かに感じて、その後すぐに全ての思考と動作がストップした。話していた隣の子に大丈夫?とか言われたような気もする。

次の瞬間にはトイレに行って顔に日焼け止めクリームを塗ったくり、教室にある鞄を取って職員室に直行した。私が苦手だなあと常に思っていた、明るい担任のおっさん(顔は水谷豊似)はその時離席していて、その代わりに学年主任に、体調が悪いから早退したいと申し出た。体の調子はどこも悪くなかったはずだが、学年主任の先生からは「なんだか顔色が悪いな?!早く帰りなさい」と言われた。顔色が悪いのは、恐らく直前に塗った日焼け止めクリームのせいだ。

 

人気の無い学校周辺、余裕で座れるバスと、通学時間とは全く異なる風景を目の当たりにしながら、空っぽになった頭の中をどうするでもなくただ家へと向かった。

 

たったそれだけの思い出だが、あの時に表面化した虚無感がそれ以来濃くなったり薄くなったりを繰り返していて、振り返ると高校時代は間違いなく灰色の時代だった。

 

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↑中学生の頃から使い続けているiPod。もう懐かしいのもいいとこ。未だに超元気。

 

THE YELLOW MONKEYの曲を聞き始めたのも高校時代。当時は曲を網羅して聞いていた訳ではなかったのだが、「聖なる海とサンシャイン」の、なんとなくの異質さと虚無感が大好きで狂ったように聞いていた。聞いている間だけは、重たく広がる、どろっとした海の中に身を投じているような開放感を感じられた。暗いトーンで撮影されたPVの雰囲気も、色のなさに何故か共感してしまって好きだった。

 

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あれから約10年、さいたまスーパーアリーナで聖なる海とサンシャインを聞くことになろうとは全く予想していなかった。THE YELLOW MONKEYが再集結した後も、なんとなくライブではやらなさそうだと思い込んでいた。

 

エマのギターが綺麗すぎて、最初「聖なる海とサンシャイン」だと気付かなかった。私の中でのこの曲の位置付け、どんだけ暗いイメージなんやろか……。聞き入っているといつも通り、身体まるごと過去へと持ってかれたが、「色がある!」という新鮮な気持ちがあった。色がある。色があって動きがあって、私の中に新いものとして取り込まれていく感覚。目の前の海はどろっとはしていなくて、悲しさや苦しみを包括したまま循環していた。

 

なんかそうやって、いなかったけど側にいてくれてた旧友みたいな感じで、この曲は私に寄り添ってくれた。そして多分THE YELLOW MONKEYも私も大人になったのを感じた。感じてしまった。もう私は、何かの引き金を引いたり何かを燃やしたり、破壊的な衝動はあっても行動には移さない。そして多分彼らも。だって大人になったから。THE YELLOW MONKEYは成熟した音楽を、私はそれらしい日常を手に入れたのだ。

でも、それでも彼らはきらきらしていて、貪欲で、華やかでかっこいい。そして、ちょっと妖しくてちょっとズレてる。今、どうしようもなく、前を行く彼らのような、ちょっとズレてる大人になりたい自分がいる。