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舞台「優秀病棟 素通り科」感想 “とはいえ、この世界で生きる”

ふぉ〜ゆ〜の福田悠太くん主演舞台「優秀病棟 素通り科」そして辰巳雄大くん主演舞台「ぼくの名前はズッキーニ」。遅ればせながら、両公演とも無事完走おめでとうございます!!

どちらも時間が経ってから反芻したくなる舞台だった。まずは「優秀病棟 素通り科」から、忘れないうちに感想を書いておく。ズッキーニはまた後日書きます……。

忘れないうちに、とは言っても「優秀病棟 素通り科」は1月に上演されたのでもう2ヶ月経っている。もっと鮮烈な時に記憶を書き留めておくべきだったのだけど、なんだろうね。時が経つのが早い。特に2月はあっという間に過ぎていった。

山田ジャパン主催「優秀病棟 素通り科」は配信で観たのですが、正直言ってオンラインで観ていてあんなに没入できると思わなかった。画面に文字通り目が釘付けになるような舞台で、少し劇場に行かなかったことを後悔したりもした。ただ、その時の「行く/行かない」の判断に正解があるものでもないので、配信で観られてラッキーだったなと思うことにした。

「優秀病棟 素通り科」は、“とはいえ、ここで、この世界で生きていく”ということの実感を思い起こさせるような舞台だった。「何があっても生きていこうね!!エネルギー!!」みたいな感じではなく、“とはいえ、生きていく”。

理由がないけど生きるし、各々しんどい境遇にいるけど生きる。たった一晩の対話から、現在進行形で生きている私たちに生きる実感を与える舞台だったと思う。暑苦しくないのに胸が熱くなった。

 

「優秀病棟 素通り科」はふぉ〜ゆ〜の福ちゃん演じる「飯塚哲人さん」が飛び降りでこの世を去ろうと試みるも、偶然居合わせた、いとうあさこさん演じる「喜久枝さん」が飯塚さんをキャッチすることで偶然にも命を助けるところから物語が始まります。

まず冒頭からして「飯塚さん」対「喜久枝さん」の対比の構造になっていて、上手から飯塚さん、下手から喜久枝さんが登場する。2人は全く別のことで頭がいっぱいで、飯塚さんは「(この世を去るという選択が)自分にとって得策だ」とどこか晴れやかな表情で話す一方、喜久枝さんは「失業保険給付金が入らないと困る、家賃だって払わないといけないし」と誰かに電話をかけている。

私はこの「給付金」という言葉を聞いた瞬間にグッと現実感が増したというか、一気に舞台の中に引き込まれたような気がしていて。ちょっと話が逸れるけど、ふとポン・ジュノ監督が『パラサイト 半地下の家族』のインタビューで、冒頭の場面の「Wi-Fiを探す」という共通の行動を通じて、海外の観客も含め心がオープンになるって言ってたのを思い出した。リアルとリンクする共通項があって、物語との親近感が一気に増す。

ストーリーに話を戻すと、開放感とともにこの世を去ろうとする人と、閉塞感の中でも「生きることや生活」に向かって一所懸命になる人。この極めて対照的な2人のちぐはぐな対比が対話を生み出し、「なぜ飯塚さんはこの世を去ろうと思ったのか?」という2人の会話を通じてその対比がどんどん浮き彫りになっていく。生きることに邁進している喜久枝さんは飯塚さんの行動の理由が理解できないし、飯塚さんも飯塚さんで「死」を選ぼうとした理由が自分でもよくわからない、と喜久枝さんに語りつつ、今までの生活を振り返る。

職場の同僚や取引先からは信頼され、妻とも仲良く暮らしている「飯塚さん」と、夫が鬱を患い失業を余儀なくされ、娘を大学に行かせてやれず、夫の勤め先とパワハラ認定の可否について揉めている「喜久枝さん」。2人の境遇を表面的に比較すると、飯塚さんの方がより幸せに見える。実際に、飯塚さん&喜久枝さんがバーでそれぞれの境遇を話す場面では、「なんか…喜久枝さんの方が不幸じゃない?」的な雰囲気が流れ始める。それに対して喜久枝さんは「そうかな〜?」と首を傾げる。

外から境遇を見ただけでは、そこに置かれている人がどういう気持ちなのか、どういうことを考えながら過ごしていたのかまでは当然わからない。そして、その人自身だって、自分が実はどういう気持ちだったのかを理解しないまま生活が流れていくことだってある。

私はぱっと見幸せそうな飯塚さんの職場や家庭の場面を見た時に、「確かに周りからとても愛されていて、生命を脅かすような外的な困難はなさそうに見えるけど、でも飯塚さんって自我はどこにあるんだろう」と思った。

というのは、ふんぞり返っている上司に腹を立てる部下の間に入って場を丸く収めたり、極度にイライラしている妻の機嫌をとったりしている時の飯塚さんはとても優しくて気が利く人なんだけど、どこかこう他人事っぽい対応というか、飯塚さん自身、つまり“自分”を一回物事の枠組みの外に置いているような感じがあって。行動の理由が「自分がこうしたいから」よりも「他の人がこうしたがってるから」に見える。

で、喜久枝さんは「家族の幸せが自分の幸せ」だと言いながら、パワハラ企業と夫の間に立ってやりとりをしたり、ヒステリックな娘と病んでしまった夫、崩壊しつつある家庭の中での潤滑油になろうと奮闘したりしている。“仲介役”だという点では飯塚さんと立場が似ているし、状況はより不幸せに見えるんだけど、決定的に違うのは喜久枝さんの行動のモチベーションは「自分がこうしたいから」だということ。自分が家族を愛しているから、家族の幸せを願っているから、自分が行動している。喜久枝さんには自我がある。

これは私の主観的な見方ですが、飯塚さんは自分の行動に理由を見出さない、見出せないから、自分のことが見えなくなったのかなあと。「自分がいない世界」の方が飯塚さんにとってしっくりきたから、飯塚さんはこの世を去ることを“得策”だと感じたのではないか。ただ、飯塚さんが自分の中で「死を“得策”」だと結論づけたことに対して、喜久枝さんはラストではっきりそれを否定する。自分自身の中で推し量れることには限界がある、自分の中ではそう結論づけたかもしれないけれど、他の人や視点から見れば決してその答えが正しいわけではない、と。

私これ最初聞いた時に、「でもそれって飯塚さんの自分の人生の選択なのに、結局は他の人の視点を取り入れろってことなのか?」という気がして喜久枝さんの主張に違和感があったんだけど、もう少し噛み砕いて考えてみると、「周りの人との関係性の中に自分を取り戻してみてよ」ってことだったのかな。それなら理解できる。

また、印象的な飯塚さんの発言として「理由がないことが一番怖い」みたいなセリフがあるけど、まさに飯塚さんは自分自身が自分自身でいることの理由がなかった、一番怖い状況にいたのではないか。だから、飯塚さん自身の人生を振り返る喜久枝さんとの対話は、飯塚さんの輪郭とか、存在、自分自身のことをなぞって確認していくプロセスだったのかなあと思います。死の理由を探すために2人は対話を重ねていったわけだけども、結果的に飯塚さんの生きる理由を探るプロセスになっていった感じがする。

だから、喜久枝さんの「探すわよ〜!!」号令で始まるクライマックスの舞台の大転換の場面(CUTTの「Domino」が流れるところ)での、飯塚さんの記憶総ざらいがあって、今までの飯塚さん自身と飯塚さんが向き合うことができたからこそ「これからの人生を考えてみる、見積もりを出してみる」って言う結論に辿り着けたのではないかなと思いました。

でも自分自身の記憶を掘り起こして1つ1つ向き合って、なおかつ他人にそれを開示するのって容易なことではなくて、すごいしんどい作業だと個人的に思うので、あの大転換の場面はマジで泣きました。なんかすごくしんどい気持ちになっちゃった。飯塚さん、よく頑張ったね。

 


CUTT - Domino YJ ver. (Lyrics Video)

個人的には、「理由なく何かの行動や選択をする」ということは結構普通にあることで、それがどうでもいいような行動でも、重大な選択でも、理由がないことはあるだろうな、というのを改めて感じた。同時に、「ないと思っていた理由は本当にないの?」っていう問いかけというか、「ないこと」に向き合うこと、そこから思ってもみなかった結果が生まれる可能性もあるだろうな、ということも感じた。

いち観客の願望としては喜久枝さんと飯塚さんはあの後たまに連絡を取る飲み友達になっていてほしいし、飲みながらお互いの生活の愚痴などを言っていてほしい。飯塚さんは生きることに向き合えたしポジティブな結論を導き出せたけれど、その一方で喜久枝さんが向き合っている現実の生活は厳しいもので、厳しい中でも生きていく、その束の間の休息であったり、癒しのようなやりとりが2人の間で為されていてほしいなと思う。

 

扱っている題材そのものはシリアスなものですが、テンポよく進む演出とコミカルなツッコミが至る所に散りばめられていてめっちゃ笑いました。特に、飯塚さん行きつけのバーでのやりとりが面白かった。喜久枝さんの夫にパワハラをしていた上司の絶対的に半沢直樹に影響を受けている台詞回しとか、子供の頃のキャッキャした回想シーンは爆笑しながら見てました。

そして、居酒屋とかバーとかに行きたくなった……!!1杯目の生ビールが来て「で、どうなの」って本題に入る感じとか、お話の上手なバーテンダーさんがいるバーでゆったり飲む感じとかを見ていて「いいな〜〜〜、飲みに行きたいな〜〜〜」となった。飯塚さん行きつけのバーの、バーテンダーさん2人のゆるゆるな空気感が好きだった。

あと、カーテンコールでの福ちゃん&いとうあさこさんはじめ、キャストの皆さんの演じ切った感じ、清々しい表情も印象に残ってる。オンラインとはいえ2021年の舞台初めが「優秀病棟 素通り科」で良かった。とても素敵な舞台でした。