文を書く in TOKYO

ファッションとエンターテインメントについてふわふわ語る

聞いてくれてありがとう、小さな声で話します

今週のお題「会いたい人」

 

・夢の中で手を繋いで野球場を歩いていた。爽やかな風の吹く初夏、晴天の午後だった。椅子が空いてなかったから一緒に階段に座った。整備されていない、郊外の野球場。それでも人がたくさん集まり、歓声を上げていた。

推しが夢に出てくると「肖像権を勝手に使ってしまって…ごめんね!!!」と思うタイプのオタクは私です。この夢見た時も幸せな気分だったけどだいぶごめんと思った、でもいつもいい夢見せてくれてありがとう。「リアルな恋人じゃないのかよ!」というツッコミは私にはいらない。推しが好きで、好きな人が夢に出てきたら嬉しい、ただそれだけ。

 

f:id:kyanakoforyou:20200510014334j:image

KinKi Kidsのツアーで4年前(!)に行ったセキスイハイムスーパーアリーナ…野球場じゃないけど……私のフォトライブラリ内にある、夢に出てきた野球場に最も近しい写真がこれだった……。

多分この夢は寝る直前に見た2つのものに影響を受けていて、一条ゆかり先生の漫画『プライド』と、ジャニーズウェブのふぉ〜ゆ〜の連載「あ〜ゆ〜ことふぉ〜ゆ〜こと」の辰巳雄大くん(推し)の更新。

『プライド』は、オペラ歌手を志す2人の歌姫がライバルとして切磋琢磨していくお話。自他ともに認める高貴なお嬢様だが、父親の経営する会社が不振となり自立せざるを得なくなった「史緒さん」と、毒親に荒んだ環境で育てられ、自分にはないものを全て持っている史緒さんを憎み、劣等感・闘争心とともに奮闘する「萌ちゃん」。史緒さんと萌ちゃんはかなりバチバチに対立しつつ、今までの自分にはなかったお互いの価値観に触れながら少しずつ成長していく。

史緒さんも萌ちゃんも、かなり良い感じ(共感できたりできなかったりする)のキャラクターなんだけど、私のイチオシのキャラクターが、史緒さん、萌ちゃんの勤務先であるクラブのママの息子であり、ピアノの伴奏係でもある「蘭丸くん(蘭ちゃん)」。蘭ちゃんは、史緒さんが密かに想いを寄せる男の子で、史緒さんが困っているときに手助けしたり、史緒・萌の間に立ってどちらにもまあまあ分け隔てなく接したり、かなり良いヤツ。

まだ途中までしか読んでいなかったのですが、ちょうど史緒さんと蘭ちゃんがいい感じのデートをする場面を読んでいて、さっと手を繋ぐシーンがよかった。「史緒さんの思いも蘭ちゃんの思いもわかるああああああああ!!」となりました。ダイレクトに私の夢に影響を与える一条ゆかり先生すごい。

 

プライド 1 (クイーンズコミックスDIGITAL)

プライド 1 (クイーンズコミックスDIGITAL)

 

  

そして、決定的だったのが「あ〜ゆ〜ことふぉ〜ゆ〜こと」(5月8日更新分)。辰巳雄大くんが動画付きで更新していたので、それで私の夢の中に出てきてくれたのですね。ダイレクトに私の夢に影響を与える辰巳雄大くんすごい。すみません私が勝手に見た夢ですね、すみません。

雄大くんのブログには、ポジティブな言葉を言っていた方がいいけど、そんなの無理なこともある、弱音を言ってもいい、口に出した方がいいという内容が書いてあった。動画の中の雄大くんは笑ってグータッチをして、話を聞いてくれるような感じでうなずいてくれた。

先日のラインライブでも言葉には力がある、と話していた雄大くん。言葉には力があると思ってるからこそ、なるべくポジティブでいようとしている、と話していた。配信を見ながら、雄大くんは眩しいな、と感じていた。私はスーパーミラクルネガティブ人間な自覚があるので、「やっぱりポジティブな方がいいよね、、」と思いつつも、自分はそうなりきれない……前向いてる人、素敵よな…と思っていた。でも、今回の「あ〜ゆ〜ことふぉ〜ゆ〜こと」を見て、私のその“なりきれなさ”の部分も拾ってもらえた気がした。

しかも、ちょうど仕事で落ち込む指摘を受けたところで、やや凹み気味だったので五臓六腑に染み渡りました(使い方合ってる?)。

聞いてくれて本当にありがとう。私の心はふわっと軽くなりました。きっと多くの人の心が雄大くんの言葉、行動によって和らぎ、安らいでいるんだろうな、と思った。雄大くんのファンで良かったです。

 

私の夢の話に戻るんですけど、ぎっしり人が座った野球場では誰もマスクをしていなくて、活気があって、爽やかで暑かった。そこに不安を感じさせる要素がなかった。私は普段あまりスポーツ観戦に行くことはなく、もっぱら観劇やコンサートですが、あの高揚感と多幸感を知ってる。みんなで娯楽を囲んで愛でる楽しさを知ってる。平時、そこに不安を感じることはほぼなかった。あったとしても周囲の人の観劇マナーとか、それぐらいの些細なこと。でも、もう平時じゃないんだった。

多くの人が不安・怒り・絶望と隣り合わせになっている中でこんなこと言ってもいいものか、とまずは思うのだけど、でも小さな声で少しだけ、そっとここに書かせてほしい。「不安のない状態」で、また推しに会いたい。まだ発見しきれていない素敵なエンターテイナーにも会いたい。知らない人も知ってる人も一緒に劇場やホール、映画館、ドーム、野球場などに集って、みんなで見る娯楽の楽しさをまた味わいたい。

 

・ところで、私も家族もテレビを見ながら怒る時間が格段に増えた。今のこの状況、本質が浮き彫りになっただけなんだろうか。もう嫌だと1人で呟いたり、関連ニュースをとめどなく追ったり、色々なことに対して怯えたり不安に思ったり、そんな感じ。楽しみにしていた親友の結婚式は延期になった。事態が急速に良くなるような劇的な好転は見込めないけれども、良い方に向かっている実感が少しでいいからほしいな、と思う。

少し前に、周囲の人に用もなく「元気?」と連絡して、周りの人は幸いにもみんな元気で、中身のない連絡に元気に返してくれて、それはよかった。結婚したばかりの友達は、少し前に会ったときに結婚してからパートナーの些末なことでも気に障るようになったと言っており、自粛ムードで家から出られない状況でイライラしたりしていないだろうか、と少し心配したが私の取り越し苦労だった。よかった。

私は、良くしてくれる友人やお世話になっている人たちに、会って話すことで毒を抜き、癒されていた。無意識のうちに安心していた。震災の時にも感じたことだけど、改めてそう感じた。画面上でももちろん、少しは安心したり癒されたりするのだけど、ただ様々な要因が一度に身に迫っていて、様々なリスクに晒されていて、安心ってなんだっけとなる。

この前とは違う服を着てメイクが少し変わって話す内容が少し変わって、”会えて嬉しい”なんて特に言わなくても嬉しいね、となっていた、少し前までは。いつも良くしてくれているみんなに会いたい、会いたいけどそれ以上にどうか安心な生活を送っていてほしい。

さり気なくささやかに祈りながら、怒るべきことに怒りながら、いつもより意識して気持ちをコントロールしながら、まずは私もちゃんと生活をする。