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ファッションとエンターテインメントについてふわふわ語る

ふぉ〜ゆ〜「SHOW BOY」ヤルシカナイネ!とBTS「Permission to Dance」

ふぉ〜ゆ〜主演舞台「SHOW BOY」再演おめでとうございます!絶賛公演中ですね。

 

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たまたま私がチケットを取った「SHOW BOY」の観劇日程と、BTSの「Permission to Dance」解禁日が近かったこともあり、この両者のメッセージにとても共通するものがあるな、と感じたのがこの記事を今書いている理由です。

というか、もっと言えば、今まさにほしいメッセージってこれだったよね〜〜〜!!!という感じ。人生はショーのように楽しいエンターテイメントなんだ。自由に踊りたい、自由に音楽を感じたい。そこに許可はいらないし邪魔するものもない。「SHOW BOY」も「Permission to Dance」もめっちゃいいじゃん超最高!!と思ってます。私の夏が輝き出した。

2021年のロッキンフェス開催中止が先日発表されたばかりですが、私たちはこれまでずっと、娯楽を楽しむ“場”を制限され続けてきたわけで、裏返せば許可がないと楽しんではいけないような同調圧力が常に蔓延しているような状況が続いてきたと思う。でも、本当は、本来は娯楽に許可なんていらないということを忘れたくない。感染対策のためにある程度の制限がかかるのは仕方がないことだし必要なことでもあると思うけれど、私たちは“楽しんではいけない”わけではない。

私は世の中の同調圧力的な閉塞感に一時期完全に飲まれてしまって、「本当はあの舞台行きたいけどなんとなくチケット取らなくていいか」「映画はネットに配信されてから見ればいいか」みたいな気分になり、それと同時進行的にものすごく病んだので、「楽しみたい」欲求とか「エンタメを続ける」意欲を持つことそのものは我慢しないでいいよ、という「SHOW BOY」と「Permission to Dance」のメッセージが今回すごく染み入ったのです。

だってさ、普通に生きてても「楽しいことを我慢しなくていいよ」とか「踊るのに許可はいらないよ」とか誰も言ってくれないじゃん。あまりに我慢続きだと忘れそうになる。(とか言いつつ、私は幸運にも我慢せずに済んでいることが多い方だとも思う。それでも耐えられなくなりそうになっていて、気持ちにどう折り合いをつければいいものか、自分がわがままなだけかもしれない、と思ったりした。)

今はだいぶ回復しましたが、あっぶねーとこでした。行くところまで行くと、今まで好きだったものとか楽しいと思ってた物事まで無味乾燥に思えて、そうなったらほんっっとにヤバいから!!(実際なりかけた) みんな我慢してるんだから我慢する、みたいな方向性ではなく「じゃあ、まず自分にできる範囲で楽しむには、現状どうしたらいいの?」を考えるようにしていかないと身がもたないですよね。

 

冒頭からしっちゃかめっちゃか感があるのでうまくまとめられていない気もしますが、舞台「SHOW BOY」について書きつつBTSの「Permission to Dance」についても触れて、共通するところを書いていきます〜〜!レッツゴー!

 

ふぉ〜ゆ〜主演舞台「SHOW BOY」人生はショータイム

 

 

ふぉ〜ゆ〜主演舞台の「SHOW BOY」は、豪華客船の中で日々ショーを開催するキャバレー・キットカットクラブを舞台に、ショーや娯楽を断念せざるを得ないところにまで追い込まれたそれぞれ異なる立場の“浮かばれない男たち”*1が、巡り合わせで1日限りのステージに立つことになるドタバタストーリー。2019年に初演を迎え、公演初日の前日がジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川さんが逝去された日だった。今回は、2年越しの再演となります。

www.fujitv-view.jp

劇中にしばしば登場する“Life is show time, it's a wonderful entertainment”、そして「ヤルシカナイネ」という節に象徴されるように、その物語の根幹には緩やかだが確固とした「Show must go on」、つまり“ショーは人生、(私たち、僕たちは)ショーを続ける”というメッセージが込められている。

ふぉ〜ゆ〜のメンバー演じる4人の“浮かばれない男たち”は、各々の“事情”を抱えてなんだかくすぶっている。そして、ポイントとなるのは全員が自身の「娯楽」をストップせざるを得ない状況に追い込まれているということ。

福田悠太くん(福ちゃん)演じる「裏方」は、キャバレー経営者であった両親を亡くしたことでオーナーを引き継いだ姉(演:中川翔子さん)を支えるため、元々ダンサーであったがダンスを諦めて裏方に回る。

越岡裕貴くん(こっしー)演じる「ギャンブラー」は、事業に失敗し、祖父の山を売り飛ばしたことで家族からも疎遠に。一攫千金を夢見てカジノに繰り出すものの、持ち金を使い果たしてしまう。

辰巳雄大くん(辰巳くん)演じる「見習い」は、見習いマジシャンとして師匠に10年間師事するも、本番に弱くテストに合格できないことからなかなか見習いから昇格することができず、10年の節目に師匠からクビを言い渡される。

松崎祐介くん(マツ)演じる「マフィア」は、母国である中国に愛娘を残し、違法取引のために豪華客船に乗船。本当は犯罪などに手を染めるのではなく人を喜ばせる仕事がしたい、と考えている。

「裏方」はダンス、「ギャンブラー」はギャンブル*2、「マジシャン」はマジック、「マフィア」は人を喜ばせる仕事(=エンタメと言っていいと思う)を本当はやりたいのにすることができない状態にそれぞれ陥っていた。彼らの前には否応なく進めなければいけない「現実の生活」があったから。

でも、それぞれに対して本人が胸の内に押し留めていたこと、すなわち本当にやりたことを「やっていいんだ」と告げてくれる人物が現れることによって、4人はそれぞれ自分の人生という物語を少しだけ前に進めることができるようになる。ちなみに、この「やっていい」は“許可”ではなく“後押し”である。

例えば「裏方」は自分の後輩である「主演ダンサー(演:高田翔くん)」から、尊敬している先輩のダンスをもう一度見たいんだ、という言葉に心を動かされる。

また、「ギャンブラー」は船内で偶然出会った訳ありの「少女(演:桐島十和子ちゃん)」からの「大人に質問なんだけど、人生って変えられるの?」という質問に、「見習い」は、自分とは違ってステージに出られる立場ではあるものの、センターで踊るという夢からは程遠くこのまま続けるのは実はもったいないのではないか、と思い悩むキャバレーのダンサー「エンジェル」の姿を見て逆説的に*3、「マフィア」は「完璧な人間なんていないんだから、あなたはあなたで大丈夫」という「支配人」の言葉から背中を後押しされる。

みんなそれぞれ足枷があって踏み出せないのだけど、その足枷は、周りの人の後押しによって、さりげない一言によっていともたやすく外される。彼らが欲していたのはステージに立ち、ショーという娯楽をやり遂げるための“許可”ではない、あと少しだけ、自分を囲い込んでいた枠から踏み出すための“後押し”だった。

それは、間接的に彼らが華やかなステージに立つのに何らかの“許可”はいらない、ということを示している。その証拠に、ショーの途中で「マフィア」を追っていた刑事がショーを中断しようと試みるも、「主演ダンサー」が衣装のシャツを着る服がなかった刑事に貸したという借りをもとに、「この幕が降りるまでは、(それがどういう奴であろうと)ステージに立っている全員が仲間だ」と言ってショーの継続を主張。刑事は「主演ダンサー」の主張を受けて、「ショーが終わるまでは捜査はしない」と告げる。この場面は、ショーを外から邪魔することは許さない、という確固たる姿勢の象徴だと思う。なぜならショーは誰かからの“許可”をもって継続されるものではないから。

演じる人がいて、それを見る人がいれば「ショー」になる、という描き方も大好きで、クライマックスのショーの場面では、以前までお互いのことを詳しく知らなかった4人のステージをお互いに固唾を飲んで見守ったり、一緒に賑やかしたりしている。

「マフィア」は「支配人」の後押しによって「ディーバ」として舞台に上るわけだけど、数分前まで彼を指差して「え?!誰?!」と言っていた「裏方」や「見習い」がステージの袖できゃっきゃしながら「ディーバ」のステージを見ていたり、全くの関係なかった「ギャンブラー」が「ディーバ」の後ろで踊っていたりする。「見習い」が初めて舞台に立ってマジックを披露する場面では、その場にいた全員が集中して「見習い」のマジックをじっと見つめている。この場面はショーはステージや音楽を媒介に「演る人」と「見る人」がいれば成立する、というのを舞台上で可視化したシーンだと思っていて、ショーには何か資格がいるものでもなく、誰もがショーを楽しむことができるのだ、ということを示しているのだと思う。

実際に、特に芸に長けているわけでもない「ギャンブラー」が、特に必要性に迫られているわけでもないのに「なんとなく俺も出ちゃお!みんな出るって言ってるし!」なノリで演じる立場になっていて、なぜかステージでアクロバットをぶちかましたり背中に羽根をつけてルンルンしている。ただこれは“必要性”がなくてもショーに出たければ出ればいい、ショーをやりたければやればいい。「そんな軽いノリでもショーはできるんやで!だって人生はショータイムなんだから」ということを「ギャンブラー」を通して示しているのではないか。

また、「マフィア」は「ディーバ」として舞台に上がることに対して、最初は躊躇を見せる。「私は男だし、言葉も分からないし、歌もダンスもしていない」と言って。でも、それに対する「支配人」の答えは「大丈夫、完璧な人なんていないのだから」。「誰もが完璧ではない」のだから、「ディーバ」になる人にも資格や属性は関係ない。「支配人」は「ヤルシカナイネ!」という意欲を見せてくれた「マフィア」こそが「ディーバ」にふさわしいと考えた(その過程に言語の違いによるいくつかのコミュニケーション上のすれ違いはあるものの、なんとなく同じ意図をもって2人は合意する)。ここには、歌ったり踊ったり何かを楽しんだりするのになんらかの「属性」や「資格」は必要としない、という意図が見て取れる。ちなみに「ヤルシカナイネ!」は、当初は「マフィア」が取引先の人間に圧をかけて萎縮させるために使っていた言葉なのだけど、「マフィア」が刑事に見つかって追い込まれると彼が発する「ヤルシカナイネ!」が言葉通りの、“もうやるしかないんだ”という切羽詰まった意味に変化する。

ちなみに「ヤルシカナイネ!」って英訳するならなんだろな〜?とつらつら考えていて、最初なんとなく「We can do it!」かな?と思っていたのですがそれだと明るすぎで、言葉通りに「There's no choice but to do.」だという結論に至りました。他の選択肢がない、だからやるしかない。これなら否定的な意味合いでも肯定的な意味合いでも使えるのではないでしょうかね……?(確認を取ったわけではないが、Weblioで調べたら「やるしかない」という意味で出てきたので大方合ってそう)。

私は、「SHOW BOY」を観劇した人がいつの間にか「SHOW BOY」の世界の中に没入して夢中になるのには、さっきまでただの“傍観者”だった人がいつの間にかステージに立っている、という物語の展開が寄与しているのだと思う。“傍観者”が劇中でステージに上がることで、ステージに立たない“観客”のことを心理的に舞台に引き上げている。何か敵を倒したり、目標を達成したりしたわけではない、資格も特別な属性も持たない人がステージに上がって演じることができる、という希望を共通項に、傍観者であったはずの観客は「SHOW BOY」の世界にいつの間にか引き込まれ当事者になっている。それで、私たちは劇場ではなく間違いなくあの豪華客船の中にいたのだと思えるのだ。

BTS「Permission to Dance」計画は壊して ただ輝きながら生きよう

BTS (방탄소년단) 'Permission to Dance' Official MV - YouTube

 

 

そこで、BTS「Permission to Dance」との関連について話を移したいと思う。私が「Permission to Dance」に「SHOW BOY」の「ヤルシカナイネ!」を感じたのは、「計画は壊して ただ輝きながら生きよう」というところです。「SHOW BOY」における登場人物たちの人生計画はことごとく壊されたわけですが、彼らはただ輝きながらショーをする(=生きる)選択をする。

そして、「Permission to Dance」では「僕たちは落ちてもどう着陸すればいいか知っているから心配はいらない、ただ今宵を楽しもう」と続く。いやこれ、あの浮かばれない「SHOW BOY」の4人もそうだし、うだつの上がらない私もそうだし、落ちても着陸の仕方知ってる〜〜〜落ちるの辛いけどウワ〜〜〜!!!!となった。「心配しないで、ただ今宵を楽しむことをしよう 僕たちが踊るのに許可はいらないのだから」って言ってくれるその言葉の優しさというか、包み込むような感じ?これって「見習い」の「もったいないことしようよ」と一緒やんね?と思ったんです。そう、許可はいらない。私たちは踊りたい時に歌って、歌いたい時に歌っていい。

しかも、J-HOPEさんのソロがまた良くて、「いつも道を塞いでる何かがある、でも怯えなければどう乗り越えればいいかわかるようになる」っていう言葉も、それこそ足がすくんでいる人のことを“後押し”してくれるような歌詞だなあ、と思った。ユンギさんの「誰かに証明する必要はない」っていうところも好きだし、テテちゃんの「もう待たなくていい、今がその時」も、ジミン&テテの「僕たちが火を燃やし続けられるってことを見せてあげるよ、まだ終わってない、終わるまで踊りたいって言い続ける」(意訳)というところもそう。まだ終わっていないんだから、私たちは誰だっていつだって待たずに踊ることができる。歌うことができる。

妨げるものがあるように思えるけど、本当は何も私たちが踊るのを止める権利、楽しむのを妨げる権利なんてないんだ、という「Permission to Dance」のメッセージと、人生が続く限り、ショーもエンタメも続いていくのだという「SHOW BOY」の“Life is show time, it's a wonderful entertainment”。

表現方法は全く違うけれど、共通していると思いませんか?私はそう思った。あなたの人生も、エンターテインメントも、本当は誰かに邪魔されるものではない。あなたが思った「もったいないこと」は無駄じゃない。思いっきり贅沢に楽しもうね。

雑記

・私、少し前に推しであるふぉ〜ゆ〜・辰巳くんにファンレターを書いたのですが自分の記憶力を過信していて辰巳くん演じる「見習い」を完全に「マジシャン」だと記憶して手紙を書いていて、本当に本当に申し訳ない気持ちになりました……。役名を間違えるなんて……。こんなところで言っても仕方ないのですが本当にごめんなさい……。

・とーーってもここ最近自分自身元気がなかったのもあって、クビを言い渡された「見習い」が「無理……」って言ってしゃがみ込んで泣くところ、あれ全く同じ感じで私もやったことあるわ……となり、かなり胸に迫るものがあった。

ちなみにその後「見習い」はバーのドアを叩くんだけど、落ち込んだ気を晴らすためにバーで飲むっていう選択肢があるのってやっぱり良いな、と思った。

・あと、甲板で「エンジェル」に向かって「見習い」が「今34で今年35になるのに◯△□◆※?●!…」って言って海に飛び込もうとするとこもすごい印象に残ってる。年齢で振り返って周りの人と比べて落ち込むやつ、不毛だと分かっててもやりがちなので共感した。

・マジックは見ていて「オッ」となる。マジックの途中で火が出てきてすごかったし、あの火がなんで一瞬で消えるのかもわからないし、なんで破ったお札が元通りになってるのかわからない、すごい。あとミスターマジックさんのステッキのやつも、あのステッキの動き方ってどうなってるんだろう…と思っていっつも凝視している。双眼鏡で見てもタネがわからないので一回一回新鮮に楽しめた。

・「ギャンブラー」のやさぐれ越岡さんうっすら髭が生えてるのがやさぐれ感あってめっちゃ良かった、「少女」に素直に振り回されてる感じも良かった。なんか「ギャンブラー」と「少女」の説明のつかない関係性というかあの2人だけの空気感めっちゃ良いですよね。「ギャンブラー」がもし親族のおじさんだったら、おそらくああいう風にはなっていないと思う。

・福ちゃん演じる「裏方」の「ク〜〜〜ルに!!!」のあとで手を二回打つ仕草って、今まで気づかなかったんですけどしょこたん演じる姉「支配人」の「Show must go on!(手を二回打つ)」気合入れと連動?してるような気がしたんだけどそうなんですかね??気を落ち着けるための姉弟の、というか一家のおまじないかな。

・松崎くんの「マフィア」、私全く中国語わかりませんが初演時よりなんか中国語が自然な感じがしました。なんとなくナチュラルに喋ってる感じがした。あと「ディーバ」はまじでいつでも最高で、松崎くんまじで最高だな、と思いました。抱えられて横向きでステージに出てくる「ディーバ」を見るといつでも爆笑してしまう。

堂本光一さん主演の「Endless SHOCK」における「Show must go on」もまた、「SHOW BOY」の「ヤルシカナイネ」とBTS「Permission to Dance」と通じるものがある!と最初3つで考えていたのですが、「SHOCK」の「Show must go on」は少し意図するところが違うかな、と感じて今回は言及しませんでした。突き詰めた根幹の部分は確かに同じなのだけど「SHOCK」の「Show must go on」は“どのようにショーを続けるのか”という過程にフォーカスする意味合いが強いと思うので。改めて考えたい。

・「SHOW BOY」があまりに楽しかったので辰巳くんの写真でデコジャニショ「SHOW BOY」ver. 作りました★

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追記:東宝演劇部様の熱量あふれるツイートまじでありがたすぎて足を向けて寝られない……!映像の編集の仕方に愛を感じます。

*1:2021年7月1日配信・ふぉ〜ゆ〜ラインライブ通常配信にて、福ちゃん・こっしーが言及。

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*2:「ギャンブラー」は他の3人と違ってギャンブルを夢見ていたわけではないけど、彼の人生をかけてギャンブルに臨んだのに、お金が尽きてそれすら叶わなくなった、という意味で並列して良いかな〜と。「ギャンブラー」の立ち位置って結構独特だと思う。上述したように必要性に迫られていないのにショーに出演したり、人生逆転を狙う手段がおそらく「ギャンブル」じゃなくても良かったりした。でも「ギャンブラー」は享楽的な手段を選んだ。まあ、「ギャンブラー」は結構人生詰んでる状況ではあったんだけど、やっぱり何かパッと楽しいことしたくて乗船したんだろうな。「カジノキラキラいいな」みたいな、その場のノリでささっと乗り込んだような気がする。

*3:「見習い」が思い悩むエンジェルに言った「もったいないことしようよ」は、君が言う「もったいない」はもったいなくない、ということかな、と。演じる場があって機会があって見たい人(=「見習い」自身)がいるのだから、それはもったいなくないよ、ということを伝えたかったんだろうな、と思った。そして、その言葉が「見習い」自身のことも奮い立たせることになる。

舞台「スマホを落としただけなのに」アンコール上演の感想

舞台「スマホを落としただけなのに」アンコール上演、そして千秋楽を無事迎えたとのこと、大変遅くなりましたがおめでとうございます。

辰巳雄大くんが主演を務める舞台「スマホを落としただけなのに」。2020年に初演を迎えましたが、コロナウイルスの影響で公演日程半ばで中止となってしまいました。そして、今年のアンコール上演も大阪公演は中止。なんだか、去年とは違う思いで公演中止の文字を眺めています。去年は世間的に何もわからない中での公演中止だったけれど、2021年は、もしかしたら中止にならなかった可能性もあった中で、そうせざるを得なくなってしまった。開催する側のみなさんの悔しさを思うと、言葉を失いそうになります。もちろん、中止によって観劇が叶わなかった皆さんも。

何というか、見たいと思う人全てに見てほしい舞台だった。いや、この作品に限らずそうなのだけど。見たいと思う人すべてに届けられるべき。

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私は初演時に運良く観劇できたのでその時にも感想を書いていて、大方の見方は初演時と変わっていないのですが、今回観劇して特に考えたのは「共感と理解」の違いについてでした。

(ここからネタバレしますね!)

 

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 ハチバンが欲しかった「共感」と加賀谷が欲しかった「理解」

やはり、浜中文一くん演じる「ハチバン」が最も欲していたのは「共感」だったんだなあ、と思いました。孤独な状態で新しく生まれ変わるのは難しい、と言った旨のハチバン自身の発言が表しているように「寄り添ってくれる誰か」を彼は欲していた。ハチバンはいつだって、「共感」を求めていたのです。加賀谷にも麻美にも、そしてまゆにも。

でも、ハチバンが逮捕されたあと、加賀谷が示そうとしたのは「理解」。加賀谷が欲していたのはアスペルガー症候群だと自認する自らに対する「理解」だから。彼は「理解」によってハチバンに歩み寄ろうとした。その点でこの2人は噛み合わない。

そして、麻美はかなりハチバンと近い状況だったと思いますが、彼女は孤独じゃなかった。共感を求めていたけれど、本質的に共感してくれる人が近くにいた。ハチバンの解釈に沿って言うなれば、彼女は孤独じゃなかったから、例え偽りの名前だったとしても生まれ変わることができた。

ハチバンが、じゃあ孤独にならないために、母親のトラウマから癒されるために。彼は親から注がれるような愛情を渇望していたのだと思う。自分が享受できなかったからこその、“親からの無償の愛”のようなもの。それをまゆに期待していたんだと思います。ハチバンとまゆのやりとりにおける、ハチバンの退行しているような様子が象徴的だと思う。

 ハチバンが金が尽きたと告げたときに、ハチバンが心の拠り所にしていたまゆがどういう反応をするのか?会計する時間になってからの「お金ないの」は、まゆがお金を介さない自分に対して、どう出るかを試したかったんだと思う。でも当然、彼女は仕事としてハチバンの相手をしていて、ハチバンはお客様以外の何者でもない。金銭が受け取れない状況となれば、家計を支える立場でもあるまゆは追い詰められてしまう。あの場面でまゆが逆上するのは自然な流れだと思った。

また、後にまゆの同僚の証言でわかるけど、トラブルになる前からハチバンはまゆに対して割と暴力的に振る舞っていて、まゆの心身には明らかに負担がかかっていた。ハチバンとまゆの関係性において、圧倒的に立場が弱いのはまゆ。

でも、ハチバンは「お金ないの」に対するまゆの逆上ぶりを見て、まゆとの関係性の中に愛などなかったことを知り、1人で絶望してしまう(まゆのバックグラウンドをハチバンはわかりようがないけれど、そこには思いを馳せずにあくまで1人で)。ハチバンがまゆに手をかけるシーンで「お前みたいな女が子供なんか産むな」みたいなことを言ってたと思うんだけど、自分への愛情を放棄した母親とまゆを重ねていることがうかがえます。受け取れると思っていた愛をまたしても受け取れなかった。

加賀谷は取り調べでハチバンに対して「その子に金をつぎ込むほど好きだったのに殺すほど嫌いになったのか」と聞くけど、ハチバンの中では母親やまゆに対する愛情と憎悪が表裏一体というか混ぜこぜになっていて、多分この感情はハチバンの中でも整理できていない部分なのではないかと思う。

そしてまゆに手をかけたことがきっかけで同じような容貌の女性、つまり長い黒髪の女性を次々に標的にしていくハチバンハチバンがやったことって、サイバー犯罪といえばそうなんだけど、個人的な憎悪に端を発したフェミサイドだと思いました。手段が特殊だっただけで。

また、最後の取り調べのシーンで、加賀谷はハチバンに、麻美と彼女を受け入れた誠を見て「感動した」と告げますが、最後ハチバンが県警の内部資料を手玉に取る、その引き金となったのはこの加賀谷の発言だったと思います。加賀谷は序盤で「自分は共感というものがわからない、でも理解したいんだ」という話をしていて、でも最後には麻美たちに「共感」できている。一方で、ハチバンが母親とのエピソードを打ち明けた時には、加賀谷は「共感」を全く示さなかった(共感どころか特に反応することもなくすぐ別の話題へと移行した)。

近しい部分があるとお互いに感じていた加賀谷とハチバンだけど、皮肉にもハチバンが最も親近感を感じていた麻美に対しては加賀谷が「共感」できた、という事実を目の当たりにして、なんとなく加賀谷からも突き放されたような感じに受け取ったのではないか。やはり自分は孤独なのだ、麻美とは違って生まれ変わるのは無理なのだと再認識したというか。

こうして考えてみると、ハチバンってひたすら孤立した存在で、彼の人生のどこかに本当の名前で存在できる場所があるべきだったのにな、と思うんですよね。「理解」し「共感」してくれる人がいてくれれば。人をあんなにも孤立させてはいけない、と思いました。

加賀谷は多分この先もハチバンを「理解」しようと頑張るんだと思うんだけど、その先にもし行くことができたら、つまり麻美に「共感」できたようにハチバンにも「共感」を見出せたらハチバンの人生にとっても救いになるのではないかなあ、と思います。加賀谷とハチバンの関係性は近いようでいて遠くもあって、それをどう詰めていくのか、という加賀谷のトライアルも見てみたい気がする。

 


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その他思ったこと

ここからは取り止めのない感想箇条書きです。

・「ダブルトラブル」で辰巳くんを見たばっかりなので、初演時の佐藤健に限りなく近い加賀谷学とはまた違う佇まいでトライするのかな、と思っていたら、また限りなく佐藤健に近づいていて、加賀谷って佐藤健みたいなイメージだったんや……!と思いました。どうしてもなぜこんなにも恋つづ天堂先生なんや?ということが気になってしまって……、最初登場した時息を飲んでしまった(しょうもないことを考えていて申し訳ない…)。初演時より確実にふわふわだったと思います。

・後藤刑事、共感力と気持ちで行動する感じにとってもリアリティがあって、頼りになる先輩肌の人だとわかるのだけど、それを加味しても「麻美さんだけでなく、全ての女性と黒髪を守ります!」というセリフには違和感がある。そこは、後藤刑事が言うなら「全ての女性を守ります」だったのでは…?確かにターゲットになっていたのは「長い」「黒髪の」「女性」だったわけだけど、あえて「黒髪を守ります」っていう感じがなんかちょっと…個人的な違和感かもしれんが…。染めてる人以外は黒髪の人が多数を占めるし、黒髪の女性以外の人は被害に遭わないのか?というとそれもまだはっきり断定できない状況だったし。

付随して、初演時でも思ったことだけど美醜に関する表現が結構出てくる。「麻美さんって美人ですよね」「加賀谷さんは麻美さんとか興味ないの?」「ああ、きれいですよね」のようなやりとりとか、まゆの「うちブスやけど」とか。あと、小此木さんの「稲葉麻美、長い黒髪の美人OLだ!」とか、美奈代が麻美を「こんなに美しく生まれながら」って形容する場面とか。

美醜が実際にこの事件とか物語に関係があったかというとそうでもない割に、結構美醜にまつわるやりとりが出てくるのがちょっと違和感というか、描かれ方の差により拍車をかけているようにも見えるし、私はちょっとノイズに感じた。麻美の美容整形は重要なキーになる事柄だけど、それにしてもちょっと多い気がする。

麻美は、人に言えない過去、秘密を持ってはいるけれど婚約者がいて暮らしも安定していて他人から美人だと言われる。一方で、まゆは、病気の家族を支える必要があり、困窮していて、「うちブスやけど」と自分で言ってしまう。対比があからさまでアンバランスな気がしてしまう、実際の人間の人となりってもっと複雑なものだと思うから。「(ルックスが)美しい=良い」みたいなメッセージが暗に出てる感じがした。

・私はハチバンが金銭を払えないとわかったまゆが受話器を取って「トラブルです」と言った時、あ、その言葉を使わずにもう少し時間稼ぎをしていれば、もしかしたら違う運命だったかもしれないと思った。実際、困った状況、トラブルになった時には相手に悟られないような言葉を使って本部に連絡する、というのをSNS上で見かけたことがある。

じゃああの時まゆがハチバンに悟られないよう言葉遣いをしていれば?ハチバンがヤバいらしいと会社がもっと強く認識していれば。追い返して出禁にするだけでは危険なのでは?となっていれば。

前述していたように、明らかに立場が弱いのはまゆで、そこをしっかり守れるだけのセーフティネットがあれば、彼女が助かった可能性もあったんだよな、と思う。見ながら近頃起きた事件やサイバー犯罪の記憶がよぎったりもした。個人が”スマホを落とさない”ようにすることももちろんなんだけど、その他にもあらゆる「弱さ」につけ込まれないようにする構造を作る、という観点で考える部分がたくさんある。

・関係性オタクとしては、加賀谷とハチバンだけでなく麻美と美奈代の関係性も結構グッときたところがある。

麻美と美奈代って周りには窺い知れないような強い関係性で繋がれていて、入れ替わりの件はその最たる象徴として描かれていると思うけど、例えば美奈代が、外部からは“何となく鬱っぽい”と思われていた麻美のことを「人の痛みを自分のものとして感じてしまう、しかも実際の何倍も敏感に感じ取ってしまう」と説明したり、「姉妹のように寄り添って生きていた」と話したり。一方で美奈代は自分の人生を今まで麻美が自分にしてくれたことへの“お返し”として差し出す。2人の結末はとても悲しくてもっと他にやり方はなかったんか…?!と思うようなものだったけれど、2人は2人なりに、かなり深く理解し共感しあって、お互いがお互いの片割れであるかのように生きてきたんだな、と思いました。

・加賀谷は初演の時よりも、より一層体温が低い感じがしました。それでこそ、自分の得意分野に差し掛かるとやけに饒舌になって周りから「エッ?!」と思われる感じとか、最後に徐々に変化していく感じが際立っていたと思います。よくわからないヤツ感が増していたというか、加賀谷と周囲の温度感の差がよりはっきりわかった感じがした。ストーリーをガイドするようなセリフの時、瞬きしないで喋ってたのが印象に残ってる。見入ってしまいました。あと、より一層ふわふわパーマになっていました!!

・あの真っ白な舞台セットの中心に取調室があって、取調室の外にいる人がそりたった部分にいて、客席からも舞台上からも視線を集めるのが舞台の中心=取調室、という舞台装置が、ある程度舞台から距離をとった席で見た時にとても際立って見えた。取調室の中心に座るハチバンは客席からも、舞台上からも隅々から見られているのに、その実態を誰1人として見ることができない、そのパラドックスが表現されているのだなと思いました。

 

・私いまだに映画『ジョーカー』を見ていないのですが、ハチバンの表情を見てなんとなくジョーカーみたいだな、と思ったので今度見てみようと思います。文ちゃん、目の演技が凄かったな〜改めて。見ているようで何も見えていない感じの目だった、めっちゃ良かったな〜〜。

・初演時に舞台上に徐に横になるハチバンとガッツリ目が合うという体験(?)をしたのですが、今回そういった場面がなかったので会場が変わったから演出が変わったのかな、と思いました。私が初演時に幻を見ていたのかもしれませんが……。

・カーテンコール、1回目は役のままで出てきて2回目以降は素に戻って出てきてくれたのですが、素の表情の安心感たるや!ずっと緊張感のあるシーンが続くから、最後の最後にやっとキャストの皆さんの表情が見られて安心しました。早川聖来ちゃんの華やかなかわいらしさと、文ちゃんのちょっとおどけたような笑顔と、辰巳くんのキリッとしてるけど加賀谷とは違う表情が印象に残っています。

千駄ヶ谷駅から会場の日本青年館ホールに向かおうとしたのですが、国立競技場周りの工事の都合で広範囲に封鎖されており、「未満都市(キンキ主演ドラマ)」みたいだな…と思った。Google Mapの道順で行こうとしたら通れなくてかなり焦りました。久々に全力で走った。

・パンフレット、絶対買ったほうがいいですよ!初演時の舞台写真が見られるのと、スペシャトーク部分のページ・写真もめっちゃ良い。舞台写真は、「え!こんなに大事な場面を!」となるカットもある。初演時の舞台写真と今回を比べて加賀谷のパーマふわふわ度の比較などもできるよ!ちなみにアンコール上演の時のほうがふわふわ度もアップしてたよ(2回目)!パンフは7月15日まで通販受付するらしいよ!

 

 辰巳雄大くんの新しい主演舞台が楽しみ!

・「スマホを落としただけなのに」の余韻に浸っている合間に、辰巳くんの次の主演舞台「ネバー・ザ・シナー -魅かれ合う狂気-」が早くも発表されましたね!林翔太くんと恋人同士の役、なおかつ「スリル・ミー」と同じ題材を扱った舞台ということでめっちゃ楽しみです。「スリル・ミー」まだ見たことないけど、ストーリー見ておもしろそうだなと思ってた。「Never the Sinner」の戯曲とオーディオブックで予習する!(英語をどれだけ理解できるかは自分の根気と努力にかかっている…)

ティザーの雰囲気が良すぎるんだよな……ありがとう……。期待…!!!

 


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Never the Sinner

Never the Sinner

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5月病とミルクティー

お題「気分転換」

 

心の声が「つらい・だるい・しんどい」で溢れてきたのでおそらく5月病だと思う。私の場合春めいてきた3月末からジリジリとこの兆候が現れるのでもはや345月病だと思う。ちょっとしたこともないのになんだか落ち込んでいるし、思うように振る舞えないし、聴きたい曲も特になくてお気に入りのプレイリストのどの曲もピンとこない。どの曲も好きなはずなのに。

友人の結婚式に参加して、心からおめでたいと思っているのにその儀礼的な雰囲気に飲まれ、慣れないヒールを履いて足が痛くなり、仕事では以前よりさらに希薄になった社内コミュニケーションに息が詰まり、追い討ちをかけるようにしてLGBT法案関連の会合における議員の心底びっくりするような発言に打ちのめされてしまうなど様々な外的要因もあり、疲れ気味の春から初夏を迎えています。

“5月病”という言葉がわざわざあるくらいだから、おそらく同じように、あるいは私よりもっとお疲れの方もいっぱいいらっしゃるんだろうな……、ただでさえ春はしんどいのに世間でもコロナとか休業要請とか色々なことがあるし。本当にお疲れ様です。

 

人生の中でいちばんメンタルが落ちていた数年前、夏フェスに行ったのになんだか心がついて行かずに1組だけ見て1人で帰ったことがあり(一緒に行った友人にはとても申し訳ないことをした)、その時の自分の状態とやや似ていて心身「あ、ちょっとやばい」と思ったので寄り道・息抜きを心がけるようにし始めました。ジャニーズ、タイ沼といったもはやルーティーンになっている推しごとの他に、ちょっと寄り道して特別な気分になる、をやってみる。

 

その寄り道の1つが、「『チャバディ(Chabadi)』に行く」。東京・原宿の「チャバディ」といえば、タイのBLドラマ「SOTUS」のアーティット先輩が日常的に飲んでいる飲み物・ピンクミルクを売っているティースタンドで、ピンクミルクだけでなくタイの紅茶、ハーブティー、ミルクコーヒーなど様々なバリエーションのドリンクを提供しています。ドラマ「SOTUS S」の中で仕事前や休憩時間にドリンクスタンドでピンクミルクを買って飲んでいるアーティット先輩やアーサ先輩の息抜きスタイルを真似してみよう、と思ったのでした。

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 ↑以前飲んだチャバディのピンクミルク

以前ピンクミルクがどんな味か知りたくて休日に行った時にもかわいいお店だなあ、と思っていたのですが、今回メンタルがずたずたの状態でお店に行ったらなんだか「チャバディ」の中だけ原宿の空気とは違っていて、すごく落ち着いていておしゃれで可愛くて、異空間に来たような感じがしました。ゆったりとした海辺に来たようなリラックスした感覚。タイの空気なのかしら、わからないけど。原宿の他に江ノ島にもお店があるそうですね、江ノ島のお店もすごい良さそう。

お店の方がドリンクを作ってくれるのを座ってぼーっとしながら待っているだけでふわっと心が軽くなるような感じがしました。

 

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Cr. GMMTV Official Trailer SOTUS The Series พี่ว้ากตัวร้ายกับนายปีหนึ่ง

↑お粥とピンクミルクをコングポップに持ってきてもらったアーティット先輩(SOTUS EP.6)

前に飲んだピンクミルクは、自分の経験の中で近いものを探すならかき氷の苺シロップに近いようなフレーバーで、飲むとひんやりとした感触とガツンとした甘さが同時に口の中に入ってくるような感じ。一口飲むごとに新鮮な甘さがやってきて、アーティット先輩って予想していたよりもめっちゃ甘党なんだ…!と体感しました。でも、太陽の照りつけるタイの暑さの中で氷を溶かしながら飲んだら、この甘さも冷たさもより一層心地良いのかもしれないな〜と思った。

 

 

今回はミルクティー“チャーイェン”をオーダー。紅茶にコンデンスミルクが入っているドリンクですが、程よい甘さで後味すっきり。紅茶がすっきりしているのか、コンデンスミルクがすっきりしているのかはわかりませんでしたが、甘みはあるけど爽やかな感じのミルクティーでした。スパイスが入っているらしく、それで爽快な感じがあるのかも。普段はあんまり甘いミルクティーを飲まないのですが、これならずっと飲み続けていられるな、と思いました。疲弊した心身に優しく染み渡る感じがする。

ミルクティーのおかげでかなり癒されました。素敵なお店なので、元気があってもなくても、またふとした時に「チャバディ」を訪れたいな、と思います。

 

chabadi.asia

 

ちなみに「チャバディ」のサイトを見ていたら「Carnation」のコンデンスミルクの写真が掲載されていて、Singtoさんがこの前の「Live At Lunch SS2」で使っていたものと同じメーカー?ということに気づき、さらに嬉しくなりました。パンケーキをコンデンスミルクでひたひたにしていたSingtoさんはとってもチャーミングでしたね。

 


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タイドラマ Who Are You เธอคนนั้น คือ ฉันอีกคน - “私は誰?”を探す物語

GMMTVのタイドラマ「Who Are You」をYouTubeで完走しました〜!!Namtan主演、Krist、Kay、Janがメインキャストの「Who Are You」。すごい集中力を要するドラマだった……。視聴している間ずっと心が「Who Are You」に持っていかれっぱなしでした。

ざわざわしたり、学生時代のことを思い出したりしつつ、登場人物の気持ちや人間模様を考えながら見ているとどんどん引き込まれていった。主演のNamtanがとにかく超良かったです。一人二役こなすだけあって、表情の振り幅や身にまとう空気の変化がすごい。

あとKristくんは泣きの演技の引き出しが多彩でびっくりした。涙の粒の大きさとか流すスピードまで計算してるんか?というぐらい感情の波にピタッとハマっていて感動しました。

 

ただ、物語の重要な部分を担う要素の1つである“いじめ”の描写が残酷で、いじめの場面があると知ってて見ていても結構辛かったです。何らかの“フラッシュバックを起こしてしまうかもしれない”と思う方は無理せずに見るのをお休みする、不穏な雰囲気になったら音声なしで倍速で見る、飛ばす、もしくは視聴をストップした方がいいと思いました。

でもEP.1の冒頭からまさにそのめっちゃ苛烈な場面なんだよな……。トレイラーにもいじめの場面が映ってるし。かなりリアルだしショッキングだと思います。

特にEP.1は、「自分は大丈夫!」と思う方でも、ある程度心に余裕と覚悟を持って見た方がいい、と私は思う。疲弊してる時に見るとしんどくなっちゃうと思うので(いじめの描写が出てくるEPは主にEP.1、EP.6。でもリフレイン的に他のエピソードにも結構散りばめられている)。

魚醤や小麦粉を頭からかけられる場面もすごい嫌だけど、あの教室の隅のカーテンに隠れていじめっ子がマインドを取り囲むシーンもものすごく嫌〜〜〜な感じに演出されていて、とっても心がえぐられた……。

「Who Are You」は韓国のドラマ「恋するジェネレーション」をリメイクしたドラマですが、「恋するジェネレーション」の1話を見た限りでは、同じいじめの場面を比較するとタイ版の方がさらに陰惨な雰囲気になっていると感じました。やってるいじめの内容はどちらも酷いんだけど。

でも、最初に書いたように“いじめ”は物語の中の1つの大事な要素なのであって、”いじめ”が主題というわけではありません。「Who Are You」では「自分自身にどう向き合うのか?」ということを、様々なキャラクターを通して描いている。いじめや学校における人間関係をはじめ、大事な人の死や、自分の将来、子供の将来、親との軋轢など、それぞれ問題を抱える登場人物が各々自分のアイデンティティってどうやって自分のものにするんだっけ、ということを模索していく物語だと思っています。

 

※ここからはネタバレしながら感想を書いていきたいと思います。ちなみに、この「Who Are You」、初めて見る際はネタバレ回避した方が絶対に良いと思うので、もしまだ見ていなくて気になっている方はぜひまず見てみてください〜!EP.18まであって結構ボリューミーですが、全部YouTubeで見られるし、ほぼほぼ日本語字幕をつけてくださっています!とってもありがたかった……。ありがとうございます。

 

 予告からして不穏というか怖いんだよな〜。ちなみに私は視聴前に予告映像を見た時に一旦回れ右しました……。怖がらせるわけではないんですけど、ちょっとやっぱりいじめの描写が凄くて……。

でも見所も、考察しがいもある良い作品なので、平気な方にはぜひおすすめしたいです。大事なことなので先に言いますがKristくんの役はかわいいです。心の癒し。

 

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〈あらすじ〉 

高校生のマインドは、ティダーをはじめとするクラスメイトから執拗ないじめを受けていた。周りの同級生からは無視され、ティダーの策略によって学校側からも退学を言い渡される。絶望したマインドはある日川の中に身を投げてしまう。しかし、マインドは奇跡的に命拾いし、今までの記憶を一切失った状態で病院で目を覚ます。病院に駆けつけていた周囲の人々からは「ミーン」と呼ばれ、マインドは自身の記憶を失ったまま「ミーン」として生きていくことに。実は「ミーン」は、生き別れになっていたマインドの双子の姉だった。

母親や友人、幼なじみのナティーですらマインドを「ミーン」だと信じて疑わない中、幸せな新生活を送っていたマインドは徐々に自身の記憶を取り戻し、過去の苦しみも思い出していく。全てを思い出したマインドはどうなるのか、ミーンはどこへ行ったのか。そして、ミーンが抱えていた問題や、ミーンの友人たちとマインドとの関係性はどうなっていくのか。

〈主な登場人物〉

・マインド/マニタ・エウラック(Namtan)
プラチンブリの孤児院で暮らす高校生。孤児院で一緒に暮らす子供たちの面倒を見るなど、思慮深い性格で優しい。一方で、正義感が強く、間違っていることや困難なことに対しては真摯に向き合おうとする。ピンクとかふわふわしたものが好きで可愛らしい感じの女の子。ミーンは双子の姉。

 

 ・ミーン/ミーンナラ・ナンニチソパー(Namtan)

バンコクで優しい母親と2人で暮らす高校生。何においても物事をはっきりと言う性格で、不快な時はためらうことなく不快感を表す。イライラしているように見えることも多いが、芯の通った性格でクラスメイトからは慕われており、友達も多い。思ったことをはっきり言う感じがかっこいい。あとメイクもマインドよりもしっかりめで、友達とおそろコーデするなど年相応に高校生活エンジョイしてる、どっちかというとイケイケな子だと思う。マインドは双子の妹。しかしNamtan一人二役とか本当に信じられんな……。マインドとミーン全く違う人に見える……。

 

・ナ/ナティー・ワナチャレン(Krist)

ミーンの10歳の時からの幼なじみ。水泳の選手として一目置かれている存在。実は子供の頃は水が怖かったが、ミーンのおかげで水への恐怖を克服し水泳選手を志した。ミーンのことが好きで、よくミーンの頭をぐしゃぐしゃなでる。そして手を振り払われる。ミーンから冷たくあしらわれていても、幼い時から性格をよく知っていて仲も良いため特に気にしない。っていうか常に冷たくされているのでそうじゃないとむしろ「え?」となる。父親と2人で暮らしており、父親思い、なおかつ優しい性格で素直。

物語の不穏さを和ませてくれるような存在、まじで。ナティーが登場するたびに癒されたわ……。

 

・ガン/ガンカン(Kay)

ミーンやナティーのクラスメイト。同級生からは変わり者扱いされており、授業中は突っ伏して寝ている、ランチは1人で食べるなどクラスからは浮いた存在。ひょうきんに振る舞っているが、素の感情をなかなか見せない。学園の理事長の息子だが、同級生には隠している。幼い時に両親の離婚を経験しており、父親に対して良い感情を持っていない。“クラスに誰も本当の自分を知っている人がいない”という共通点からマインドと仲良くなり、マインドを好きになる。おどけたりふざけたりしているように見えるけど、実は人のことをとてもよく見ている子。もし少女漫画だったら絶対この子と主人公が恋に落ちるパターンになると思う。さりげなくマインドのことを助けてくれる感じとか「えっ、これは好きになるの不可避やろ」と思いながら見てた。「(ミーンとして生きるなら)もっとミーンらしく振る舞えよ」ってマインドに言ったところ、マインドの性格もわかりつつ鼓舞してる感じがあってめちゃめちゃよかったな……。

 

・ティダー/ティダー・トライウィサクル(Jan)

プラチンブリの学校でマインドをいじめていたリーダー格。父親が検事で権力・財力を持っている。プライドが高い。マインドに対するいじめが容赦なく、執拗かつ陰湿。マインドを貶めようとすることへの執着心がまじですごい。病院でマインドを見るだに髪の毛を引っ張りに来たシーンはびっくりしちゃったよ……。どんだけマインドに対するアンテナ敏感なのよ…。明らかに怪我して弱ってる人の髪の毛引っ張らないだろ、普通。あのティダーのいじめる時の表情の迷いのなさと、ドーパミン出てる感じがすごい怖くてJanすごいと思いました。

 

マインドの“生の肯定”を獲得する

ティダーがマインドに向かって言い放った「あんたがあんただから嫌いなのよ、マインド」という言葉に象徴されるように、マインドは自分の存在を否定され続けてきて、心の拠り所がなかった。「あんたがあんただから嫌いってなんやねん」と思うけど、マインドが存在していること自体が許せないってことなのでしょうね。

マインドは孤児院でもみんなのお世話をするお姉さん的役割を果たさなくてはならなかったし、いじめっ子グループの他の同級生は見て見ぬふり、先生も助けてくれない。どこにも自分を解放する場所がなかったから、自分自身で自分の生を否定しようとした。“マニタ・エウラック”の名札を投げ捨てるところが印象的でした。

雑誌「タイドラマガイド『D』vol.2」(2021年3月末発売)の「Who Are You」の紹介ページには、「愛と再生の青春ミステリー」という見出しがついているけど、まさに「Who Are You」は”再生”の物語だと思う。この物語で問われているのは、無視され否定され続けてきた“マインドの生”をどうやって取り戻していくのか?というところ。

マインドは奇跡的に一命を取りとめて、ミーンとして文字通り新たな人生を歩み始めるかと思いきや、すぐに失っていた記憶が蘇ってくる。記憶を取り戻した時のマインドの絶望に満ちた表情を見ていると、周りの人から愛されているミーンとしての幸せな暮らしと本来の自分との対比が乗っかった分ものすごく苦しくなったんだろうな、と思った。記憶が戻ったことで「ママにも、ナティーにも、ライラやキャットにも、愛されていたのは“私”じゃなかった」ことにマインドは気が付いてしまった。

 

そして、ミーンの墓前でマインドがクワンさん(ミーンのママ)に全てを打ち明けた場面でも“マインドという存在”が問われている。というのも、あの時点では「川から救助されたのはミーンではなくマインドで、ミーンは亡くなっていた」ということが判明したところ。

クワンさんの選択肢としては「マインドを家族として連れて帰る or not」だったと思うんだけど、そこでクワンさんは孤児院に戻るマインドと一旦別れてから、思い直して「ミーンとして一緒に暮らしてほしい、私にとってはあなたはミーン。私たちはお互いのために一緒に生きていこう」と言って引き留めるんだよね。

私としては、「いや、一緒に暮らすのは良いし気持ちはわかるけど、“ミーン”としてじゃないとダメなの?」というところに引っかかりました。「マインドはミーンの家族なんだし一緒に暮らすならマインドとして引き取って暮らせば良いじゃん……?マインドもプラチンブリからは離れられるわけだし……」と思って。双子の姉妹だとは言え、そしてクワンさんがマインドにミーンを重ねるのも仕方ないとは言え、「身代わりになってくれ」というのはなかなかにすごい発言だと思った。

まあやっぱりそこはいきなり娘をいきなり失ってしまって気持ちの整理がついていなかったから「ミーンになってほしい」って言っちゃったのかな。大切な人を亡くしたばっかりだったから混乱してたのかもしれません。後々マインドに対して「あなたの気持ちを考えられなくてごめんね」って言ってたし。それに、マインドと過ごした時間もクワンさんにとってはミーンと過ごした時間と同じように大切なものだったのだとも思う。

でもな〜〜、それでも、自分を助けようとして亡くなってしまったミーンの身代わりをしながら生きていくなんて、マインドに「苦しみながら生きてくれ」って言っているようなものじゃん。マインドにとってはミーンの死に対する十字架の重みと24時間365日向き合わなくてはいけないことになるし(身代わりにならずともそうかもしれないけど)、本来の自分のことは嫌だったこともそうじゃなかったことも全て封じ込めないといけない。

マインドは生き残ったけれど、マインドとしての生は否定されたわけですよね。クワンさんが言ったことって突き詰めて考えると「ミーンの死は肯定できないけどマインドの死は肯定できる」ということになってしまう。

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Who are you เธอคนนั้น คือ ฉันอีกคน [Official Trailer] cr.GMMTV

ただ、振り返ってみれば、「ミーンの身代わりとして生きる」というこの時の選択は、一度自分自身で生きることを否定して限りなく”死”に近い状態を経験したマインドが、「マインドの生をどう肯定していくのか?」という“再生プロセス”の始まりの地点だったと思う。つまり、自分をあえて封じ込めて「ミーン」として生きることで、むしろ浮き彫りになってくる「マインド」という人間を自分で振り返るための時間、マインドが自身と向き合うための時間になっていた。ミーンと自分の違うところを日々発見しながら、自分のアイデンティティと向き合っていたんじゃないかな、と思う。

マインドとミーンは双子だから姿形はそっくりだけど、話し方が違う、好きなものが違う、書く文字が違う、得意なことが違う。周りの人々から聞こえてくるミーンの人となりや特徴を知っていく内に、マインドは自分自身のアイデンティティもよりはっきりと意識するようになったんじゃないかな〜〜と思うんですよ。

だからこそ、最終回でナティーに対して「私はナティーが好き」って言えるようになったし「自分に向き合う時間がほしい」と言えるようになった。多分以前のマインドだったら“自分に向き合う時間がほしい”なんてとても考えられなかったと思う。それどころじゃなかったから。

 

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Who are you เธอคนนั้น คือ ฉันอีกคน [Official Trailer] cr.GMMTV

マインド、こうして書き出してみると何回も何回も存在を否定されてきていてなんか本当に腹立たしくなってくるな……!ナティーですら途中で否定するしな〜〜〜(EP.13参照)!!!自分の怪我と、ミーンが実は亡くなっていたっていうショックと、マインドがミーンに成り代わっていたっていうショックでトリプルショックだったナティーの気持ちも痛いほどわかるんだけども、自分を気にかけているマインドに向かって「僕たちはなんの関係もないでしょ」って言うのはひどいよ……。本当に本当にめちゃめちゃショックを受けてしまった……。視聴当時の私のスマホのメモに「ナひどーいひどーい、マインドだって関係あるやろひどーい」っていう語彙力0のメモが残っていた……。

話を戻すと、そんな中でも、ミーンだけは本当に最初から最後までマインドの存在を肯定し続けた人なんだよね。マインドが自分と向き合っていくには、「私にはP'ミーンがいる」っていう心の支えも大きかったんだと思う。

ミーンはマインドが孤児院で暮らしている時にずっと贈り物を送り続け、水中からマインドを救い出し、マインドに自分の代わりに幸せな生活環境を与え、マインドをいじめていたティダーに立ち向かった。だからマインドの1番の心の拠り所はミーンだし、その逆もまた然り。

ミーンは、“クワンさんに引き取られるはずだったのはマインドだった”という思いが心の底にずっとあって、「マインドもどうか幸せに生きていてほしい」という思いが自分が生きていく上での心の拠り所になっていたし、今後もその思いがずっとミーンの中にはあり続けるのだと思う。

ちなみにミーンがガンに対して「あんた妹のこと好きなのよね?めっちゃわかりやすい。妹のこと追っかけてるの嫌なんだけど。マインドの気持ちは聞いたの?」ってわざわざ聞くところ、ミーンがマインドのこと本当に大事に思ってるんだなってことがわかるのと、笑っちゃうぐらい容赦無い言いようがとても好きです。笑った。ミーン、マインドのこと超心配してるじゃん。予防線張ってるじゃん……。言いたいこと言って勝者の笑みを浮かべながら去っていくミーン好きだわ。

 

“自分は誰なのか” という問い

マインドの自我への問いがメインなのはもちろんそうなんだけど、その他の登場人物もみんな「アイデンティティと他人からの承認」を模索している。つまり自分が自分であるための拠り所をみんな求めている。

例えば、序盤で登場するミーンのクラスメイトのコイケオは「人の目に自分という存在が映らないということ」に対して葛藤を持っていて、人からの注目を集めるために金銭でどうにかしようとしていたら、いつしかクラスメイトからATM扱いされるようになってしまった。

また、ナティーは幼い頃の自分のトラウマを克服したことで、自分の生きる道筋となった「水泳」に自らの全てを捧げていて、周りからも水泳選手としての期待を集めている。だからこそ、怪我によって選手生命が揺らいだ時に「水泳」という自分のアイデンティティを失いそうになっていることに対してひどく絶望してしまう。

ガンは親からの愛情や承認を心の底では渇望しているけど、溝が深すぎて全く親のことも周囲のことも全く信用していない。そして自分自身のことも空虚な存在、嘘にまみれた存在だと思ってる。

その他にも、教育ママのほぼ言いなりにならざるを得なかったピートや、ずっと憧れていたモデルの夢を叶えるために撮影に臨むも思うようにいかず、ナティーの方が良いポジションにいることに対して失望してしまうキャットも、自分を見失いそうになっている様子が描かれている。不正に手を染める学園長(ガンの父親)も元々は良い教師だったのに保身に走ったが故に、従来の自身の教師像からはかけ離れた教育者になってしまう。

この、それぞれの自我の揺らぎや喪失、取り戻そうと奮闘するところがすごく丁寧に描かれているところが「Who Are You」のいいところだと思います。自らと向き合うことの痛みをみんなが感じている。

 

で、じゃあティダーの自我ってなんだったんだ?と考えてみると、ティダーって自分が思っている以上に「自分の思い通りに物事を進める」ことが障壁なく、スムーズすぎるほどにできてきた子なんじゃないかと思うんですよ。ママは娘のやることなすこと全肯定だし、パパもさりげなく娘がせがんできた謎の筆跡鑑定してくれるぐらいだから権力使って色々アシストしてくれるし。しかも成績も良い。そして歯向かうと色々と怖いのを知ってるから、学校の同級生も先生も言うことを聞いてくれるし、取り巻きになってくれる子だっている。だから、自分が思っている自分こそが正しくて、それが揺らぎようがなかったんじゃないかな。

そんな中で、最初に抵抗してきたのがマインドだった。ティダーがマインドに向けて放った「あんたがあんただから嫌い」っていう言葉を因数分解していくと、ほとんど拒絶に近いというか、存在そのものが受け付けないっていうことですよね。マインドっていう存在を排除しないと自分の思い通りにいかなくなるし、自分という存在が揺らぐから。

でも、皮肉なことに、マインドと対峙するようになってから、ティダーは自分に執着すればするほど、より強く、誰よりも憎いはずのマインドのことを意識している。鶏が先か卵が先かじゃないけれど、目的と手段が入れ替わってることにティダーは気がついていない。そのせいで、ティダーのやってることって明らかにどんどんズレていて、本人にとっても無意味なことをやっているのにそれに全く気がついていないんですよ。

だって、あれほど疎ましく思っていたマインドは自分の目の前からいなくなったんだから、それをわざわざ探し出してみんなの前で晒すその労力、ティダーの人生に必要なくないですか?あんなに富も知も持っていて。しかも、マインドを追い詰めたのは自分なのに、そこでマインドが実は生きていたって判明したら一番困るのはティダー自身だってなんでわからないんですかね?

しかも、誰もがマインドはすでに亡くなっていると認識していた中で、「いや、マインドは絶対に生きてる!ミーンがマインドだ!みんなの前で暴露して追い詰めてやる!」と躍起になってたティダーって、マインドの生をある意味誰よりも信じていたってことですよね。でも、ティダーが言っていたように最終的にマインドが生きていて、ミーンに成り代わっていたことが明らかになっても、ティダーの思惑通りの結果にはならなかった。

 

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Who are you เธอคนนั้น คือ ฉันอีกคน [Official Trailer] cr.GMMTV

ティダーは“自分が正しいと思っていることが全てではない”ということをもっと早く誰かから教わっていればもうちょっと違う生き方ができたんじゃないか、と思う。

そして、それを最初に教えたのがマインドであり、その次にミーンだった。マインドの真っ向勝負のアプローチとミーンのアグレッシブな”てめーには負けねえぞ”アプローチ、この両方があって、最後に若干ティダーに変化の兆しが見えるようになったのでは?不器用なりにマインドに向き合おうとしたのは、ティダーにとっては大きな進歩だったと思う。

ただ、ティダーがこれまで失ったものはあまりに大きいし、マインドもその他の人たちも、ティダーのせいで本当にたくさん傷ついた。そして物語が終わる時点では、ティダーはまだ謝れなかった。謝れば良いということでは決して無いんだけれど、彼女にしっかり向き合える立場の人がちゃんと向き合わないことには、本質的に何が間違っていて、何がティダーにとって必要だったのかを理解するのは中々難しいのではないかな。ティダーが自分とちゃんと向き合える日が来ていると良いな、と思う。

付随して、「Who Are You」では、安直な理由づけがなされていないところがとても良いと思ってる。端的に言えば、「ティダーには心の闇があったからいじめに走った」的な描き方がされていない。

実際には心の闇もあったのかもしれないけども、悪は悪として描き切ったし、ティダーの弱さも「それはそれ」として描かれている感じがした。ティダーに限らず、人間性を構成する複雑で色々な側面を、なるべく単純化せずに複雑なままで描こうとしているところがとても良かったな、と思っています。

前述したことと矛盾するかもしれないけど、例えばクワンさんがマインドに対して「ミーンになってくれ」って言ったことも、全く合理的じゃないし納得はできないんだけど、なんか理解はできるというか、「めちゃくちゃなことを言ってしまう心理状態ってあるよね」というのがわかる描き方になっていると思う。

その他 思ったこと

 ・いわゆる“その他大勢”の描き方もすごく印象に残っている。1人1人が言ってることはたいしたことないんだけど、大勢で誰かを糾弾したりいじったりする時の暴力性とか、大勢で無視する、無関心を貫くことの消極的な攻撃性とか、集団になった時ならではの残酷さがありありと伝わってきた。物語序盤でひと段落しちゃうから忘れがちだけど、コイケオに対するクラスメイトの不誠実さってすごくないですか?ライラもキャットも、先生との面談でコイケオに金銭を求めたことなどないかのように平然と嘘を吐いている。直接は関係なくても、無関心でいることや、大勢になんとなく同調することが誰かを弾き出すのにとても有利に働くということがよくわかる。

・ミーンのママ含め、きっぱり強めな母親がたくさん出てくる。個別指導の集い?ママ会のシーンが度々出てくるのですが、集っているママがみんなキラキラしていてみんな主張が強い感じ。お金持ちが通う学校という設定なのかな。

・ぬいぐるみが好きでふわふわ笑っているマインドがめっちゃかわいかったです。あの図書館でナティーと2人で喋ってる時のピンクのふんわりニットも「THE マインド」な感じがしてかわいかった。マインドは泣いてる場面がとても多いので、屈託なく笑ってるとそれだけでもう「安心する……」となった。

・ミーンの登場シーンは割と全部好きですが、ナティーから頭を撫でられようとした時に跳ね返したり頭をどつき返したりする時の瞬発力が「仲良しなんだな〜」ってわかる感じの間合いでよかったです。ミーンの立ち振る舞いを見ていると、自信があって、誰が見ても魅力的な女の子って感じがする。みんなから信頼されて好かれているのが納得できると思った。

・ナティーはミーンに対してふにゃふにゃ喋ってる時と、マインドに向ける優しい眼差しと、お父さんとおうちでご飯食べてる場面がいつもめっちゃかわいかったです!ざらついた心に癒しをくれてありがとう。ミーンに対して「僕の片思いにさよならを言いに来た」って言った場面を見て、ナティーって本当に誠実で一途な子なんだなと思ったし、それに対して「私も一度自分に対して問いかけてみたの」って返すミーンもまた誠実で良かった。

・Namtan  & Janのコンビネーションが好きだったので、今度がらっと変わって仲良しな役柄も見てみたい。親友とか、恋人同士とか、先輩後輩とかも良いね。ポップでハッピーなドラマでまた共演してほしい。

 

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何度この気持ちを飲み込めば

何度この気持ちを飲み込めば良いんだろうか、と思った。

 

Paraviオリジナル番組の「A.B.C-Zの1000本ノック」の新企画「えび銭湯」を見た。A.B.C-Zのメンバーが現役ジャニーズをゲストに迎えて銭湯を訪れ、お風呂の中で“全員タオルなし”で赤裸々トークが展開されるというもの。初回のゲストとしてふぉ〜ゆ〜の辰巳くん・福田くんが登場した。

番組の情報がリリースされた時点で「タオルなし」と書いてあったとは言え、湯船に浸かってMC・ゲストがトークを繰り広げる、いわゆるテレビの温泉ロケ、銭湯ロケのような形で番組が進んでいくものだと思い込んでいた。甘かった。裸であることを強調するようなアングル、あえて全身を映すカット、雑なモザイクのかけ方、「銭湯のぞき見トーク」というタイトル。朝配信だったので最初は「朝風呂だ〜」とか言いながら呑気に配信を見始めてしまい、朝から暗澹たる気持ちになった。もっとちゃんと告知文を読んでおくべきだった、と今振り返って思う。

有料の会員制サイトの配信だから、見たい人が見るものだから、とかそういうことではなく、倫理的にアウトすぎる。10代のファンが家族と一緒に見る可能性だってあることを制作者は考えたのだろうか。また、ほぼ裸の映像が広くネットにアーカイブされることの、被写体への影響を配慮できなかったんですか?

番組途中で展開された、体の見せ合い・比較のやりとりも見ていてキツかった。修学旅行のお風呂の中で友達同士でやってるならまだわかる、でも広く世の中に向けて放送される番組の中で、ごくプライバシーであるはずのやりとりを開けっぴろげに(なおかつそれがあたかも見所であるかのような体裁で)見せられるとキツい。身体的特徴のいじりのようなやりとりではなかったけれど、「コンプレックスも曝け出そう、“赤裸々トークなんだから”」みたいな制作側の意図みたいなものを感じ取ってしまってしんどかった。“現役ジャニーズを脱がせたら面白い”みたいな意図が透けて見える。つらい。

トークの内容そのものは、今まで聞いたことがないような4人の話も登場して、聞き応えがあってとても面白かった。ただ、映像があまりに配慮に欠けていて、気持ちが削がれていた。

番組に関しては、100歩譲って“タオルなしで撮影する”というコンセプトはそのままだったとしても、撮影の仕方もそうだし、映像にした時の編集の仕方で演者に配慮してほしいです。全身が強調されない映り方にする、モザイクをしっかりかけるなど。番組は“背徳感”を謳ってるけど、私は見ていて途中から搾取に加担している気持ちになった。ファンが喜ぶだろうと思ってあの映像が完成したのであれば、そこは再考してほしいです。

こういうことを書くと「嫌なら見なければ良い」って言われそうですが、この形式が続くならもう見ないんですけどね。でも、推しが出演しているものをファンが見たいと思うのって当たり前のことじゃないですか。で、推しが出ているコンテンツを安心して見ていたいっていうのも当然だと思うんですけど。推しが出ている番組を楽しく見たい、ただそれだけ。

推しが出演、って書いてあるだけで、私はファンだから嬉しいんですよ。活躍してるなあ!って思うんですよ。でも、彼らの「活躍」の一つとして、この番組をやらなきゃいけなかったのか、って考えると色々、色々思うことがある。彼らが自らの意思で、同意してやっていたとしても。

だって裸で映す必要ないんだもん。そうしなくたって面白くなる方法いくらでもあるし赤裸々トークだっていくらでもできるし、センセーショナルにしたければそれこそ演出とか編集とかでどうにだってできたはず。演者を大事にしてください。

 

また、今回の番組からは少し逸れますが、この他にも推しが「テレビや配信番組に出演!」のお知らせを見て喜んで、実際に番組を見ていじりや自虐ネタでフォーカスされているのを見るっていう流れが多いなと感じています。

プロモーションのために必要なんだな、と思って今まで見ていたけど、セールスポイントは他にもあるはずなのになんで自虐ネタとか下ネタみたいなフォーカスのされ方が多いんだろう。ファンとしてどういう気持ちで見ていれば良いんだろうか、このもやっとした気持ちを何回飲み込めば良いんだろう、と思う。

 

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タイBLドラマ「SOTUS/ソータス」シリーズ、様々な人間性の描き方

タイBLドラマの金字塔としておなじみの「SOTUS/ソータス」。文字通り金字塔すぎて、一度ハマると抜け出せません。金字塔の意味調べたら「ピラミッド、不滅の業績」って出てきて「まじでそれだわ」ってなった……。ピラミッド、不滅の業績……。

私は「2gether」きっかけでBLを中心にタイドラマを見始め、「金字塔って言われてるしとりあえずSOTUS見とこ〜☆配信されてるし〜☆」みたいな軽やかな気持ちで見始めたものの、なんかその当初の気持ちの軽さの反動(?)なのか、今は自分の気持ちの重みでSOTUS沼に沈んでいく一方です。見れば見るほど良いんだよな、何周見ても良いし何周見ても発見がある。すごい。あと主役キャストのKrist &Singtoのことがめちゃめちゃ大好きになってしまいました。

「SOTUS/ソータス」好きすぎていつかドラマの感想をまとめたいと思ってたので以下、粛々とまとめます。

ちなみに、タイ沼の皆さん、布教シートとかプレゼンテーションがとても素晴らしくて素敵で……!まだ「SOTUS/ソータス」を見ていない方はTwitterにたくさん投稿されている布教シートをご覧になった方が興味が湧くと思います。レッツゴータイ沼。

以下、ネタバレします!!!!!

「SOTUS/ソータス」とは

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「SOTUS/ソータス」は、超かいつまんで言うとSSU大学工学部新入生のコングポップ(演:Singto)が、新入生指導オリエンテーションを仕切るヘッドワーガー(リーダー)のアーティット先輩(演:Krist)と紆余曲折を経て恋愛関係になる物語。「SOTUS/ソータス」ではアーティット先輩が3年生、コングポップが1年生の、2人が恋人になるまでの物語が描かれ、続編の「SOTUS S/ソータス エス」では晴れて恋人同士となった2人の関係性の変化が描かれます。アーティット先輩は社会人に、コングポップは3年生に進級しヘッドワーガーに就任。お互いの生活スタイルが変化した中で、どうやって関係性を続けていくかにフォーカスされています。「Our Skyy/アワ・スカイ」で描かれるのはさらにその後、コングポップが留学に行くまでのお話。

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cr.GMMTV Official Trailer SOTUS The Series พี่ว้ากตัวร้ายกับนายปีหนึ่ง

コングポップ(Singto プラチャヤー・レァーンロード):
物語の主人公。SSU大学工学部の1年生(「SOTUS/ソータス」1期時点)。課題や授業など真面目にこなす優等生で周りにも気を配れるみんなからの人気者だが、先輩に対しても言いたいことははっきりと言う性格のため、上級生から目を付けられる。特に工学部の新入生全員の目の前でアーティット先輩に言い放った「先輩を僕の妻にします」が後々みんなからネタにされるほどの名言。学生ID番号が「0062」のため最初のうちは上級生から「0062」って呼ばれがち。アーティット先輩のことが好き。

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アーティット(Krist ピーラワット・シェーンポーティラット):
もう1人の主人公。SSU大学工学部3年生(「SOTUS/ソータス」1期時点)で、SOTUS制度のもとリーダー“ヘッドワーガー”として後輩の指揮をとる。後輩への指導が一際厳しく、なおかつ短気で後輩から恐れられている存在。が、物怖じせず向かってくるコングポップには面食らいがち。「なんだあいつ」と思いつつ、「試験はここが良く出る」などさりげなく優しいアドバイスを残したり、帰りがけにオレンジを手渡してくれたりとなんとなくコングポップを気にかけている。ピンクミルクが好きで習慣的に飲んでいる。実は不器用な性格で、コングポップとの関係性に思い悩む場面も。学生ID番号は「0206」、ニックネームは「アイウン」(かわいい)。

「SOTUS」制度

「SOTUS」において物語の鍵を握るのは、“Seniority(敬意)”、“Order(秩序)”、“Tradition(伝統)”、“Unity(団結)”、“Spirit(精神)”を意味する「SOTUS」制度。そしてそれを軸に行われる新入生指導オリエンテーション「ラップ・ノーン」。「SOTUS」システムを経て、コングポップたち新入生が工学部の象徴であるギアを得るために奔走する中で巻き起こる紆余曲折の数々がドラマを生み出していきます。

先輩からの厳しい指導やしごきを受けつつ、仲間と打ち解け連携し、在籍する学科に対して誇りを持つようになる。そんな意図のもと数ヶ月単位で執り行われる新入生オリエンテーションでは、先輩たちから難しい課題を言い渡されたり、誰かがミスをした時に連帯責任としてスクワットをみんなでしなければならなかったりと、先輩→後輩へのいわゆる“体育会系”な指導が行われます。

その中でコングポップは「これはおかしい」「理不尽だ」と思った時は自分の意見をそのままにアーティット先輩に表明し、仲間と助けあいながらも先輩たちの課題を乗り越えようと奮闘。先輩たちからは「コングポップは反抗的だ」と一目置かれるようになる。

アーティット先輩から厳しく、というかきつい仕打ちを受ける一方で、コングポップはアーティット先輩に対してなぜか割と序盤から好意を示していて、先輩後輩として一緒に過ごしていくうちに恋愛感情を募らせていきます(なぜコングポップがアーティット先輩を意識し始めたかはラストの方のエピソードで描かれている)。

自分に対して好意をちょいちょい、かなりの頻度で伝えてくるコングポップに対して、後輩指導の場ではめっちゃ厳しいのに恋愛には不器用なアーティット先輩がどう反応していくのか、というところが「SOTUS/ソータス」の大きな見所。コングポップのド真面目かつ大胆ド直球な「先輩かわいい」「多分……、先輩は僕のことが好き」発言などに度肝を抜かれつつ、アーティット先輩の「はあ?」って時の表情を見てください、しごきの時とは打って変わって超絶かわいいので……星が飛んでる……。実質どう考えてもデートなのにコングポップが「デートのお誘いですか?」って聞いたら「違えし」って返すアーティット先輩……!ありがとう……!

そしてもはや伝説的な場面と言ってもいい「先輩を僕の妻にします」は何度見ても「え?!どゆこと?!」って言えるので定期的に見返してます。「どゆこと?!」って言いたいから見てる節もある……。本当にどういうことや……。しかもコングポップ、友達から「なんで先輩にあんなこと言ったんだよ?」って言われた時に「先輩の方から仕掛けてきたんだから仕方ないだろ」的なことを言っていてさらに「???」と思った。

多面的な人間性、エゴを描く

恋愛模様も語れることがたくさんありすぎるのですが、私が「SOTUS/ソータス」シリーズで特に好きなところは人間のエゴとか“業”がきちんと描かれていて、それぞれのキャラクターの様々な人間性を映し出しているところです。もちろんコングポップ&アーティット先輩のときめく恋愛模様も好きだけど、様々な業の深さが割と誠実に描かれているからこそ物語に没入することができる。特に1期目では「SOTUS」という指標を軸にして、人々がどう行動していくのか?みたいなところに面白さがあると思う。

例えば、「SOTUS/ソータス」 EP.1におけるアーティット先輩の振る舞いって正直めちゃめちゃモラハラで。初見時には「……アーティット先輩かなりのモラハラ男では?ここからロマンス生まれる??このモラハラのしんどさ後々回復できる??」と思いました。

例えばコングポップに対して、「みんなの前で僕は男が好きですって大声で言え」って指示したり、女子学生のプレーパイリンに対しては「大きい声で私はアーティット先輩が好きですって言って」って指示して電話番号まで聞き出したり。まじでここだけ見るとフォローのしようがないただの嫌な先輩です(ちなみにアーティット先輩この回以上に嫌なやつにはならないです……。各種雑誌やメディアに書いてある通り、ここは薄目で見るとか、なんらかの方法で切り抜けて、としか言えない……)。

でも、アーティット先輩は後のエピソードでこの時を振り返って「初日はやりすぎた」と反省を見せ、別のEPで同様に厳しくしすぎて何人もの離脱者を出してしまったプレーム先輩に対しても「やりすぎだ」と牽制しています。ワーガーでのミーティングでは後輩がついてこないことに対して焦りを感じる上級生の描写もある。

これらのシーンは指導学年である3年生なりのトライアンドエラーがうかがえる場面で、先輩も絶対的存在ではなく失敗をぶっこいているし、先輩には先輩なりの、後輩を牽引していかなければならないというプレッシャーがある、ということがわかる。また、4年生から3年生の指導に対するチェックが入り、不適切だとしてヘッドワーガーであるアーティット先輩が罰則を受ける場面も出てきます。

少し話がそれますが、アーティット先輩が上級生からの罰として雨の中を走る場面、やっぱり体育会系というか脈々と続く上下関係に基づいた体制が組み敷かれていて、どこにも逃げ場がなくて、仲間との連携という意味では良いシーンではある一方で、なんだかなあと思ってしまった。あと精神的にもそうだけど、罰が身体的にかなり過酷なのでその危険性については上級生の間ではどのようにシェアされているのだろう、というのが気になった。

ただ、別のEPでアーティット先輩からランニング54周を命じられたコングポップが、救護班の先輩から「そんなに走らないで良い、実際にやったら死んじゃう」って言われて途中でストップする場面もあり、厳しくする「ワーガーチーム」と、サポートに回る「救護班」で連携をとることで、ある程度バランスを取るというか、アクシデントが起こらないようにしていたのは見て取れた。

アーティット先輩が後々語っている通り、アーティット先輩は自身では全くリーダーをやりたくなかったし負担が大きすぎると自覚していたけど、自分を指導してくれたタム先輩の後押しもあってヘッドワーガーに就任することになり、不器用な彼なりに気を張って頑張って自分なりの厳しいヘッドワーガー像を作り上げたんだと思う。

「ラップ・ノーン」が終わる継承式の時、つまりコングポップたちにギアを渡し、ヘッドワーガーとしての役目を終えた直後のアーティット先輩の話し方を見ると、それまでとは違う柔らかい感じの話し方に変わっていて、「全然喋り方が違うな?!」とわかる。ヘッドワーガーとしての肩の荷が降りた瞬間の、ややふにゃっとした喋り方が印象的だった。

また、「SOTUS/ソータス」1期最終話の、部屋でコングポップと喋っている時のアーティット先輩は恋人モードだからなのかより一層さらにふにゃ〜って感じで喋っていて「ぜんっぜん喋り方ちゃうやんけ?!?!」と画面の前でツッコミを入れてしまった……。そのままでいいよ先輩……、ときめいたよ……。まあ、1年生の時のアーティットくんもふんわりほんわかしてたもんね……(「SOTUS/ソータス」EP.15参照)。本当は優しい子なのにね……頑張ったね……。

話が逸れましたが「人の前に立って統制する」ってある種ハイな状態に自分を持っていかないと難しい部分があると思うので、普段はそこまで凶暴な人じゃないアーティット先輩でもヘッドワーガーの時は行き過ぎがちになってしまう、というところになんか人間っぽさを感じました。モラハラは肯定できないし全くもってやり方を間違えてるしごきの描写も登場しますが、1つ1つを見ていくとただイキってただけではなくて、先輩としての理由があってやってるんだ、というのも読み取れる。

でも唯一EP.8のビーチのシーンは謎だったな……。なんで女子学生は先輩の歌を聞いて男子学生は海に入れっていう指示だったの?男女を分けて指示する意味がよくわからなかった。エムが「こんなの男女差別だ」って言ってたけど、ここに関しては意味があっての指示ではなくて大学生の悪ノリみたいな感じだったのかな。ちなみに私は先輩の歌聞いてるより海入ってた方が楽しそうでは?と思ってしまったんだけど……。

でもアーティット先輩、コングポップが1人で海に入ろうとして溺れているように見えた時にもすぐ駆けつけたし、違う場面でも練習で体調が悪くなった女の子にすぐに気がついたし、本当はすごいみんなのことを気にかけて見ている。短気なキャラクターではあるけれど、同時に繊細なんだよね、アーティット先輩。

めちゃめちゃ長々と書いてしまったんですが、アーティット先輩1人をとって見ても人間って多面的な存在で、しかも「怒りっぽいけど実はいい奴」的な描き方ではなくて、モラハラっぽいことをする人、気遣いをする人、恋愛に不器用で繊細な人、その全てがアーティット先輩っていう1人の人間であるっていう見せ方が良いと思うポイントです。見ているうちに「実はいい人なんだ」って視聴者は気付くけれど、そこを強調した描き方ではないというか。業の深さにも向き合って、愚かな部分は愚かだ、という描き方になっていると思う。

 

一方、コングポップは完璧な優等生なのか?と言われると、優等生ではあるけど完璧ではない。なんていうかコングちゃんは結構ずるいところがあると思っていて、第一あんなに周りに配慮できる子なのにメイからコングに向けた気持ちに気付かなかったわけがなくないですか?私の心が歪んでるだけかもしれないですが……。実際に告白されたら誠実にきっぱり断るけど、言われるまでは特には期待させちゃうかもみたいなことは考えずに「普通に」優しく接する感じが、まあ当たり前っちゃ当たり前なんだけどメイからしたら思わせぶりだよなあと思った。

あと、みんなでビーチに行った時(EP.8)、本当は先輩から禁酒って言われていたのにオークとかメイ、マプランたちに乗せられてなんだかんだ部屋でお酒飲んじゃうコングポップがめちゃめちゃ好きです。そりゃ飲むよな。私がコングでも飲む。そして案の定アーティット先輩から怒られてるコングポップ、自ら撒いた種すぎてまじでいい(それよりあの時なんでアーティット先輩コングの部屋に来たの?っていうのも気になるけど……)。あと、アーティット先輩と気まずくなってる時に友達への態度がまじでぞんざいなところもめちゃめちゃ好きです。あの虚無ってる感じの表情がすごい良い……。エムに対してめっちゃ不機嫌な態度取ってるのに喧嘩にならないエムとコングポップの関係性もまたいいな、と思います。

コングちゃんのエゴな部分はどちらかというと続編である「SOTUS S/ソータス エス」の方がより顕著で、先輩に言わずに隣の部屋に引っ越して来ちゃったところは「一言言えばよかったよね…?」という感じだし、インターン先を先輩が勤めてる会社に決めちゃうのも「一言言えばよかったよね…?」だし、自分のお父さんが先輩の会社の取引先の社長で、でなおかつ先輩がピンチの時にこっそり根回ししたのも「一言言えばよかったよね…?話す時間ないならLINEしとくべきだったよね…?」という感じで、コングポップやることなすこと先輩への愛に満ち溢れてはいるけど、ちょいちょい必要な言葉が足りないよね?!先輩も不満があると自分の中で悶々としちゃうタイプだし、愛の言葉も大事だけど業務連絡大事よ?!

また、ささやかな場面だと、エムとメイが晴れて恋人同士になった後、エム・メイ・コングで食事をしている際にイチャつきだしたエム&メイをコングが冷ややかな眼差しで見つめるところはさすがに「あんたね!!!自分を棚に上げて!!!」と言いたくなりました。あと、コングが実家に帰った時にお母さんから「帰ってくるの遅かったけど、彼女とどこかに行ってたんじゃないの?」と聞かれて「俺には母さんだけだよ☆」っていうところとか……(実際はアーティット先輩もいる食事会に行ってた)。思いっきり嘘じゃん……。

あと、後々大きなトラブルへと発展することとなる「SOTUS S/ソータス エス」EP.9の海辺キスですが、「社員旅行だけどどうせ誰も見てないしいっか☆」的な感じがいいです。コングかわいい。雰囲気に身を委ねるアーティット先輩もかわいい。見られてたけどな(なおかつ拡散されたけどな……)。

コングポップは堂々としていて自分の選択や行動に迷いがないし裏表もないし、みんなから自然に慕われるのがわかる。かっこいいし。でも、行動が突飛だったり言葉足らずだったりするところもあって、それが結構後々のトラブルを招きがちでもある。今思い出したけど「SOTUS/ソータス」EP.14でアーティット先輩と買い物してる時に、コングが「僕は子供を持つなら息子がいいな」って言い出した時はかなりびっくりした。「付き合い出してから間もない時期にするにはセンシティブな話題では……?」と思ってたらアーティット先輩のテンションがガタ落ちしていて、この時のコングポップは先輩と出かけられたのが嬉しくて無邪気になってたのかな…と思った。コングは基本的に気遣いができる子だけど、こう言った形でちょっと無邪気さが出てくることがある。

そして、アーティット先輩&コングポップ以外のキャラクターにも見所がたくさんある。例えば自分が無理をお願いしている立場なのに、取引先企業の人に対して横柄な態度をとってしまうトッドさんとか、堂々と不正をはたらくジョン先輩、軽い気持ちでその不正に加担しちゃうソム・オー、デーの警戒心を解こうとして少し干渉しがちになっちゃうティウなど、登場人物それぞれの行動や性格にレイヤーを持たせている。そこが見ていて面白いし、それぞれの人生に思いを馳せたくなる。

「SOTUS S/ソータス エス」でコングポップに振られてしまったカオファーンはもしかしたら3年生になったら後輩指導の中心的存在になっているかもしれないし、プレーパイリンと恋人のストーリーも気になる。オークはどんな大人になるんだろう、アース先輩は休日何をしてるんだろう。ノット先輩はめちゃめちゃ幸せな家庭を築いていそう、とか、それぞれのキャラクターの人生がちゃんと存在しているのが良いです。

「SOTUS」「SOTUS S」はYouTubeで全話視聴できる

 

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最後に、これはものすごく大事なことですが、「SOTUS/ソータス」「SOTUS S/ソータス エス」シリーズ通してYouTubeで視聴できる!!しかも日本語字幕つきで!!

以前まで「Our Skyy」はジオブロされてたけど、なぜか今は「Our Skyy」も英語字幕ですがYouTube視聴できる。広告なしで見たい、1エピソード通しで見たい場合は、「SOTUS/ソータス」はアマプラなど色々な動画サービス、「SOTUS S/ソータス エス」はテラサで見れる。

見たい時にすぐ見れる優しさすごくないですか……金字塔だからなの……?みんな気軽に見てねってことなの??ありがたい……。 おかげで何周も何周も見ています。ありがとう……不滅の金字塔……。

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舞台「優秀病棟 素通り科」感想 “とはいえ、この世界で生きる”

ふぉ〜ゆ〜の福田悠太くん主演舞台「優秀病棟 素通り科」そして辰巳雄大くん主演舞台「ぼくの名前はズッキーニ」。遅ればせながら、両公演とも無事完走おめでとうございます!!

どちらも時間が経ってから反芻したくなる舞台だった。まずは「優秀病棟 素通り科」から、忘れないうちに感想を書いておく。ズッキーニはまた後日書きます……。

忘れないうちに、とは言っても「優秀病棟 素通り科」は1月に上演されたのでもう2ヶ月経っている。もっと鮮烈な時に記憶を書き留めておくべきだったのだけど、なんだろうね。時が経つのが早い。特に2月はあっという間に過ぎていった。

山田ジャパン主催「優秀病棟 素通り科」は配信で観たのですが、正直言ってオンラインで観ていてあんなに没入できると思わなかった。画面に文字通り目が釘付けになるような舞台で、少し劇場に行かなかったことを後悔したりもした。ただ、その時の「行く/行かない」の判断に正解があるものでもないので、配信で観られてラッキーだったなと思うことにした。

「優秀病棟 素通り科」は、“とはいえ、ここで、この世界で生きていく”ということの実感を思い起こさせるような舞台だった。「何があっても生きていこうね!!エネルギー!!」みたいな感じではなく、“とはいえ、生きていく”。

理由がないけど生きるし、各々しんどい境遇にいるけど生きる。たった一晩の対話から、現在進行形で生きている私たちに生きる実感を与える舞台だったと思う。暑苦しくないのに胸が熱くなった。

 

「優秀病棟 素通り科」はふぉ〜ゆ〜の福ちゃん演じる「飯塚哲人さん」が飛び降りでこの世を去ろうと試みるも、偶然居合わせた、いとうあさこさん演じる「喜久枝さん」が飯塚さんをキャッチすることで偶然にも命を助けるところから物語が始まります。

まず冒頭からして「飯塚さん」対「喜久枝さん」の対比の構造になっていて、上手から飯塚さん、下手から喜久枝さんが登場する。2人は全く別のことで頭がいっぱいで、飯塚さんは「(この世を去るという選択が)自分にとって得策だ」とどこか晴れやかな表情で話す一方、喜久枝さんは「失業保険給付金が入らないと困る、家賃だって払わないといけないし」と誰かに電話をかけている。

私はこの「給付金」という言葉を聞いた瞬間にグッと現実感が増したというか、一気に舞台の中に引き込まれたような気がしていて。ちょっと話が逸れるけど、ふとポン・ジュノ監督が『パラサイト 半地下の家族』のインタビューで、冒頭の場面の「Wi-Fiを探す」という共通の行動を通じて、海外の観客も含め心がオープンになるって言ってたのを思い出した。リアルとリンクする共通項があって、物語との親近感が一気に増す。

ストーリーに話を戻すと、開放感とともにこの世を去ろうとする人と、閉塞感の中でも「生きることや生活」に向かって一所懸命になる人。この極めて対照的な2人のちぐはぐな対比が対話を生み出し、「なぜ飯塚さんはこの世を去ろうと思ったのか?」という2人の会話を通じてその対比がどんどん浮き彫りになっていく。生きることに邁進している喜久枝さんは飯塚さんの行動の理由が理解できないし、飯塚さんも飯塚さんで「死」を選ぼうとした理由が自分でもよくわからない、と喜久枝さんに語りつつ、今までの生活を振り返る。

職場の同僚や取引先からは信頼され、妻とも仲良く暮らしている「飯塚さん」と、夫が鬱を患い失業を余儀なくされ、娘を大学に行かせてやれず、夫の勤め先とパワハラ認定の可否について揉めている「喜久枝さん」。2人の境遇を表面的に比較すると、飯塚さんの方がより幸せに見える。実際に、飯塚さん&喜久枝さんがバーでそれぞれの境遇を話す場面では、「なんか…喜久枝さんの方が不幸じゃない?」的な雰囲気が流れ始める。それに対して喜久枝さんは「そうかな〜?」と首を傾げる。

外から境遇を見ただけでは、そこに置かれている人がどういう気持ちなのか、どういうことを考えながら過ごしていたのかまでは当然わからない。そして、その人自身だって、自分が実はどういう気持ちだったのかを理解しないまま生活が流れていくことだってある。

私はぱっと見幸せそうな飯塚さんの職場や家庭の場面を見た時に、「確かに周りからとても愛されていて、生命を脅かすような外的な困難はなさそうに見えるけど、でも飯塚さんって自我はどこにあるんだろう」と思った。

というのは、ふんぞり返っている上司に腹を立てる部下の間に入って場を丸く収めたり、極度にイライラしている妻の機嫌をとったりしている時の飯塚さんはとても優しくて気が利く人なんだけど、どこかこう他人事っぽい対応というか、飯塚さん自身、つまり“自分”を一回物事の枠組みの外に置いているような感じがあって。行動の理由が「自分がこうしたいから」よりも「他の人がこうしたがってるから」に見える。

で、喜久枝さんは「家族の幸せが自分の幸せ」だと言いながら、パワハラ企業と夫の間に立ってやりとりをしたり、ヒステリックな娘と病んでしまった夫、崩壊しつつある家庭の中での潤滑油になろうと奮闘したりしている。“仲介役”だという点では飯塚さんと立場が似ているし、状況はより不幸せに見えるんだけど、決定的に違うのは喜久枝さんの行動のモチベーションは「自分がこうしたいから」だということ。自分が家族を愛しているから、家族の幸せを願っているから、自分が行動している。喜久枝さんには自我がある。

これは私の主観的な見方ですが、飯塚さんは自分の行動に理由を見出さない、見出せないから、自分のことが見えなくなったのかなあと。「自分がいない世界」の方が飯塚さんにとってしっくりきたから、飯塚さんはこの世を去ることを“得策”だと感じたのではないか。ただ、飯塚さんが自分の中で「死を“得策”」だと結論づけたことに対して、喜久枝さんはラストではっきりそれを否定する。自分自身の中で推し量れることには限界がある、自分の中ではそう結論づけたかもしれないけれど、他の人や視点から見れば決してその答えが正しいわけではない、と。

私これ最初聞いた時に、「でもそれって飯塚さんの自分の人生の選択なのに、結局は他の人の視点を取り入れろってことなのか?」という気がして喜久枝さんの主張に違和感があったんだけど、もう少し噛み砕いて考えてみると、「周りの人との関係性の中に自分を取り戻してみてよ」ってことだったのかな。それなら理解できる。

また、印象的な飯塚さんの発言として「理由がないことが一番怖い」みたいなセリフがあるけど、まさに飯塚さんは自分自身が自分自身でいることの理由がなかった、一番怖い状況にいたのではないか。だから、飯塚さん自身の人生を振り返る喜久枝さんとの対話は、飯塚さんの輪郭とか、存在、自分自身のことをなぞって確認していくプロセスだったのかなあと思います。死の理由を探すために2人は対話を重ねていったわけだけども、結果的に飯塚さんの生きる理由を探るプロセスになっていった感じがする。

だから、喜久枝さんの「探すわよ〜!!」号令で始まるクライマックスの舞台の大転換の場面(CUTTの「Domino」が流れるところ)での、飯塚さんの記憶総ざらいがあって、今までの飯塚さん自身と飯塚さんが向き合うことができたからこそ「これからの人生を考えてみる、見積もりを出してみる」って言う結論に辿り着けたのではないかなと思いました。

でも自分自身の記憶を掘り起こして1つ1つ向き合って、なおかつ他人にそれを開示するのって容易なことではなくて、すごいしんどい作業だと個人的に思うので、あの大転換の場面はマジで泣きました。なんかすごくしんどい気持ちになっちゃった。飯塚さん、よく頑張ったね。

 


CUTT - Domino YJ ver. (Lyrics Video)

個人的には、「理由なく何かの行動や選択をする」ということは結構普通にあることで、それがどうでもいいような行動でも、重大な選択でも、理由がないことはあるだろうな、というのを改めて感じた。同時に、「ないと思っていた理由は本当にないの?」っていう問いかけというか、「ないこと」に向き合うこと、そこから思ってもみなかった結果が生まれる可能性もあるだろうな、ということも感じた。

いち観客の願望としては喜久枝さんと飯塚さんはあの後たまに連絡を取る飲み友達になっていてほしいし、飲みながらお互いの生活の愚痴などを言っていてほしい。飯塚さんは生きることに向き合えたしポジティブな結論を導き出せたけれど、その一方で喜久枝さんが向き合っている現実の生活は厳しいもので、厳しい中でも生きていく、その束の間の休息であったり、癒しのようなやりとりが2人の間で為されていてほしいなと思う。

 

扱っている題材そのものはシリアスなものですが、テンポよく進む演出とコミカルなツッコミが至る所に散りばめられていてめっちゃ笑いました。特に、飯塚さん行きつけのバーでのやりとりが面白かった。喜久枝さんの夫にパワハラをしていた上司の絶対的に半沢直樹に影響を受けている台詞回しとか、子供の頃のキャッキャした回想シーンは爆笑しながら見てました。

そして、居酒屋とかバーとかに行きたくなった……!!1杯目の生ビールが来て「で、どうなの」って本題に入る感じとか、お話の上手なバーテンダーさんがいるバーでゆったり飲む感じとかを見ていて「いいな〜〜〜、飲みに行きたいな〜〜〜」となった。飯塚さん行きつけのバーの、バーテンダーさん2人のゆるゆるな空気感が好きだった。

あと、カーテンコールでの福ちゃん&いとうあさこさんはじめ、キャストの皆さんの演じ切った感じ、清々しい表情も印象に残ってる。オンラインとはいえ2021年の舞台初めが「優秀病棟 素通り科」で良かった。とても素敵な舞台でした。